旅は続いている。
佐藤浩平はふと気づくと馬車に乗っていた。
いつの間にかうたた寝をしていたらしい。
音楽が流れている。
聞いたことのない音楽なのに、何故か『先が分かる』不思議な曲だった。
「佐奈?」
思わず浩平は妻を呼んだ。
普段起きた時、必ずするように。
そして、普段通りに妻が返事をするのを待った刹那。
「魔王は強い」
噛みしめるようにアラドが口にする。
浩平は驚いて彼を見つめる。
会うのは初めてだ。
しかし、その姿は見れば一瞬で彼だと分かるほどによく『知っている』人物だ。
「まさか、俺が負けるなんてな」
アラドの隣には大剣が置かれている。
一欠けらでも屋敷が建つとされているオリハルコンで出来た人よりも大きい剣だ。
浩平はアラドがこの剣を片手で振るえるのを知っていた。
誰よりも。
「アラド……エレナはどうした?」
少しだけ迷った後に浩平はアラドに尋ねた。
アラドの幼馴染で結婚を約束した聖女を。
たった一人で国民全体を全て癒すことが出来るほどの聖なる力に満ちた女性の名を。
「分からない……くそ! 俺が居ながら……!」
浩平の頭の中に様々なことが浮かんだ。
先日にどうにか取れた契約のこと。
デスクの上に置きっぱなしになっている書類のこと。
佐奈のプリンを勝手に食べてしまいまだ謝っていないこと。
そろそろ子供を作ろうかと佐奈と話していながらも、どうにもすれ違いが多いこと。
初老になってしまった両親にそろそろ旅行の一つでもプレゼントしようかと思っていたこと。
……その中から。
アラドとエレナのことを思い出すのは実に困難だった。
それでも、浩平はどうにか二人のことを思い出すことが出来た。
長い時間が必要だった気もする。
一瞬で思い出せたような気もする。
確かなのはその思い出を直視するのが『困難』であったことだけだ。
「アラド」
しかし、思い出してしまえばあとは容易い。
浩平はアラドの名を呼び、彼へ告げた。
「ホームの街へ向かえ。エレナの居場所の手がかりがある」
「何故分かる?」
アラドの怪訝な声に浩平は今更ながらに気づく。
自分が十年も着続けたスーツでも、毛玉が目立つ部屋着でもなく、『闇夜を思わせる漆黒の、魔力に満ちた宵闇のローブ』を纏っていることに。
「俺に知らないことなどない」
「お前を信じろと?」
「それしかないだろう?」
浩平はそう言ってニヤリと笑い、アラドに回復魔法をかけた。
――その光景を浩平は見つめていた。
「お前たちは必ず勝つ。だから挫けるな」
アラドにそう宣言し。
浩平は馬車を飛び降りた。
呆然とするアラドをそのままにして――。
*
直後。
浩平は目覚めた。
見慣れた部屋の中で毛玉だらけの部屋着を着たまま。
「おはよ。ずっと寝言を言っていたよ」
「佐奈」
妻の声に浩平は笑う。
頬が赤くなるのを感じながら妻へ問う。
「僕、なんて言っていた?」
「分かんないよ。興味もないし」
「酷いな」
そう言いながら浩平は内心でほっとしていた。
話すのは流石に恥ずかしい。
そんな夢を見ていたから。
――なんて思っていると。
「アラドとエレナに会えたの?」
「は?」
佐奈の言葉に浩平はうろたえる。
「聞いていたの?」
「何とか聞き取れたのよ。名前聞くまで忘れていたけど」
「忘れておけよ、もう……あー! もう恥ずかし!」
「一回思い出したら色々と思い出しちゃったよ。確か魔王退治の途中だったよね?」
「うっわ! マジで忘れて! 色々恥ずかしくなってきたから!」
二十年近く前の記憶が甦る。
ゲームだったか、漫画だったか……あるいはその全てに影響されて書いた、いわゆるオリジナルの小説。
今日、この日までその存在さえ忘れていたのに。
「懐かしいなぁ。私、無理やり読まされたよね?」
「お願い。本当にやめてくれ……」
「そのくせ感想を求められてさぁ」
「あーあ、もう。やめろって」
「なんかすっごい大きい剣と滅茶苦茶な魔法? のコンビだったよね。魔王を倒すのが目的で……」
佐奈の言葉に頭を抱えながら浩平は心の中で、本当に僅かにだけ――細やかな嬉しさを感じていた。
すっかり忘れていたことが不意に思い出される。
それはまるで意図せず旧友に出会ったかのような、そんな心持だった。
「それで。魔王は倒せたの?」
ニヤニヤ笑う妻に浩平はぶっきらぼうに告げた。
「まだ途中だよ。どうなるか分からない」
「考えてないからね」
「うるせえ」
両手で頬を隠しながら、浩平は佐奈に聞こえないように呟いていた。
「魔王退治なんてとっくに終わってるよ」
そう。
結局書かれることはなかったけれど、アラドとエレナは魔王をしっかり倒していた。
少なくとも劇的に倒すシーンは何度も何度も浩平の頭の中で繰り返されていた。
そして、その後の幸せな結婚からの、愛に満ちた結婚生活も――皮肉なことにそれを当時はまだ付き合ってもいなかった佐奈に見られるのが嫌で書くのをやめてしまったのだが。
「二人の旅は続くんだよ。いつまでも」
吐き捨てるように言った浩平の言葉に妻は笑うばかりだった。




