四十四話 遠い気配
ヴェロニカがそれに気づいたのは、足を止めたときだった。
理由はない。
ただ、進むのをやめた。
声も、足音も、ない。
回廊は静かで、柱も棚も変わらない。
それなのに。
気配じゃない。認識だけが先に触れた。
(……いる)
ヴェロニカは、眉を寄せた。
誰かが近づいたわけではない。
背後でも、前方でもない。
位置を特定できる距離ではない。
けれど、確かに――
「……あの子、来たの?」
言葉が、零れた。
誰に聞いたわけでもない。
返事を期待したわけでもない。
ただ、思ってしまった。
無駄なのに。
ここに来る必要なんて、ないはずなのに。
そう言い切ったのは、自分だ。
唇を噛む。
(……馬鹿みたい)
遠い。
はっきりと遠い。
声は届かない。
姿も見えない。
それでも、“いない”とは言えなかった。
気配は薄い。
霧みたいに、掴めない。
けれど、消えてはいない。
(……来るはずがない)
そう思うのに、
“来たかもしれない”という考えが、消えない。
ヴェロニカは、ゆっくりと息を吐いた。
感情が動いたわけではない。
懐かしさでも、安心でもない。
ただ、認識がひとつ増えただけだ。
――自分は、ここで一人ではないかもしれない。
それが何を意味するのか、考えない。
考える必要は、まだない。
ヴェロニカは歩き出す。
気配の方へではない。
正面へでもない。
ただ、今いる場所から、少しだけ離れる。
確かめに行かない。
呼びかけもしない。
それでも、その感覚は残ったままだった。
遠くて、
薄くて、
それでも――
確かに、いる。
(……来たのね)
声に出さず、そう思う。
それが祈りか、苛立ちか、
それとも単なる事実確認なのか。
ヴェロニカ自身、まだ分かっていなかった。




