紅の方程式
昔書いた短編を、初心に帰る気持ちで保存しに来ました。
「紅の方程式」
カン カン カン カン カン ・・・
心の空洞を確かめようとするかのような、空っぽな、反響音。
午後六時を過ぎた夕方の空は、今、赤すぎるほど、赤い。
人が、こんな空の色を見ると、無性に胸騒ぎがするというのは何故だろう。
今、世界は・・・――世の中全ては・・・正直、色の無い灰色である。
どんなに夢の無いことだろうとこれが現実。
コンクリートジャングルの都会中で、何を美しいと言えるだろうか。
まだ大人になりきれない多感な心は、美しいものを美しいと思えるセンサーを、世界の濁流の中でもぎ取られないように必死に持ち続けている。
それさえも、いつかは無意味な抵抗になってしまうだろうか。・・・ねぇ?
夕焼けの中の少女。
まだ、化学薬品の合成物で肌を飾ることを知らない少女。
その瞳に映るのは何だ。
空の色・・・、西の朱、東の青、その狭間のグラデーション。
垣根の、風に揺れる花、踏み切りの警報機の光の点滅、すれ違う人の波。
全ては、空虚にして無常の、儚い現実。
そんなつまらない日常でも、もし、不意に奪い取られたら、どうするだろう。
好奇心と言うプログラムは存在しないが、ただ、じっと彼女を見つめ様子を見ていた・・・。
初めに消えたのは「音」だった。
狂おしい悪夢の序章は、無音から始まる。
何を映すでもなく、ぼんやりと開かれていた二つの瞳が、数度瞬きをして、視線の先が周囲を巡る。
ゆっくりと、両方の手が、そっと耳元にあてられる。
急に、一切の音が消えたのだ。普通なら、自分の聴覚が以上をきたしたのかと錯覚する。
だが、すぐに気づく。
正しくは、消されたのは音ではない。
それは、世界を動かす歯車の停止・・・。
代わりに作動するのは、僕の中の、この世界を手に入れるためのプログラム。
気づかれないように、彼女の背後に来る。
彼女の視線は、空中に浮いたまま止まっている花の姿に注がれ、動かない。
浮いているのではない。
落ちようとしていたのだ。
白い合弁花のそのままの花の形で、風に吹かれたか何らかの物理的作用によって、枝からもぎ取られた花は、地に届くことなく、空気の中にピンでとめられた標本のように留まっていた。
幻想的なオブジェのような、あるいは、どこか一部を切り貼りした違和感のある絵画のような、本来、存在してはいけない光景。
指先が、空中に縛られた花へと伸びる。
ぱさ。
普通に揺れることができる。花びらの瑞々しい手触りが、自分は夢でも幻でもないことを、触感に訴える。
摘み取って、手の上に乗せ、間近で眺めることもできる。
一度そうやって触れてしまえば、あとはオブジェでも何でもない、ただの花になる。
残念ながら、全てをそのまま止めることができないからそうなる。
空気はたやすく動いてしまう。どんなに些細な物理的運動でも。何かが動けば、流れてしまう。
全ての形を留めておくことはできない。
誰かが触れない限りは。
「誰か」というのは、今こうなってしまった世界では、彼女しかありえないのだけど。」
そろそろ気づいていい頃だろう。
自分以外の世界の『時』が、全て、止まってしまっていることに。
この、耳がおかしくなりそうな無音は、静寂ではない。静止なのだ。
☆
君だけの呼吸の音が聞こえるだろうか。
鼓動の音が聞こえるだろうか。
それだけが今ただ残されたこの世界の歌だ。
何も動くことがない世界。
君の心はどう動くだろう。
それさえも、間もなくこの地球という世界から切り取られてしまうことになる。
僕はそのためだけに来たのだから。
彼女の目に僕はどう映っているのだろう。
唐突に姿を見せた、異邦人の僕は。
意外と恐れのない瞳を見ている。
だが、この程度の予想外の反応では僕のプログラムにエラーは起きない。
データでは、一般の人類は、理解不能な状況に陥ると、思考回路に混乱をきたし、正常な行動ができなくなるとあった。
やはり特殊な人間は、何かしらアブノーマルなものらしい。
まぁ、このくらいよくあることだ。
むしろ予想外だったのは、この世界の『色』だった。
それにしても、なんと朱い世界だろう。
何が朱いのか?
空?
空に在る円いライトは何なのか、あれもこの世界の人間達の創造物なのか?あんな高度なもの、この世界の技術では創れるはずがない。
いや、違う、あれは、天体。この世界を照らす恒星らしい。
朱い?
この地上から観測する限り、それほど低音な星ではない。
赤色巨星の輝きとは違う。
なんだろう、この光は。
朱い 朱い 赤 朱 紅い 赤 ・・・・・
だめだ 壊されそうだ 見たことがない
紅い『色』が視覚中枢から感覚センサーの中に入ってきて、回路を狂わせている
なんだろうこれは 熱のある光 色のある明かり
赤外線?
中枢回路に エラー ・・・・・・・
☆
世界は、朱色に染まったまま時を止めた。
空虚で、無音で、不変。
さながら等身大のジオラマの中。
ああ、美しいな。
素直にそう思ったわ。
自然と唇が緩くほころぶ。
そんな私は、狂っているのかしら。
白昼夢みたいなぼんやりとした感覚。
私の求めていた非・現実感はこれだ。
うっとりと、散らずに手の中で崩れた花を見つめていた。
そんな私のだけの世界の中に、どうして私以外の存在が入り込んでいるの。
でも、『彼』もある意味、美しかった。
無機質な瞳。ガラスみたいな。
人間ではないとすぐにわかる。人間に『似せられた』だけの存在。
もしかしたらその綺麗な瞳は本当にガラスなのかもしれない。
夕陽の光に透きとおって、アメジストみたいにキラキラして・・・・・・。
・・・・・・あれ・・・・・・?
見つめているうちに、瞳の色が変わってしまった。
何故だろう。
まるで炎色反応みたいな。
一瞬前までの、錆びた機械のような色のほうが素敵なのに。
ジオラマの芸術の一端が欠けてしまったような気分で残念。
無音と不動という美さえ、彼はあっさり崩してしまった。
冷たい手が、私の腕をつかむ。
カン カン カン カン カン ・・・
聞こえなくなったはずの警報音が聞こえる。
一体どこからなのか。
☆
僕は誰だ。
君は誰だ。
『ボク』?
プログラム誤作動
思考回路にエラー
何だろうこれは。
これは『自我』というプログラム。
ありえない。
存在してはいけない機能。
リミッター ガ 壊レタ
結果的に僕は、決して持ってはならないものを、手に入れてしまったらしい。
世界を見つめる認識が変わる。
世界一つを見るのにも、この『自我』という設定が必要なのか。
人間の心って意外と万能ではないんだ。
君にはこの世界はどう見えるのか。
ヒトというものは、視覚からエネルギーを補給できるのか?
あの不思議な紅い恒星から。
プログラムという呪縛から逃れた僕は、彼女の腕をつかんでいた。
逃げよう。
世界は、じきに壊される・・・・・・。
☆
どこへ行こうというの。
何から逃げるというの。
ちぐはぐな夢の中にいるような気分。
彼は、私に説明した。
自分たちは違う世界から来たと。
彼らの星では、もう資源が尽きてしまった。
だから、別の星をまるごとそのまま、自分たちの『資源』として採取するのだと。
彼を造ったそっちの世界の連中は、科学と似たような技術によって、時を止める方法を見つけていた。
それは部分的にでも広範囲にでも作用させられる。
時が止まれば、あらゆる物理作用、化学変化、生態的反応等は止まってしまう。
ただし、時を止めていない外部からの物理作用は通常に作動してしまう。
この地球を摘み取る間だけ、時を止め、『資源』を保存しているのだという。
物理的な作用と分子全般の化学変化、有機物の細胞の活動の停止。
私たちの世界は、今、冷蔵庫に入れられているようなものだ。
よって人は息をしなくても死ぬことはない。
世界は動かない。
地球の自転さえ、止まっているのかな・・・?
「どうして私は動けるの」
彼は答えた。
「君は資材ではない。人材として求められた。
IQって、計ったことある?
君は、人類の中では遙かに知能が高い。
まだ潜在していて発現はしていないようだけど」
「『資材』・・・・・・」
「資材も人材も似たような意味だけどね。
元の形をとどめているか、いないか、それだけ。
ただの資源であることに変わりはない」
「で、あなたは何がしたいの」
「君をここから『採取』してくる設定だった。
そのために人材となる予定の人類だけ、時を止められていない。
今は・・・時間稼ぎかな。
あんなに大きな赤い宝石が空に浮いて反射している世界に来たのは初めてだ。
こんなに綺麗な世界を壊すのは惜しい・・・」
☆
あの光が僕の中に入り込んで来て、僕の意思を縛っていたプログラムを壊してしまったんだ。
意思を持ってしまった僕は・・・仕事以外に行動することができる。
だから、君も。
時を止めていられるのは、永遠ではない。
軋んだ歯車が、やがて堪えきれずに機械そのものが壊れるのと同じように、この世界もゆっくりと歪んで、壊れていくだろう。
だから、そうなる前に。
「君だけが、残された『時』を自由に使える権利がある。僕は君をここから『採取』しないことにする。好きに過ごしていいよ。」
「好きに?」
彼女の眼に、赤光が反射する。
この星の人間は、自らの中に恒星を持つのかと一瞬驚いてしまった。
・・・あぁ、この紅色は、僕の中の機械的な判断システムさえ惑わせてしまうのかな・・・。
「じゃあ、一度寄ってみたいところがあったの。一緒に来て」
君が手を引くなら・・・ついて行こうか。
作業中断を拒む行動パターンも今は起動不可能。
この、朱色の世界を歩くことができる。
今の感情は・・・なんという名前だろう。
多分、『切ない』。
アスファルトという灰色の物質の地面が、二人分の軽い足音を響かせた。
☆
線路を通り過ぎる。
向こう側に見える緑色の木は、作り物のように、全く木の葉を揺らすことなく静かに立っている。
人間がマネキンと化している光景は、少し不気味かもしれない。
でも、大して気にすることではない。
動いていようと、固まっていようと、すれ違うだけの他人に無関心なのは前からだ。
固まっている彼らにとっても、私が隣を歩こうと歩くまいと、何も気にすることではない。
人は、風と木の葉以上に、互いに互いと作用し合わないのだ。
自動車の騒音を耳にすることもなく、街灯の並ぶ歩道を行く。
時間が動かないのなら・・・塾の授業の始まる時間を気にして、頭の中を数式で一杯にして歩かなくてもいい。
心は空虚。
眼には、光。
ここから先はお決まりの風景。
いつも夕方歩く道。
すれ違う人の波、全てが、朱く染め上げられて・・・。
通りかかるといつも引っかかる、空虚に響く踏み切りの音。
垣根の、垂れている大きな花々。ぷぅんと百合みたいな強い香りをして花粉を散らして揺れているけど、名前は知らない。
バターの甘い香りが漂ってくるお菓子屋さんを通り過ぎる。
ちょっと古風な街灯に、淡くオレンジ色の灯が宿る道を通ってたどり着くのは。
黒い学生服の手段が集まる場所。
ただの学習塾。
私は、制服。手には、通学鞄。中には塾の参考書。
世界が間もなく終わるとするなら。
ただの一度だけ、寄り道することくらい許されていいでしょう。
今まで決して、学校も塾も、寄り道したことはなかったのだから。
一度だけでいい。
道を外れて・・・行きたいところへ。
レトロなデザインの街灯。明治のガスランプみたいな。
薄暗くなりかけたレンガ風の長い歩道に点々と、蝋燭を並べたように小さなオレンジ色の明かりが灯る、ちょうど今頃の時間が好き。
もし寄り道するのなら。
・・・ケーキを食べてみたかった。
ほとんど毎日通る、塾へ行く途中の道にある、こじんまりしたお菓子のお店。
私は、いつもこの店から漂ってくる甘い香りを素通りしてきた。
この香りを捕まえてみたかった。
それだけ。
カララカラン・・・
ドアベルが音を立てる。
そうか、私が動かすものは、動くのよね。
喫茶店も兼ねている店内には、いくつかのテーブルが並んでいる。
人、全然いない。そんなものかな。小さなお店だし。
なんでだろう。
ずっと、ここに来てみたいなぁと思ってた。
なのに全然嬉しい気がしない。
何か欠けているような違和感がある。
なんてね。
どうしてなのか、そんなの初めからわかっている。
空気が違うんだ。
一番肝心な、焼きたてのお菓子の、甘いバターの香りがない。届いてこない。
『時』が止まっているせいだ。
黄昏の空気を、こんなにも無味乾燥なものにしてしまった。
なんの感動も、胸のときめきも無いままに、ガラスケースから、ケーキを選んで引っ張り出す。
クルミとラズベリーが飾られた、タルトみたいな形の小さなケーキ。
蜜がかかって、つやつやきらきらした光沢と彩りが綺麗。
でも、あまり美味しそうには見えない。
まるで作り物みたい・・・。プラスチックみたい。
香りもしない。
何もかも、生きたまま死んでしまったんだ。
やっぱりこれは、受験勉強に疲れた私が、うたた寝か何かしてしまって見ているだけの、奇妙な夢の一場面のような気がする。
でも、私の前には、私をさらう予定だったと告げた、彼がいる。
私はケーキを食べようとテーブルについて、彼はその向かいに座る。
紅茶を入れられないのが残念。
だって、動けるのが私しかいないなら、注文したって何も来ないもの。
お菓子屋さんで紅茶って、自分で入れるのってなんだか嫌。
私は、彼の無表情な瞳にじっと監視されながら、店内から探し出してきたフォークで、念願のケーキをつつく。
なんだか、ゴムをふにゃりとすくったような感じがするわ。
口に運ぶ。
鼻腔へ口内から流れた香りがやっと届く。
味がする。ちゃんと。よかった。
美味しい。
美味しい、よ。
一度、制服姿で、ここに立ち寄って、食べてみたかった味。
でも。
違う。
こんなの。
「おかしいよ・・・こんなの・・・」
自然と口から出てきた言葉がこれだった。
どうして、こんな奇妙なことになってしまったんだろう。
ざく
ケーキの味が、普段は動くことの無い私の感情を動かしてしまったのかしら。
何故なのかはわからない。
なんだか、無性に腹立たしい気がした。
食べ物をオモチャにする子供みたいに、フォークで綺麗なケーキを崩す。
スポンジがボロボロと、お皿の外にまで散らばる。
潰したフルーツの汁が、クリームと混ざりながらべしょべしょになって汚い。
こんなことになったって、こんなことになったって、ケーキはずっと、腐りはしない。
ガラスケースの中の、デコレーションケーキも、バスケットに盛られた狐色のマドレーヌやフィナンシェも、自分が何のために作られたのか知ることも無く、永久にこのままなんだ。
腐ったり干からびたりすることなく、プラスチックのオモチャみたいにずっと綺麗なままなんだ。
香りを奪われて、温かさも意味無しにされてしまったんだ。
私は、この店の中に来たのは初めてだ。
でも、でも、毎日のようにこの道を通りながら、くすぐったいような気持ちで胸が一杯になるような、温かい甘い香りをかいでいた。
あの香りはどこへ行ったのよ。
誰が、このケーキを焼くのかなんて知らないけど、こんな味気ないもの作ってた筈が無いじゃない。
返して。
返して。
『本物』が食べたかったのに。
「おかしいじゃない・・・」
一番おかしいのは私自身だ。
どうして今更こんなことを思うのだろう。
時間が止まってしまえばいいと、ずっと、思っていたのに。
世界は空虚だと・・・感じていたはずなのに。
世界は、私が感じていたほどには、空っぽではなかったのかもしれない。
香りの無い焼きたてのケーキよりマシだ。
どんなに待っても沈むことのない夕陽よりマシだ。
紅い夕陽は、宵闇に沈む。
揺れる花は、大地に落ちる。
走る列車は、線路を駆ける。
時は流れて、未来へ移ろう。
それは全て、当たり前のこと。
どんなに些細なことでも、『時』はこの地上に存在する万物が持っている『権利』・・・。
止めることなんかあってはならない。
奪われていい筈が無い。
遮ることを許される筈が無い。
こんな世界、許されるはずが無いのに!
例えそれが、一見、毎日何の変化も見せないような決まりきった光景であっても。
自然界のものも、人間も、皆同じ。
それなのに。
こんな・・・・・・・。
こんなことに今更気づくなんて。
時間とは何なのだろう。
時を奪われず動いている私と、止められた他の人と、何が違っているだろうか。
『生きている』ことの違いだろうか。
心臓が音を立てて、呼吸をして、流れて変化していく時に抗いながら焦りながら、前に進もうとしていくことができることだろうか。
今生きている?
今生きていない?
定まることの無い、命の定義。
私は、ケーキのお皿をそのままにして、外へ飛び出した。
ガランガラン カラン ・・・
ドアのベルが、さっきより激しい音をたてる。
一瞬、時間が動き出したのかと思ったけど、やっぱり外は、無音のままだった。
空の色も、変わらないまま。
ひどく、空っぽな気分がした。
私の世界は、毎日、同じことの繰り返しで、かわりばえが無かった。
平気なふりをしていたけれど、本当は、今すぐ死んだってかまわないくらい、退屈だった。
でも・・・・・・・。
そんな日常の中には、間違いなく『時』が存在し、世界はその中を流れていた。
全てが凍りついた光景の中でようやく気づく。
毎日のささやかな変化・・・・・・、風が花を散らすこと、雲が形を変えること、お菓子の香りに気づくこと・・・・、そんな小さなことが、どんなに貴重で、どんなに美しく素晴らしいものだったか。
知らない誰かと、言葉も無くすれ違う。
たったそれだけのことでも。
「君が、この世界を救いたいなら、方法はある・・・」
忘れていた。
この地球に存在しえないほど、機械的で無感情な口調が、小さな声で囁きかけた・・・・・・。
☆
また、プログラムが乱れている。
何か、電波のような波長。
感覚センサーをフル起動させて、発生源を探る。
原因は彼女だ。
乱れた波長・・・、それは、僕には無いもの。
『感情』のオーラ・・・。
その名前は『哀しみ』だろうか。
話してはならないことを、話そうとしている。
自分でも、どうしてだかわからない。自己分析不可能だ。
やっぱり僕は壊れてしまったんだ。
これは、僕を作った創造主に逆らう行動だ。
ということは、僕は自分の存在意義に逆らおうとしていると言うことだ。
それでも・・・何かせずに、いられないだろう。
なぜなら僕は。
動いている。
それに。
失くしたはずのプログラムを、取り戻してしまったから・・・・・・。
この世界に来て、そして、彼女に逢って。
だから。
告げた。
「僕らの世界から持ってきた装置がある。この世界の時を止める電波を出している装置だ。
僕には、操作することはできない。
・・・僕のようなアンドロイドには、操作できないように僕の中に設定されているんだ。
人でないと、できない。
・・・・・・・君なら、できる」
僕が失ってしまった物・・・・・・、僕が、奪われてしまったものを、君は、まだ、持っている。
今ならまだ間に合うんだ。
取り返すことが、できるかもしれない。
「僕にできるのは・・・作動中の装置を解除する手順を、君の中へインストールすること。
君の脳が、僕が送り込む信号を理解して、君がその通り行動してくれるなら、解除は可能だ」
この世界にはまだ存在しない科学が創りあげた、世界の方程式を崩すための方程式。
君はそれを。
受け止めることができるだろうか。
心を壊すことなく、自分のものにできるだろうか。
「君は、それをできるかい?君達のこの世界では想像できないような高度な文明の科学の結晶を脳に叩き込んで、精神に破綻をきたさずにいられるかい?」
繰り返される疑問の文法。
僕の機能では、人間の心を測定することはできないんだ。
「君のその細い指先の、小さな手で、悪魔のように複雑な未知の人工物を、正確に操ることができるかい・・・・・・?」
君は。
心というプログラムを持っている。
それさえなければ可能だろう。
だけど君は。
失ってはならないんだ。
僕のように・・・、奪われて、利用されるアンドロイドに加工されないでいてほしい。
まだ、完全体に・・・「大人」という最終形態になりきれていない、人間の少女。
彼女は、答えた。
「やってみせる」
と。
☆
塾に行って、勉強して。
高校に行って、勉強して。
大学に行って、会社に入って・・・・・・。
人間は、社会という歯車のひとつになるための道具にすぎない。
その流れから抜け出せるほどの大きな夢も力も、私には持てそうになかった。
大人にならずに、このまま時が止まってしまえばいいと思ったこともあった。
でも。
止まっちゃダメなんだ。
なぜなら、全ては動き続けている。
それが自然なことなのだから。
もう一度、世界を動かそう。
例え私を待つ未来が、機械仕掛けのように無機質な世の中だとしても。
それでも、毎日、紅くて美しい夕陽を見ることはできるでしょう。
「・・・ありがとう。ケーキ、美味しかった」
☆
少しだけ取り交わされる、簡単な会話。
いいの?もう行って。二度と寄り道できないかもしれないよ。
いいよ。本当はそんなに甘いものが好きじゃないの。毎日決まって歩く道から、少し外れてみたかっただけ。
私、勉強はできるけど、作り笑いってのはできないみたい。
・・・・・・でも、今のは作り笑いじゃなかったよ・・・・・・。
君は・・・きっと、この先未来がやってきたとしても、僕のような機械にはならないよ。
あの空の紅い光が、僕のプログラムを狂わせたように、君の心にも同じ作用が及んでいるはずだから。
未来は、来るだろうか。
来るよ。きっと。
この世界で、動いて生きたい、歩いて行きたいと思うなら。
じゃあ・・・
君に解除プログラムを与えよう。
うまく動かせるかどうかの保証はないけど。
手を出して
額をこちらへ
さあ
さあ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆
街路樹に挟まれた道路。
その途中にある進学塾。
塾の名前が入った大きな青い看板が、朱の陽光を照り返し、オレンジ色に輝いている。
建物の中には、黒い学生服の中学生が数十人。
皆、時を止めている。
参考書やノートや黒板を見つめたままの姿で。
あるいは、講師や生徒と会話をしている途中の姿で。
窓際のものは、横顔に、紅い陽の光を受けながら・・・・・・。
カン カン カン カン カン カン ・・・・・・・
ここにも、あの場所の踏み切りの警報機の音は届いていた。
空っぽな反響音が耳に残ったまま、彼らは時を止めている。止め続けている。
あの音は、何を警告していたのだろうか。
未来に夢を持つ者も持たない者も。
今なお来ない授業の開始を待ち続けている。
夕陽は
紅い
まだ




