四十二話 重ならない足音
次に変わったのは、足音だった。
消えた、というほど大げさではない。
ただ、重ならなくなった。
ルーナは歩きながら、無意識に歩調を落とした。
自分の足音は分かる。衣擦れの音も分かる。
けれど、その後ろにあるはずのものが、少しずれている。
「……神官様」
声をかける。
「はい」
返事はすぐ返ってきた。
早すぎるくらいだ。
ルーナは振り返る。
神官はいつもの距離にいる。表情も変わらない。
「……いえ」
それ以上は言わず、前を向いた。
通路は続いている。
柱と棚と、壁の灯り。
どれも変わらない――ように見える。
「……さっき、ここ通りましたか」
随行の一人が言った。
問いというより、確認だ。
「通りました」
神官が答える。
少し間を置いてから。
「……ですよね」
誰も続けない。
分岐が現れた。
三つ――いや、四つ。
「……増えてません?」
今度は、はっきりした声だった。
ルーナは分岐を見た。
増えたかどうか、断言はできない。
ただ、“さっきより多い気がする”。
「全員います」
アルトが言った。
短い言葉だった。
でも、その一言で、空気が落ち着く。
ルーナは一人ずつを見る。
数える。
いる。
「……行きましょう」
進路は、自然にルーナの前に集まる。
誰かが選べ、と言ったわけではない。
ルーナは、少しだけ斜めに見える通路を選んだ。
理由はない。
けれど、違和感もない。
歩き出すと、アルトの位置が変わった。
半歩、後ろ。
「……?」
見上げると、視線が合う。
「見えています」
それだけ言って、前を向いた。
通路は広くなり、棚が消えた。
柱だけが並ぶ。
音が、薄い。
「……声、届きますか」
誰かが名を呼ぶ。
返事は返る。
けれど、方向が分からない。
ルーナは思わず、アルトの袖に触れた。
掴まない。
触れるだけ。
布の感触は、はっきりしている。
「……詰めましょう」
神官が言う。
全員が意識して距離を縮める。
縮めた、はずだった。
気づくと、また少し開いている。
「……あれ?」
随行が立ち止まる。
「人数、合ってます?」
全員が止まり、数える。
いる。
全員いる。
「……すみません」
随行は苦笑した。
「一瞬、後ろが……」
それ以上は言わなかった。
分岐が、また現れる。
今度は五つ。
誰も数を口にしない。
「止まりましょう」
アルトの声だった。
立ち止まると、逆に落ち着かない。
「……確認しましょう」
神官が言う。
「名前を」
一人ずつ呼ぶ。
返事が返る。
返るが、順番がずれる。
呼ばれていない方向から声がする。
少し遅れて、正しい返事が返る。
「……今の」
誰かが言いかけて、やめた。
ルーナの番。
「ルーナ」
「はい」
返事をした。
声が、やけに近く聞こえた。
アルトの番。
「アルト」
「はい」
声は少し離れた位置から返る。
でも、彼はすぐ横にいる。
距離が、合わない。
「……進みましょう」
誰も反対しない。
歩き出すと、衣擦れの音まで曖昧になる。
ルーナは自分の呼吸に意識を向けた。
吸う。
吐く。
それは、ちゃんと聞こえる。
「……ルーナ」
アルトが呼ぶ。
「はい」
「今、足音はいくつ聞こえますか」
ルーナは耳を澄ませた。
自分。
近くに一つ。
少し遠くに、もう一つ。
それ以上は、分からない。
「……全部じゃないです」
「それでいい」
アルトはそれ以上言わなかった。
歩く。
分岐を越える。
誰かの気配が、少し遠くなる。
それでも、いなくなったとは思わない。
ただ――
“そこにいる感じ”が薄れていくだけだ。
沈黙の書庫は、
人を減らさない。
代わりに、
人の位置を曖昧にする。
それに気づいたとき、
ルーナは初めて思った。
(……これは、どこまで続くの)




