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偽聖女は巡礼中。ーーえ? 護衛が神様ですって?  作者: 絹ごし春雨


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三話 穏やかな朝祈祷

 暁光神殿の朝は、いつもより少し慌ただしかった。


大礼拝堂では、朝の祈祷の準備が進められている。

香の量、祭具の配置、参列者の導線。

本来であれば、聖女ヴェロニカが中心となって整える場だ。


けれど今朝、ヴェロニカの姿はなかった。


「聖女様は、今朝はお疲れでいらっしゃる」


神官の一人がそう説明し、誰もそれ以上は踏み込まなかった。

疲れている。体調が優れない。準備に時間がかかっている。

理由はいくらでも用意できる。


ルーナは、用意された白衣に袖を通しながら、その声を聞いていた。


儀式用の白衣は、思っていたより重い。

布そのものではない。

その意味が、肩に乗ってくる。


(私は、補佐)


何度も、心の中で繰り返す。

代わりではない。影でもない。

あくまで、補佐。


「ルーナ」


名を呼ばれ、ルーナは顔を上げた。


「本日の朝祈祷、聖女様の代わりに、前に立ってもらう」

「形式は、いつも通りでいい」


いつも通り。

その言葉が、少しだけ引っかかる。


「巡礼に出る前の、予行練習だと思えばいい」


神官はそう言った。


ルーナは、静かに頷いた。


「……はい」


前に出るのは、初めてだった。


大礼拝堂の中央。

光が集まる場所。


高い天井。並ぶ柱。

静かに待つ参列者たち。


視線が集まる感覚に、胸の奥がひくりと縮む。


(落ち着いて)


祈りは、特別なものではない。

今日だけの言葉でもない。


いつもと同じ言葉を、

いつもと同じ気持ちで捧げればいい。


ルーナは、ゆっくりと手を組んだ。


祈りの形。


それは彼女にとって、呼吸の延長だった。


「……神よ」


声は小さい。

けれど、静まり返った礼拝堂では、確かに届く。


言葉を選ばない。

飾らない。

願いを盛らない。


今日も朝を迎えられたこと。

この場に集った人々が、無事に帰路につけること。


それだけを、淡々と口にする。


不思議なことは、何も起こらなかった。

少なくとも、そう言われるようなことは、何も。


光が差し込む角度も、

香の匂いも、

何ひとつ変わらない。


けれど——。


参列者たちの呼吸が、揃っていく。


ざわつきが消え、

足音も、囁きも、自然と収まる。


誰かが命じたわけではない。

ただ、そうなっていた。


祈りを終え、ルーナが一歩下がる。

神官が進み出て、儀式は滞りなく続いた。


何事もなく、朝祈祷は終わった。




控えの間に戻ると、神官が小さく声をかけてきた。


「……助かったよ」


「問題は、なかった」

「とても……穏やかだった」


穏やか。


それは、良い評価なのだろうか。


「私、何か……間違えていませんでしたか」


恐る恐る尋ねると、神官は首を振った。


「いや。むしろ——」


言葉を探すように、一瞬だけ視線を彷徨わせ、


「……いや、問題ない」


それ以上は、何も言わなかった。




祈祷の後、神殿の外に出ると、空は澄んでいた。


参列者たちが、どこか晴れやかな顔で帰っていく。

足取りが、少し軽い。


(気のせい?)


ルーナはそう思って、首を振る。


自分は、ただ言葉をなぞっただけだ。

奇跡を起こした覚えはない。


回廊を歩いていると、柱の影に人影があった。


深い色の外套。

いつもの位置。


あの騎士だ。


「……お疲れさまでした」


声をかけると、騎士は一瞬だけ目を伏せた。


「無事に終わりましたね」


「はい。特に、何も」


「それが一番です」


短い会話。

けれど、その声を聞いた瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。


(……不思議な方)


そう思うのは、もう何度目だろう。


昼を過ぎた頃、神殿に小さな噂が流れ始めた。


「今日の祈祷、なんだか落ち着いた」

「胸のつかえが取れた気がする」

「理由は分からないけれど……良かった」


誰も、ルーナの名を出さない。

聖女ヴェロニカの不在を、口にする者もいない。


すべてが、なかったことのように整えられていく。


(これで、いいのでしょうか……)


胸の奥に、小さな影が落ちる。




夜。


下級巫女用の礼拝室で、ルーナはいつものように祈っていた。


今日の出来事を、特別だとは思わない。

一日が終わったことを、ただ報告する。


「……ありがとうございました」


祈りを終え、立ち上がる。


扉の外に、人の気配。


「失礼」


低い声。


「夜間の巡回です」


「……ありがとうございます」


それだけで、言葉は尽きる。


回廊を歩くと、足音が自然と重なる。


「今日の祈祷ですが」


珍しく、彼の方から言葉が続いた。


「……はい」


「静かで、心地よかった」


ほんのわずか、口元が緩む。


「そう、でしたか」


ルーナは小さく頷いた。


「皆さまが、落ち着いてくださったなら……それで」


騎士は、それ以上何も言わなかった。


ただ、歩調を少しだけ緩める。


二人の足音は、同じ速度で、夜の回廊を進んでいった。

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