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偽聖女は巡礼中。ーーえ? 護衛が神様ですって?  作者: 絹ごし春雨


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八話 前夜の静けさ

夕刻、神殿の空気が変わった。


昼のざわめきが引き、回廊を渡る足音が減る。

声は自然と低くなり、準備が終わった者から、その場を離れていった。


出立は明朝。

それを口にする者はいない。

確認する必要がないことだった。


ルーナは倉庫の前に立ち、帳簿を抱えていた。

開け放たれた扉の奥で、荷がまとめられていく。

布に包まれた道具。祈祷用の香。簡素な寝具。


項目を追い、印をつける。

誰も立ち止まらない。

欠けているものがないからだ。


「……確認は以上です」


神官に告げると、短く頷きが返ってきた。


「B班はこれで揃ったな」


その言葉に、実感が遅れて追いつく。

揃った、ということは、動くということだ。


倉庫を離れると、回廊の影に銀色があった。


アルトだ。


彼は今日も前に出ない。

だが、立つ位置が変わっている。


これまでは、人の流れが交わる場所だった。

今は、B班が使う動線の始点に立っている。


「……準備は終わりましたか」


「はい」


それだけのやり取りなのに、胸の奥が少し落ち着いた。

準備が終わった、と言葉にした瞬間、戻れない場所へ足を踏み入れた気がする。


「夜の見回りは、私が担当します」


アルトが言った。


「……ありがとうございます」


そう返すと、彼はわずかに頷いた。


夕食は簡素だった。

神殿に残る者と、巡礼に出る者が混ざり合い、しかしどこか距離がある。

言葉は少なく、食器の音だけが響く。


その静けさが少し怖かった。


ヴェロニカの姿はなかった。

彼女はA班とともに、別の控え室を使っていると聞いている。


(彼女は、何を思っているのだろう)


そう思って、考えるのをやめた。

比べても意味はない。


食事を終え、ルーナは自分の部屋へ戻った。

荷は少ない。着替えと、祈祷用の小さな道具。

それだけでいい、と自分に言い聞かせる。


外套を畳んでいると、扉を叩く音がした。


「失礼」


アルトの声だった。


扉を開けると、彼は廊下に立っている。

昼よりも少し近い距離。


「夜間の巡回です。……その前に」


言葉を選んでいるのが分かる。


「明朝から、巡礼が始まります」


「はい」


「その間、あなたの周囲の警戒は私が引き受けます」


それは、もう分かっていることだった。

昼にも聞いた。配置表にもあった。


それでも、改めて言われると重みが違う。


「……ご負担では?」


問いは自然に口をついて出た。


アルトは一瞬だけ視線を伏せ、それから答えた。


「いいえ」


短い言葉。

けれど、気持ちは伝わる。


「それに……」


続けかけて、止める。


「いえ。問題ありません」


問題がない、という言葉ほど、信用できないものはない。

それでも、追及はしなかった。


「ありがとうございます」


ルーナはそう言って、軽く頭を下げた。


アルトは返事をしなかった。

代わりに、一歩だけ位置をずらす。扉と回廊の間。

守るための位置。


「今夜は冷えます」


「はい」


「外套は、手の届くところに」


「……分かりました」


それ以上の言葉はなかった。

彼は静かにその場を離れる。


扉を閉めて、ルーナは外套に触れた。

昼間より、少しだけ重く感じる。


夜の祈りは短く済ませた。

明日を思うと、言葉が増えすぎる気がした。


(どうか、滞りなく)


それだけ。


祈りを終え、灯を落とす。

外から、一定の間隔で足音が聞こえる。


近すぎず、遠すぎず。


(……いる)


その事実だけで、胸の奥が静まった。


深夜、風の音で目が覚めた。

外套を手に取り、部屋を出る。


部屋にいるのが息苦しく感じた。


回廊は暗い。

灯が落とされ、非常用の小さな明かりだけが残っている。


「眠れませんか」


背後から、低い声。


振り返ると、アルトがいた。

いつもの位置より、少し近い。


「少し……」


それ以上、言葉が続かない。


「巡礼の前夜は、そういうものでしょう」


彼はそう言って、回廊の窓の方を見た。

外は星が少ない。


「きっと他の誰かも、同じようなものです」


「……そう、ですか」


「ええ」


彼は、それ以上A班の話をしなかった。

ヴェロニカの名も出ない。


沈黙が落ちる。

不自然ではない沈黙。


「明日から、村を巡ります」


ルーナが言った。


「はい」


「神器は……」


「村に祀られています。」


答えは即座だった。


「聖女達を待っている」


それはどこか意味深で、


「……はい」


その言葉に、わずかな重みが乗る。


「あなたは、影ではありません」


アルトが言った。


ルーナは、言葉の意味を測りかねて黙った。


「……あなたは、あなたとしてまわればいい」


すぐに補足が入る。


「私、として」


それなら大丈夫、だろうか。

私にも理解できる形に、言い直してくれたのだ。


「ありがとうございます」


他に言葉が見つからなかった。

ただ伝えたくて、その言葉を言った。


風が吹き抜け、灯が揺れる。

影が二つ、壁に並ぶ。


「休んでください」


アルトが言った。


「明日は早い」


「……はい」


部屋へ戻る前に、一度だけ振り返る。


アルトは、そこにいた。

動かない。だが、離れない。


扉を閉め、外套を羽織る。

横になると、足音がまた一定の距離に戻る。


近すぎず、遠すぎず。


それが、明日からの日常になる。


そう思った瞬間、

巡礼がもう始まっているのだと気づいた。

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