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偽聖女は巡礼中。ーーえ? 護衛が神様ですって?  作者: 絹ごし春雨


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三十三話 待つと言う選択

「……我々は、ここで待ちましょう」


アルトの声は、広場に残った一行の中に落ちた。


すでに、ヴェロニカの姿はない。

足音も、随行の気配も、もう遠い。


残っているのは、土埃が沈んだあとの静けさだけだった。


神官が、ゆっくりと振り返る。


「……よろしいのですか」


責める調子ではない。

確認に近い。


「ええ」


アルトは短く答えた。


「今、進む理由がありません」


それ以上は言わない。


神官は一拍だけ黙り、

やがて小さく息を吐いた。


「……分かりました」


理由を求めない了承だった。


誰も異を唱えない。

誰も、追おうとしない。


決断は、もう済んでいる。


ルーナは、広場の端で立ち止まったままだった。


去った背中を追っていないことに、

ほっとしたのか、戸惑ったのか、自分でも分からない。


ただ、足は動かなかった。


アルトの方を見る。


彼は、こちらを見ていなかった。

だが、その立ち位置は、いつもと同じだ。


近すぎず、遠すぎず。

守るための距離。


「……行かなくて、よかったんですか」


声は、自然に出た。


責めでも、不安でもない。

ただの確認。


アルトは、少しだけ間を置いてから答える。


「ええ」


その一言に、迷いはない。


「今は、ここにいるほうが正しい」


“正しい”という言葉は、

命令でも、教えでもなく、

事実の確認のようだった。


ルーナは、それを聞いて、

胸の奥が静まるのを感じた。


「……そうなんですね」


納得しようとしたわけではない。

けれど、不思議と反論は浮かばなかった。


後悔も、焦りもない。


ただ、

「ここで待つ」という選択が、

自分の中でも自然に収まっただけだ。


アルトは、一歩だけ位置を調整する。

護衛としての位置。


「何も行かないと言っているわけではありません。急ぐ必要はない」


その動きは、

“離れる”ためではなかった。


(……これでいい)


彼は、心の中でそう思う。


追わせなかった。

急がせなかった。


止めたのではなく、

選んだ。


彼女を、この順序から外さないことを。


ルーナは、深く息を吸い、

ゆっくりと吐いた。


道は、まだ続いている。

扉も、鍵も、まだ先にある。


けれど――

今は、ここでいい。



村は、静かだった。


騒がしいわけでも、張りつめているわけでもない。

ただ、落ち着いている。


ルーナは宿として宛がわれた家の軒先に腰を下ろし、行き交う人の流れをぼんやりと眺めていた。

石畳を歩く足音が、どれも控えめだ。

声も、高くならない。


(……こんな村だったかな)


昨日までと、何が違うのかは分からない。

家の数も、道の形も、何も変わっていない。

それなのに、時間の進み方だけが、少しゆっくりしている気がした。


「お水、ここに置いておきますね」


気づくと、桶が足元に置かれていた。

振り返ると、村の女が軽く会釈をして、そのまま行ってしまう。


「あ……ありがとうございます」


声をかけると、女は一瞬だけ立ち止まり、穏やかに笑った。


「いえ。必要でしょうから」


それだけ言って、去っていく。


ルーナは、その言葉を特に気に留めなかった。

喉が渇いていたわけでもないし、頼んだ覚えもない。

ただ、ありがたいな、と受け取る。

桶の水は澄んでいて、冷たそうだった。


一口飲む。

冷たさが、すっと身体に広がる。


近くで、子どもの泣き声がした。

甲高く、途切れない、よくある泣き方だ。


母親があやしている。

抱き上げて、背中を叩いて、それでも泣き止まない。


ルーナは、ただその様子を見ていた。


ふと、目が合う。


母親が、少し困ったように笑った。


「すみません……」


なぜ謝られたのか分からず、ルーナは首を振った。


「……大丈夫です」


そう答えた、その直後だった。


子どもの声が、ふっと途切れた。


泣き止んだ、というより、

泣く理由を忘れたみたいな間。


母親が目を瞬く。


「……あれ?」


子どもは泣かずに、ルーナのほうを見ている。

じっと、不思議そうに。


(……私、何もしてないけど)


そう思いながら、視線を外す。


子どもはすぐに母親の胸に顔を埋め、

そのまま静かになった。


それだけのことだった。


村の音は、また元に戻る。

足音も、声も、変わらない。


ルーナは、桶を持ち直して、

もう一口、水を飲んだ。


冷たくて、飲みやすい。

それ以上でも、それ以下でもなかった。




その日の午後、村は少しだけ忙しくなった。


畑に出る者が増え、井戸の周りに人が集まる。

何か特別な作業が始まったわけではない。

冬に備えて、いつものことをしているだけだ。


ルーナは宿の前を通りかかった村長に声をかけられた。


「今日は、ゆっくり休めていますかな」


「はい。ありがとうございます」


それ以上、話すことはなかった。

村長はそれで満足したように頷き、足早に去っていく。


通りの向こうで、言い争う声がした。


薪の分け方らしい。

どちらが多く持っていくかで揉めている。


ルーナは、少し離れたところから様子を見ていた。

止めるつもりも、口を挟むつもりもない。


しばらくして、片方がため息をついた。


「……まあ、いいか」


「そうだな。今日はここまでにしよう」


声は低くなり、争いはそれで終わった。


(……解決したんだ)


それ以上の感想は浮かばなかった。


宿の裏手では、女たちが鍋を囲んでいる。

余った野菜をどうするか、相談しているようだ。


「明日、煮込んで配ろうか」


「それがいいね。皆で食べたほうが早い」


話はすぐにまとまり、誰も不満そうな顔をしていない。


ルーナは通り過ぎながら、鍋から立ちのぼる匂いを吸った。


美味しそうだ、と思っただけだった。


夕方になると、村の中央に小さな灯りが増えた。

誰かが言い出したわけでもなく、自然と火が灯る。


暗くなる前に、道を照らすためだ。


ルーナは、宿に戻る前に立ち止まった。


村の中を見渡す。


騒がしくない。

静かすぎもしない。


(……今日は、過ごしやすい日だったな)


それだけ思って、扉を開けた。


誰も、何も言わない。

誰も、理由を探さない。


けれど村は、確かに整っていた。


ルーナは、その中心にいながら、

ただ「少し居心地がいい」と感じていた。



夜になって、村はさらに静かになった。


昼の賑わいが引いたあとの静けさではない。

最初から、そう決まっていたみたいな落ち着きだ。


宿の灯りは控えめで、窓越しの光が地面に細く落ちている。

虫の声がして、風が草を揺らす。


ルーナは部屋の中で、簡単に身支度を整えていた。

旅装のままでは落ち着かず、巫女としての服に着替える。


布の感触が、いつもより柔らかく感じた。


(……洗い直してもらったのかな)


理由は、それくらいしか思いつかない。


外では、見回りの老人が歩いている。

この村では、夜になると誰かが必ず火の様子を見て回る。


老人は、宿の前で一度足を止めた。


灯りを見上げ、少しだけ首を傾げる。


「……今日は、静かだな」


独り言だった。


悪い意味ではない。

むしろ、安心に近い。


火を確認し、戸締まりを確かめ、

それからゆっくりと歩き出す。


途中、犬が一匹、尻尾を振って寄ってきた。


「どうした」


撫でると、犬はその場に座り込む。

吠えもしない。警戒もしない。


老人は、もう一度、村の中央を振り返った。


(……何か、あったか)


問いは浮かぶ。

けれど、答えは必要なかった。


怪我人はいない。

揉め事もない。

灯りは足りている。


それなら、それでいい。


老人は、歩くのを再開した。


宿の中で、ルーナは窓を少しだけ開けた。

夜風が入り、灯りが揺れる。


遠くで誰かが笑う声がして、すぐに収まる。


(……いい夜だな)


それだけ思って、灯りを落とした。


村は、何も変わっていない。

家も、人も、道も。


けれど、その夜、

誰もが「今日は問題がなかった」と思いながら眠りについた。


理由は、分からないまま。


そして翌朝、

それを不思議だとも思わず、爽やかな目覚めを迎えた。

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