引き継ぎ、しました
手慰み、第数弾であります。
お楽しみいただけたら、幸いであります。
王太子の執務が、突然止まった。
それまで、難なく動いていた業務の数々が、思い通りに運ばなくなったのだ。
王太子は、補助を失敗した婚約者を慰めながら、かつてその座にいた令嬢に毒づく。
「おのれ、あの女。大事なことをわざと、引き継がなかったなっ」
確かに、婚約破棄と解雇は同時で、その時間はなかったかもしれないが、それならば、その事情を説明して、愛しい人に分かりやすく引き継いで欲しかった。
いや、それ以前に、周囲の判断を決める上で大事な情報くらいは、共有していて欲しかった。
「これは、嫌がらせの域を、越えておりますね」
苦い顔の宰相子息に頷き、王太子は元婚約者である侯爵令嬢を、王城に召喚した。
婚約を破棄された侯爵令嬢は、最近代替わりした辺境伯の求婚を受け、現在嫁入り準備中だった。
侯爵と共にやって来た令嬢は、王太子の厳しい詰問に、不思議そうに首を傾げた。
「? わたくしの、生来の業務に関しましては、既に婚約者様に、引き継ぎ済みでございます」
「そんなはずはない。周囲の国々の王への接客や、話題の切り出し方は、習っていないと言っているぞっ」
「はい。その件は、引き継いでおりません」
あっさりと答えた侯爵令嬢は、王太子の我が意を得たり、と勢いよく怒鳴ろうとする前に、続けた。
「わたくしも、正確に習った作業では、ございませんので」
「は? 何を、言って……」
「その業務は元々」
怪訝な顔の王太子を見つめながら、侯爵令嬢は不思議そうに言った。
「殿下が担当しているものです。わたくしの時は、嫌がらせなのか事前説明なく、ただ代わりに行うよう命じられただけですが、愛しい方へは正しい方法の伝授がなされると、思っておりました」
言葉をなくした王太子の隣に座る婚約者が、目を見開いて首を激しく横に振る。
それを見て、侯爵令嬢は目を丸くする。
「わたくしが王城に入る前は、殿下が受け持っていたと案件だと、聞き及んでおりましたが……」
執務室に、沈黙が落ちた。
何事も、根回しは大事だ。
前の人生で、辺境伯はしみじみと実感した。
この国の職場の多くは、王城のそれと同じく、退職の際の引き継ぎの猶予が、極端に短い。
侯爵令嬢の場合も、婚約破棄された直後に王城での執務作業をクビになり、最小限の荷物を持って出る余裕しか、与えられなかったそうだ。
見合いの時、仕事仲間だった執務官の方々に、挨拶すら出来なかったと、侯爵令嬢は悲しそうに話してくれたが、その時には、一抹の不安が芽生えていた。
辺境伯は、前世の記憶がある。
日本の関西で一人暮らしをしていた、万年派遣社員の男の記憶だ。
長く住んでいたマンションの一室を、事故物件にしない、と言う切実な目標を掲げて生活し、最期は無事緊急搬送された病院で迎える事が出来た後、何故かこの世界に転生していた。
長年の派遣社員生活で、契約終了時の引き継ぎは大事だと、身に沁みている。
特に、事務や製造加工、取引を伴う接客には、実際に業務を行なっていた退職予定者のノウハウも、必要になる場合があり、定番の作業マニュアルと共に、引き継ぐ。
そのために、自己退社でも解雇でも、ひと月前の通達が求められると言うのに、この世界では、その辺りも遅れていた。
侯爵令嬢の話では、婚約破棄は予想していたが、職まで無くすとは思っていなかったらしいので、これは最悪な事態が予想された。
だから、その見合いが好感触だったのを受け、いささか強引に縁談を進め、早く辺境に連れ帰ってしまおうと考え、急ピッチで準備を進めた。
後の事は、後から考えればいい。
今は、今後来るであろう、王城からの理不尽な責め立てから、令嬢を逃がす方が先だ。
だが、そこまでやっても、遅かった。
もしやと思っていたのだが、侯爵令嬢はかなり有能だった。
そのため、執務官仲間の中でも、かなり大事な作業を請け負っていたようで、跡を継いだ執務官の定番のマニュアルに沿った作業では、立ち行かなくなったのだ。
嫁入り準備中の令嬢は、引き継ぎと執務官仲間の手伝いに駆り出され、そのまま戻らなかった。
令嬢の父親の話では、執務の引き継ぎに戻った令嬢は、半月ほどでそれを終えたそうだが、王太子の婚約者への引き継ぎを怠った罪で、生涯執務室で飼い殺しが決定したらしい。
「……」
「折角の縁談ですが、このような仕儀となりましたので、白紙にさせていただく」
「それは、侯爵家の意も、含まれていますか?」
「……」
黙り込む姿を見るまでもなく、答えは知っていた。
侯爵家は、この世界には珍しく、家族全員の仲が良かった。
跡継ぎの長男は自分と同期で、その縁で令嬢との縁談が持ち上がったのだが、顔合わせ前から、妹の持ち上げが甘々だったし、令嬢の下の弟妹たちも、先の婚約の結末に憤り、姉の幸せを願っていた。
前世でもこの人生でも、家族との縁が薄い自分から見ると理想的な家族像で、それを壊す国は、果たして存続している価値が、あるだろうか?
辺境の領地で、幾多の脅威も阻み続けて来た辺境伯は、暗く考えつつ領地に戻ったが、そこから唐突に、巻き戻った。
侯爵家の長男から、手紙を貰った頃だ。
王城に勤める妹が、王太子との関係を解消出来ないか、相談して来たと、何故かこちらに相談を回してきた手紙だ。
当時は、難しいんじゃないかと返したが、少し考え直して、向こうから申し出るのを待つしかないと返したら、令息が辺境までやってきた。
「こん畜生っ。お前、あの後、どんだけ大変だったかっ。この、阿保阿保阿保っ」
貴族の子息にあるまじき言葉使いだが、辺境伯は全く別な事が引っかかった。
「お前、前の人生の記憶も、あるのか?」
「おう。前々世と合わせた記憶で、頭がぱんぱんだっ」
同期の侯爵令息は、前々世でも同期だった。
確かこちらは、自分よりかなり早く孤独死してしまった筈なのに年も同じで、再会した時は双方困惑したが、まあ、異世界転生あるあるなんだろうと、最後には納得した。
「前回は、お前の方が、情け無い死に様だったぞっ」
訪ねて来た侯爵令息は、夜グラスを傾けながら、言った。
「ほう。お前は、エロい画像のソフトの通販が届いて、喜び勇んで玄関に出ようとして、自分の靴につまづいて転んでしまったのが原因だったが、その上を行くのか?」
「黙れえっっ。何故、そこまで知ってるっ?」
「 いや、オレの部屋、隣だったし。尋常な音で外見たら、配達員顔面蒼白で固まってたから、代わりに救急車呼んだの、オレだし」
「おのれっ。世話かけたなっ」
呪いの言葉に感謝の言葉を添える、全く変わらない同期に、自分の情け無い最期とやらを訊くと、どうやら領地に戻る途中、賊に襲われて崖から落ちたらしい。
「お前の部下に密かに訊いた話だと、お前、賊を全て確保した後、その顔を確認しようと馬を降りようとして、間違えて崖の方に足を下ろしたそうだ」
地面があると思っていた辺境伯は、慌てて体勢を戻そうとしたが、馬が驚いて前足を上げて駆け出してしまい、そのまま真っ逆さまだったそうだ。
「……」
比べる話ではないが、確かに情け無い。
辺境伯は、思わずグラスの中身を一気に煽ってしまった。
同じようにグラスを傾けながら、侯爵令息は続けて吐き捨てる。
「戻ってきた妹の悲しむ姿、どれだけ辛かったかっ」
「! 戻って来たって、本当かっ?」
「本当に決まってんだろ。そんな事で嘘なんか、つかねえって」
侯爵令嬢が王城から戻ったのは、辺境伯の死から三か月後だった。
彼女の後に王太子の婚約者になった令嬢は、意外に飲み込みが早く、しかも、ある事実に気づいてしまった。
王太子が自分と会っている時、彼の業務を肩代わりしていたのが、侯爵令嬢だった事に。
彼女は、本当に聡明だ。
その事実を知ると同時に、今後の不安を見た。
「相思相愛の今のうちに、この事実を国王陛下に報告し、王太子は叱りを受けた上で、業務中は監視がつくようになった。そして、婚約者様の計らいで、妹も帰される運びになったんだ」
辺境伯は、溜息を吐いた。
「辺境を放棄する必要は、なくなっていたんだな」
「は?」
思わず呟いた辺境伯は、それでも、一歩間違えたら、すれ違いになっていたなと、自分の死に感謝した。
王城は令嬢の解放に、三か月かかっている。
もし辺境伯が無事に領地に戻っていたら、兵を集めて領地を捨て、王都に舞い戻って王城から王家を引きづりだし、彼らにギャフンと言わせるまでで二月掛からない自信がある。
「おいっ、まさかお前っ。国を他国に売り渡す気だったのかっ?」
「いや? 無償で差し出してもいいかと、やけくそになっていただけだ」
「っ。危なっ。お前が情け無い死に様を見せてくれて、助かった」
辺境伯には、兄弟はいないが、予備はいた。
前の人生では、予定通り従弟が辺境伯の地位を継いで、国は安泰だったと言う。
「だが、妹は結局、修道院に入ってしまった。だからお前、今回こそはっ、すれ違わず、遠回りもせずに、妹を幸せにするぞっ」
内心舌打ちした辺境伯に、侯爵令息は真剣に言って、根回しを始めた。
これから王太子の婚約者となる令嬢に、それとなく自分の業務を引き継いでおくよう、妹にアドバイスしたのも、侯爵令息だ。
執務官の中にも、前の人生の記憶がある者がいたらしく、各業務のマニュアルが、より詳しくなったのも、その頃かららしい。
問題が起きるのを遅らせるのには、成功した。
王太子の理不尽な責めを受けるのは止められなかったが、保護者の侯爵が立ちあった事で、令嬢も反論出来たようだ。
すぐに、侯爵令嬢は屋敷に戻って、嫁入り準備を再開した。
いよいよ本当に、辺境伯は妻を娶る。
三度の人生で、初めての経験だ。
色々と不安はあるが、まずは何より、崖から落ちないよう、無事彼女と領地に戻ろう。
定番のマニュアルだけで、前任者と同じように業務を遂行するのは、難しいですね。




