二十話 残る重さ
演奏後、次の朝すぐに立ったA班の馬車の中は、思ったより静かだった。
外は明るい。道も悪くない。
揺れも、昨夜ほどではない。
それなのに、ヴェロニカは目を閉じたまま、眉を寄せていた。
(……眠ったはずなのに)
夜は確かに遅かった。
演奏は長く、祈りの声も途切れなかった。
それでも、眠らなかったわけではない。
夢も見ていない。
途中で目覚めた記憶もない。
なのに、身体の奥が軽くない。
「聖女様、お水を」
側付きの巫女が差し出した杯を受け取る。
指先に、わずかなもたつきがあった。
水を飲む。
喉は潤う。けれど、渇きが消えない。
(……こんなものよね)
巡礼は、消耗するものだ。
祈りを受け、民の願いを背負う。
だから、身体が重くなるのは、きっと当然。
そう思って、視線を外へ向けた。
道沿いの木々が流れていく。
昨日と同じ景色。
変わったところは、何もない。
……はずなのに。
「……進み、遅くない?」
問いは、無意識だった。
御者が振り返る。
「いえ。予定通りです」
側付きの巫女も頷いた。
「今朝は、むしろ順調だと」
順調。
その言葉が、胸の奥で少しだけ引っかかる。
(順調、なのに……?)
馬車が小さく揺れた。
段差は小さい。
けれど、その揺れが、思ったより深く響いた。
ヴェロニカは、無意識に座り直した。
外套の裾を整える。
「……少し、寒いわね」
「外套をもう一枚?」
「いいえ、大丈夫」
言い切ったつもりだった。
けれど、声がわずかに掠れた。
側付きの巫女が、一瞬だけ不安そうな顔をする。
それを見て、ヴェロニカは顎を上げた。
「気にするほどじゃないわ」
自分に言い聞かせるように。
馬車の外から、護衛の声が聞こえた。
何か軽口を叩いているらしい。
笑い声が、短く混じる。
その音が、少しだけ遠く感じられた。
(……賑やかね)
昨夜の広場の音が、ふと蘇る。
弦の震え。
高まる祈り。
泣き声と歓声。
胸が熱くなった、あの瞬間。
(あれだけ応えたのだから)
魔は退いただろう。
人の心も、救われたはずだ。
それで十分だ。
それ以上に応える理由はない。
……なのに。
馬車が止まり、短い休憩が入った。
地面に降りると、足裏がじんわりと重い。
砂利の感触が、いつもより遅れて伝わる。
「……ふぅ」
小さく息を吐いた。
側付きの巫女が、すぐそばに来る。
「大丈夫ですか?」
「ええ。少し、ね」
「少し、ですか」
念を押すような声音。
ヴェロニカは微笑んだ。
「昨日、張り切りすぎただけよ」
それで納得する顔。
それで、話は終わる。
水を飲み、また馬車に戻る。
動きは滞りない。
誰も遅れない。
ただ、ヴェロニカだけが、
理由の分からない重さを、まだ手放せずにいた。
(……次の村では、休みましょう)
そう決めた瞬間、
胸の奥に、かすかな苛立ちが生まれる。
休む?
なぜ?
聖女である自分が。
手を見つめる。力は漲っている、そのはずなのに。
その違和感に、ヴェロニカは気づかないふりをした。
馬車は動き出す。
道は続く。
昨日の音は、もう鳴っていない。
けれど、身体の中では、まだ微かに響いている。
鎮まらない余韻のまま。
ヴェロニカは、目を閉じた。
(……巡礼って、こういうものよね)




