期待しててもいいですか…?
「私、知らない」
「自分で何とかすれば?」
裕子…?
杏ちゃん…?
「ごめん…。さよなら」
水野君…。
何でみんな、そんなに冷たいの…?
ねえ……。
悪い夢から醒めると、私の体は汗でぐっしょりと濡れていた。
これだけ汗をかけば、熱も少しは下がってくれただろうか…。
力の入らないまま、重い頭と軋む体をなんとか起こして、私は時計を見た。
11時30分。2時間目か…3時間目か…。
あぁ…。今日も学校を休んでしまった…。
でも仕方ない。インフルエンザにかかってしまったのだから。
タオルで汗を拭き、ボーっとする頭でふらつきながらも着替え、またすぐに布団を被る。
だめだな…。まだ熱は下がってなさそうだな…。
体温計に手を伸ばす気力も無く、直感的にそう判断して、私はまたすぐに眠りに就いた。
***
「早希、インフルエンザだってー…」
「さっき聞いたよ」
朝のホームルームの時に先生が言っていた。
うつるといけないから、お見舞いは控えるように。と。
でも、俺は素直に心配出来なかった。
もちろん、インフルエンザにかかってしまったのだから心配はしているのだけど、それよりも今以上に距離が開いてしまうことのほうが心配だった。
体育祭のあの一件以来、俺は秋山に避けられているような気がしていた。
当然と言えば当然なのだけど、それでも俺はあの時の言葉の意味を何回も考え直していた。
”俺は秋山にとって友達より上の存在で、でも自分では決められないから俺に任せた”
今でもその解釈に間違いは無いと思っている。
でも、秋山は俺を拒んだ。
と、いうことは、俺のその解釈が間違っていたということなのだろう。
じゃあ、あの時、俺はどうすれば良かったのか。
どうすれば正解だったのか。
かと言って、それを秋山に聞くことは出来ない。
俺が自分で見つけなければいけない答え。
それが見つからないまま、中途半端に接していたくはない。
だから、避けられて少し距離が開いてしまったのは、俺にとっては特に気を落とすようなことではなかった。
でも、秋山がインフルエンザで休んでしまったのは想定外だった。
少なくとも一週間は、全く顔も合わせられない。
それがこれほどまでに心にぽっかりと穴を開けることになるとは思ってもいなかった。
もし、その一週間の間に、本当に秋山の気持ちが離れてしまったら。
体の心配をするよりも、そっちの方が気が気でないのが、今の本音だった。
「これじゃあ、ライブも行けないかなぁ…。
早希、楽しみにしてたのに…」
アドレス交換をしたあの日、交換したその場で秋山が俺に送ってきてくれたメール。
”ライブ楽しみにしてます。”
俺も行きたかったし、このメンバーで行けるのはこれが最初で最後かもしれないから楽しみだった。
でも、何よりも、そうやって楽しみにしてくれている秋山のためにチケットを取ったり、そんな秋山にもっと喜んでもらおうとすることに心が躍っていた。
でも…。
もし、元気だったとして、俺と一緒にライブへ行ってくれただろうか。
今回のライブは、みんなも一緒だから行ってくれていたかもしれない。
じゃあ年末のライブはどうだっただろうか…。
二人で行こうと約束した。
あわよくばそれをきっかけにと考えたところもあった。
今のままでは、そんな可能性は万に一つ、いや、億に一つもない。
そんな邪な考えを持っている余裕すら、微塵もない。
もしかしたら、キャンセルされてしまうかもしれない。
それはイヤだ。
それだけは絶対に、今からでも避けなければならないことだった。
でも、秋山がまた元気になって学校に来てくれなければ、何をどうすることも出来ない。
俺はただその日を待ち、そして五日が経った…。
***
ようやくインフルエンザが治って、久しぶりに来ることが出来た学校。文化祭は終わってしまっていて、みんなと約束していたライブにも行くことは出来なかったけれど、何も変わることなく、いつものように一日を過ごすことが出来た。
でも、治ったとは言えもしまだウィルスが残っていたらいけないし、病み上がりだからと裕子や杏ちゃんとのおしゃべりも早めに切り上げて、私は教室を出た。
「秋山…。ちょっといい…?」
そして、校門を出ようとした時、私は水野君に呼び止められた。
「うん。何…?」
「ここだとあれだから、ちょっと来て」
どこへ連れて行くのだろう。
不信感は無かったけれど不安になりながらその背中を追い、着いたのは通学路から外れたところにある小さな公園だった。
「座ろ」
ブランコに腰掛けた水野君に促されて、私も隣のブランコに腰掛けた。
「断られるかもって思った」
「そんなことしないよ」
いくらぎこちなくなってしまってもそれはしない。
それだけは自信を持って言える。
「ライブ、楽しかったよ。今度は一緒に行こうね」
「うん」
途切れ途切れに短い言葉だけを交わしていく。
「寒くない? もう大丈夫なの?」
「うん。大丈夫」
きっと何かもっと大事なことを言おうとしているんだと感じた私は、焦る気持ちを抑えながら水野君の言葉を待った。
「俺…心配だった…」
「うん…。ありがとう」
「もう来ないんじゃないかって…」
「大げさだよ。ただのインフルエンザだし」
「違う…。そうじゃなくて……」
水野君が言葉に詰まっている。
私の知る限り、こんな表情は見たことがなかった。
「……嫌われたんじゃないかって」
一瞬、ドキッとした。
嫌われたのは私の方だとばかり思っていたのに、水野君も同じことを考えていた。
「俺、それだけは絶対に嫌だった。
嫌われても仕方ないのかもしれないけど、でもそれだけは嫌だって思った…。
勝手かもしれないけど…」
「私も…。同じこと考えてた」
水野君も自分が嫌われたとばかり思っていたのだろう。
その唖然とした表情に、不覚にも私は笑ってしまった。
「私は、嫌いじゃないよ」
「なんだよ…もう…。
俺の思い過ごし…?」
「ううん。お互い様」
カチャンカチャンと揺れる鎖の音とともに立ち上がった水野君は、程よく緊張が解けたような良い顔をしていた。
「って言うか…」
「うん?」
「俺が秋山のこと嫌いになるわけないし…」
「うん。ありがとう」
「嫌いって言うか…。俺は…」
そこまで言いかけて水野君の口が止まり、私もその視線に気が付いた。
「ごめんね。ブランコ乗る?」
ブランコを陣取っていた私達を、指を咥えてうらめしそうに見つめる無垢な眼差し。
近くにお母さんらしい人は見当たらない。一人で来たのだろうか。
まだ幼稚園の年少くらいに見えるその子に、私達はブランコを譲ってあげた。
「帰ろっか…」
「そうだね」
「俺は…」の続きが何だったのか。それは分からなかった。
でも、きっと悪いことではない。
またいつか水野君がその続きを言える時が来たら、その時は必ず聞こう。
そして、その時が来るのを楽しみに待っていよう。
そう心に決めて、私は彼の隣を歩いた。
「そうだ。これ」
思い出したように足を止めて、水野君はカバンから何かを取り出し振り返った。
それと同時に、ふわりと長いものが巻きついて、かすかな温もりが優しく首元を包んだ。
「冷えるといけないから」
「うん、あったかい。ありがとう」
そのマフラーをキュッと握り締めて、私はまた彼に寄り添って歩いた。