二十四話 降る前の空
「雨が降りそうです」
ルーナがそう言ったのは突然だった。
空には雲ひとつない。
言った本人も不思議そうに瞬きをして、空を見上げる。
「……おかしいですよね」
笑って誤魔化そうとする声音。
当てずっぽうだった、と自分に言い聞かせるような。
神官が足を止め、空を仰ぐ。
「降水の兆しはありませんが」
穏やかな否定。
当然の反応だった。
ルーナは少しだけ肩をすくめる。
「ですよね。すみません、気のせいで……」
そう言って歩き出そうとした、その瞬間。
「少し、急ぎましょう」
アルトが言った。
短い声。
迷いのない調子。
ルーナは、反射的に立ち止まった。
「……え?」
神官が振り返る。
「急ぐ、とは?」
「この先まで行きましょう」
それ以上は言わない。
理由も、根拠も、付け足さない。
神官は一瞬だけ考え込む。
空をもう一度見て、地図を思い出すように視線を動かす。
「……では、休憩を前倒しにしましょう」
決定は早かった。
一行が動き出す。
歩調がわずかに上がる。
ルーナは、隣を歩くアルトを見上げた。
「……信じて、くれたんですか?」
驚き混じりの小さな声。
試すつもりはなかった。
アルトは前を向いたまま、ほんの少しだけ口元を緩める。
「疑う理由がありません」
即答だった。
「でも、根拠は……」
「ありません」
きっぱりと。
それなのに、なぜか不安にならない。
「……それでいいんですか」
「ええ」
アルトは歩調を緩め、ルーナに合わせる。
「あなたがそう感じたなら、それで十分です」
胸の奥が、静かになる。
(……どうしてだろう)
自分の言葉より、彼の言葉のほうが、先に落ち着く。
説明も、保証もないのに。
しばらく歩いたあと、風が変わった。
木々がざわめき、遠くで低い音が鳴る。
ぽつり、と頬に冷たいものが落ちた。
「……雨」
誰かが呟く。
空の端に、薄い雲が滲んでいた。
ルーナは足を止め、思わず笑ってしまう。
「本当に、降りましたね」
アルトは何も言わない。
ただ、当たり前のように彼女の外套の位置を直す。
雨粒が強くなる前に、ちょうどよい岩陰に入る。
誰も濡れない。
誰も慌てない。
神官が感心したように言う。
「……助かりましたね」
「はい」
ルーナは頷いてから、ふと気づく。
自分が言ったから止まったのか。
アルトが言ったから動いたのか。
順番は、もう分からない。
アルトは雨の向こうを見つめたまま、低く言った。
「次も、そうやって教えてくださいね」
お願いのような受け止めてくれる声。
ルーナは、少しだけ考えてから答える。
「……はい」
理由は、考えなかった。
それが一番自然だと、思ってしまったから。




