忘れちゃってもいいですか…?
「あれ…俺、教科書忘れたかも…」
「ん。水野が忘れるなんて珍しいな。
しょうがねぇから、ジュース一本で見せてやるよ」
「ちぇっ…。まぁ頼むわ…」
無遅刻無欠席。成績はトップクラス。授業中も積極的に手を挙げる水野君が教科書を忘れてしまうなんて…。
聴くつもりはなかったけれど耳に入ってきたその会話。水野君でもそういうことはあるんだなぁと思いながら、私はその様子を見ていた。
「おーい。早希ー?」
「えっ?何?」
「プ・リ・ン・ト。後ろにまわして」
「ああ…ごめん」
ついその様子に見入っていた私は、前の席の裕子が腕だけを後ろに向けてピラピラとプリントを振っていたことにも気付いていなかった。すぐにプリントを受け取り、後ろの席の子に渡す。
私が前に向き直ると裕子は今度は半身でこちらを向きながら、「こないだ、一緒に帰ったんだって?」と、小声で私に言ってきた。
いつ…?誰のことだろう…?
裕子以外で一緒に帰った相手…。
ひとつだけあった心当たりに気付き、何だかそれを見られていたことが急に恥ずかしくなって、私は裕子から視線を外し、小さく「うん」とだけ答えた。
「付き合ってんの?」
「違うよ…。ただ一緒に先生の手伝いしてて、だからその流れで…」
「ふーん」
先生の視線を察したのか、裕子は話を切り上げて前を向いた。
それ以上掘り下げられたくはない私も授業に集中しようと筆箱からシャープペンを取り出し…。
手に取ったそれは私のものではないシャープペン。
でも、どこかで見覚えのあったシャープペン。
誰のものかは思い出せないけれど、間違えて自分の筆箱にしまってしまったのかもしれない。
でも…誰のだろう…。
しかし、まさか授業中に持ち主を探すわけにもいかず、休み時間に聞いてみればいいやと、私はそれをもう一度筆箱の中にしまい直し、板書を写し始めた。
「これ、落とした人いませんかー?」
教壇に立ち、休み時間で賑わう教室全体に届くよう、少し声を張る。
気付いた子が何人かこちらを向いてくれて、でも自分のものではないと確認すると、また話に戻っていく。
「それ、水野の」
もう一度聞こうとしたところで、私の後ろで黒板を消していた大村君が言った。
「渡しといてやるよ」
「あ…じゃあ、お願いします」
直接本人に渡せればよかったのだけれど、どこへ行ったか、水野君は教室には居なかったから、私は大村君にシャープペンを預けて、渡してもらうことにした。
それにしても、なぜ私の筆箱に水野君の物が入っていたのだろう…。
それだけは、持ち主が分かっても謎のまま…。
まさか、無意識のうちに手が勝手に…。
いやいや、そんなことはあり得ない。
でも、本当に分からない…。
机を並べてグループワークをしたわけでもないし、同じ部活や委員会というわけでもない。
テストの時にどちらかがどちらかの席に座ったということもない。
一体どこでどうやって…。
「あ、秋山、ありがと。拾ってくれたんだって?」
「あ、うん…」
「昨日から見当たらなくてさぁ…。どこにあった?」
「えっ…と……」
私の筆箱の中。
まるで私が隠していたかのように思われてしまっただろうか…。
「そっか。俺、間違えて入れちゃったのかな。
まぁいいや、ありがとね」
「うん…」
冗談にも清々しくはないやり取り…。
でも、まぁいいやと気にしない素振りをしてくれただけ私も救われた。
それに、こんなことにあまりこだわっていても仕方がない。
早くジャージに着替えなければ、次の体育の授業に遅れてしまう。
私は席を立ち、後ろのロッカーにジャージを取りに向かった。
――バサッ
ロッカーからジャージを取り出した瞬間、丁寧に畳んであった上着とズボンの間からバランスを崩して、それは落ちた。
私の脳裏に、シャープペンの違和感がよみがえる。これは絶対に私の数学の教科書ではない。
だって、さっきの数学の授業、私は自分の教科書を自分の机から出して自分の机にしまったから。
この教科書の持ち主は、名前を確認せずとももう分かる。
さっきの授業で教科書を忘れたのは一人だけ…。
私は落ちた教科書を拾い上げロッカーの上に置くと、ジャージをロッカーに戻して教室を出た。
「あれ、早希?どこいくの?」
「ちょっと…保健室」
心配して声を掛けてくれた裕子にも、私は作り笑いさえ出来なくなっていた。
頭が重い。気持ちが悪い。めまいがする。
三つが同時に襲い掛かって、私の精神力さえ虫食んでいく。
ふらふらと保健室に辿り着き、先生に症状だけを伝えて、すぐにベッドに横になる。
私はやってない…。
私は入れてない…。
私は盗ってない…。
でも、きっと誰が見ても、私以外に犯人は居ないのだろう。
盗るだけならともかく、自分の持ち物の中に隠すなんて。
記憶にはないけれど、自分で自分のしたことが信じられない…。
校庭のほうから、笛の音が聞こえる。
今頃、みんなは球技大会に向けて練習をしていることだろう。
球技大会・体育祭・文化祭の三冠を獲るんだ。と、特に男子は張り切っていたから。
でも、こんなことがバレたら、そんなクラスの雰囲気も壊してしまうかもしれない。
これは夢なんだ。
そう思いたい。
そうだ、少し眠ろう。
そうすれば、目が覚めたときには何かが変わっているかもしれない。
出来るだけ周りの音が聞こえないように布団を頭まで被り、私は目を閉じた…。