七話 分たれる名簿
朝の祈りが終わるころ、神殿の奥が少しだけざわついた。
声は低く、短い。
扉が閉まる音が、いつもより早い。
ルーナは礼拝堂の片付けをしていた。燭台の芯を整え、布を畳む。手の動きは変わらない。変わらないまま、空気だけが先へ進んでいる。
回廊を抜けると、掲示板の前に人が集まっていた。紙が一枚、増えている。
近づかなくても、文字は読めた。
巡礼。日程。分割。
誰かが小さく息を吸い、誰かが頷く。
反応は控えめで、驚きはない。
「危険の分散、だそうだ」
誰かの声が言った。
ざわざわとしたざわめき。
ルーナは立ち止まらずに通り過ぎた。
紙の端が、風でわずかに揺れているのを見た。
午前の務めが終わり、控えの間で帳簿を閉じる。
隣の机では、名簿が開かれていた。指が走り、線が引かれる。
「こちらはA班」
「では、B班は——」
言葉は途中で切れる。
扉が開いたからだ。
アルトが立っていた。
「……失礼」
それだけ言って、回廊の向こうへ下がる。
名簿は閉じられ、声は消える。
ルーナは帳簿を抱え、外へ出た。
中庭は明るい。
風が通り、外套の端が軽く揺れる。
「分かれて出るそうですね」
声は後ろからだった。
振り返ると、アルトが少し離れた場所に立っている。
前に出ない。けれど、離れすぎもしない。
「はい」
それだけ答える。
「名目は、危険の分散とのことですが」
あなたは納得を? と続けた。
「私でお役に立てるなら、と」
「……なるほど」
言葉はそれ以上続かない。
理解した、という合図だけが残る。
昼過ぎ、神官から短い説明があった。
巡礼は二手に分かれる。聖女は出る。影武者も立てる。
「外聞のためだ」
はっきり言葉にされて、ルーナは戸惑った。
ルーナは頷いた。
頷くことに、理由はいらない。
午後、回廊を歩くと、視線が一度だけ集まる。
すぐに逸れる。
影、という言葉が、空気に混じっている。
礼拝堂の端で、アルトが立っていた。
いつもの位置。
「配置が決まりました」
彼の声は低い。
「あなたの班に、私がつきます」
ルーナは一拍だけ、間を置いた。
「……よろしくお願いします」
「はい」
「……心強く思います。よろしく、お願いしますね」
改めて言うと、
「……はい」
穏やかな声が返った。
距離は変わらない。
けれど、影の向きが揃った気がした。
夕方、鐘が鳴る。
区切りの音。
中庭を横切ると、二つの道が分かれていた。
どちらも、まだ歩いていない。
ルーナは立ち止まらない。
足は自然と、一つの方へ向かう。
少し遅れて、足音が重なる。
近すぎず、遠すぎず。
巡礼の名目は、もう整っている。
その中で、何が守られるのかは、まだ言葉にならない。
春の光が、石畳を薄く照らしていた。




