五十四話 見てしまった祈り
彼が感じたのは、最初は、違和感だった。
暁光神殿の朝は、いつも同じだ。
光の入り方も、祈りの声も、足音の響きも。
彼は、神としてそれを見下ろしていた。
聖女ヴェロニカの祈りは、整っている。
声の高さも、言葉の選び方も、間も正しい。
祈りは届く。
拒むようなものでもない。
それなのに、
どこにも引っかからなかった。
水をすくおうとして、
指の間からそのまま落ちていく感覚。
――悪くはない。
――けれど、残らない。
彼は視線をずらした。
列の端。
祈りの輪から、少し外れた場所。
そこに、ルーナがいた。
声は小さく、言葉も短い。
祈りというより、呼吸に近い。
願っているようにも見えなかった。
それなのに。
(……あ)
一瞬、意識が止まった。
触れた、と思ったわけじゃない。
呼ばれたとも違う。
ただ、
そこに在った。
最初から。
ルーナの祈りは、彼を見ていない。
それでも、世界のほうが静かに揃っていく。
朝が朝であること。
今日が今日として終わること。
神に向けた言葉ではないのに、
神がそこにいなくても成立してしまう祈り。
それが、なぜか――
彼を外さなかった。
(……目が、離れない)
そう思ったのは、
判断じゃなく、確認に近い。
彼は、その日から、
ルーナから視線を離せなくなった。
理由を探そうとはしなかった。
名前をつける必要もなかった。
ただ、
正しい位置が、そこにあると分かってしまった。
だから、待った。
巡礼が終わるまで。
順序が崩れないように。
その間、彼は人の姿を取った。
護衛騎士として、ルーナの隣に立った。
守るためではない。
導くためでもない。
正しい位置に戻すため。
そう思っていた。
けれど――
彼女が祈るたび、
その考えは少しずつ薄れていった。
触れないはずのものに、
触れてしまう感覚だけが、残る。
それが何かは、
まだ言葉にできなかった。
ただ一つ、確かなことがある。
彼はもう、
ルーナを“見ない”ことなど考えられなかった。




