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偽聖女は巡礼中。ーーえ? 護衛が神様ですって?  作者: 絹ごし春雨


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四話 足の重み

 今日は、少しだけ足が重かった。


(……疲れたのかな)


暁光神殿の朝は、昨日までと変わらず始まっている。

同じ鐘の音、同じ香の匂い、同じ白い光。

けれど、ルーナの中だけが、ほんのわずかにずれていた。


祈祷の前に立った感覚が、まだ体の奥に残っている。

声を張ったわけでもないのに、喉が乾く。

祈りの言葉も、いつもと同じだったはずなのに。


(考えすぎね)


理由を探すのが癖になりそうで、ルーナは思考を手放す。

下級巫女の仕事は変わらない。

祭具を清め、香を焚き、床を拭き、帳簿を整える。

祈りの場が整っていれば、それでいい。


それでも今日は、歩調がほんの少し遅かった。


水桶を運ぶ途中、回廊の影がいつもより冷えている気がして、

ルーナは無意識に肩をすくめた。

窓から差し込む朝の光は綺麗なのに、石の冷たさだけが残る。


「……ルーナ」


声に呼ばれて、足を止める。


年嵩の神官が立っていた。

昨日の打診をした人とは別の顔だ。

視線が早く、仕事を割り振るときのそれだった。


「今日は礼拝室の香の補充を。あと、帳の洗い替えも頼む」

「はい」


返事はすぐに出る。

返事を迷う必要のない仕事は、ありがたい。


神官は一瞬だけ言葉を探すようにしてから、続けた。


「……昨日は、助かった」


淡泊な言い方だった。

礼とも、確認とも取れる。


ルーナは何か返そうとして、やめた。

神官の背中はもう、回廊の向こうに消えている。


(言葉は、いらないのかも)


そう思い、仕事に戻った。


 


 礼拝室の香を補充し、帳を外し、洗い場へ運ぶ。

水は冷たく、指先がすぐに痺れた。


布を揉むたび、香が水に溶け出して薄くなる。

洗い場の空気はいつも湿っているのに、今日は乾いた冷えが混じっている。


(……冬が近い)


そう思った瞬間、軽い眩暈がした。


視界がふっと白くなる。

ルーナは洗い桶の縁に指を置き、呼吸を整えた。


(大丈夫)


誰に言うでもなく、自分に言い聞かせる。


眩暈はすぐに引いた。

布を絞り、何事もなかったように作業を終える。


けれど、足の重さは消えなかった。


 


 昼過ぎ。

神殿の空気が、少しだけ張りつめる。


大礼拝堂の方から、ヴェロニカの声が聞こえた。


「まだ? いつまで待たせるの。私、今日は外に出る予定なのよ」


苛立ちを隠さない声。

祈りの場で聞くには、あまりにもはっきりしている。


ルーナは回廊の端で立ち止まり、視線を落としたまま、その声を聞いていた。


直接関わらない。

顔を上げない。

余計な気配を立てない。


それが、下級巫女の立ち位置だ。


(今日も、聖女様はご機嫌が悪い)


そう思うだけで、終わらせる。


けれど、胸の奥に残るものがあった。


昨日。

ヴェロニカのいない場で祈りを捧げたこと。

それが、何事もなく終わったこと。


むしろ、「穏やかだった」と言われたこと。


(……それで、いいのでしょうか)


考え始めると、答えのないところへ落ちそうで、

ルーナは歩き出した。


 


夕方。

下級巫女用の礼拝室へ向かう足取りは、朝よりも重い。


仕事は終わっている。

残っているのは、いつもの祈りだけ。


扉を閉めると、外の音が薄くなる。

白い壁、小さな祭壇。

ここだけは、神殿の中でもひそやかだ。


ルーナは膝を折り、手を組んだ。


(今日も、一日が終わりました)


特別な願いはない。

奇跡を求める気持ちは、どこかで抑えている。

求めれば、見返りが必要になる気がしたから。


けれど今日は、言葉が少しだけ続いた。


(皆が、無事でありますように)

(……聖女様も)


口をついて出た願いに、ルーナ自身が驚く。


誰かのため、というより、

ただ、そうであってほしいと思っただけだ。


祈りを終え、立ち上がる。


扉の外に、気配があった。


「失礼」


低い声。

聞き慣れてきたことに、少しだけ戸惑う。


扉を開けると、回廊にアルトが立っていた。

今日も、同じ距離。


「夜間の巡回です」


「……ありがとうございます」


一拍置いて、ルーナは口を開いた。


「アルトさん……」


名を呼んでから、

いつの間にか、聞いた覚えのない名前を自然にそう呼んでいることに気づく。


「よく巡回に来てくださいますけど、この辺りが担当なんですか?」


「……ええ。まあ」


曖昧な答え。

けれど、不思議と疑問には思わなかった。


「変なことを聞いてしまって……」


視線を落とすと、アルトは短く言った。


「謝ることではありません」


その声が、思いのほか柔らかく響く。


ルーナは顔を上げた。


灯りの下で見る彼の表情は、いつもより穏やかに見えた。


(この人と話すのは……)


嫌いではない。

その事実だけが、静かに胸に残る。


足音が重なり、歩調が揃う。


足はまだ少し重い。

それでも、不思議と歩きにくくはなかった。


誰かが、すぐそばにいる。

それだけで。


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