五十二話 呼び名を取り戻す
聖典を前にルーナは立ち尽くしていた。
どれだけ経ったことだろう。
コツン、と後ろに靴音。
振り返らなくてもわかる。
わかって、しまった。
ルーナは深呼吸をした。
息を整える。
ゆっくりと振り向くと、
そこにはアルトが立っていた。
この場所は鍵がないルーナだけが足を踏み入れた場所。
アルトは、ルーナの前で立ち止まる。
「……ここまで来てしまいましたね」
それだけ言って、
一度、目を伏せた。
「……神さま」
泣きそうな顔をしていると思う。
それがどんな感情からかなんて、ルーナには分からなかった。
嬉しくて、でもそれよりもずっと寂しくて、
いつもの銀の鎧のアルトを見上げる。
彼は苦笑した。
「もう、アルトさん、とは呼んでくれないのですか?」
隠しきれない、愛しさと寂しさを眼差しに乗せて。
ルーナの唇が震えた。
呼びたい。
けれど、呼んでも良いのだろうか。
じっと見上げる。
感情がぐちゃぐちゃだ。
「“呼んで。ルーナ”」
それが合図だった。
「アルトさん……!」
ルーナは顔を手で覆った。
理由の知れない涙が出てくる。
祈りは、届いていた。
しかも、こんな近くに。
アルトがゆっくりと歩み寄ってくる。
そして、やわらかくルーナを抱きしめた。
「鎧、冷たいですか? ……今は我慢してくださいね」
なんて言うから、余計にルーナは泣いた。
ぐずぐずと鼻をすするルーナの頭をアルトは、その大きな手で撫でた。
「頑張りましたね」
今は何にも考えずに休みましょう。そう言われて、ルーナはアルトの腕の中で目を閉じた。




