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偽聖女は巡礼中。ーーえ? 護衛が神様ですって?  作者: 絹ごし春雨


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十九話 ほどける音

 夜は、静かにほどけていった。


夕方の名残は、もう残っていない。

灯は点いているのに、広場は暗い。

暗いというより、余計な音がない。


ルーナは広場の端に立ち、竪琴を抱えていた。

古い楽器だ。

弦の色も揃っていない。


それでも、指を置くと落ち着く。

深く息を吸わなくても、呼吸が整う。


昨夜の舞台は、すでに片付いている。

人を集める灯もない。

声を張る者もいない。


最初、村人たちは気づかなかった。

それぞれの家で、夕餉を終え、戸を閉める。

いつもと変わらない夜の始まり。


けれど、ひとりが足を止める。

その気配に、またひとりが気づく。


音は、まだ鳴っていない。


それでも、空気が変わった。


昨日の夜に残っていた張りつめたものが、

少しずつ、抜けていく。


ルーナは弦に指を置いた。


強く弾かない。

音を前に出さない。


夜の中に、そっと溶かす。


最初の音は、小さかった。

すぐそばの人にしか届かないほど。


けれど、消えない。


広がらない代わりに、

夜の中に、静かに混じっていく。


昨日の音が夜を高く持ち上げていたなら、

今夜の音は、夜を元の高さへ戻していく。


誰も泣かない。

祈りの声も上がらない。


ただ、立ち止まる。

ただ、耳を預ける。


竪琴の音は、旋律とは呼びにくい。

同じ音は、二度と鳴らない。


覚えられない音。

覚えなくていい音。


それが、不思議と心地よかった。


夜に鳴くはずの獣の声は、聞こえなかった。

家の軋みも、井戸の水音も、今夜は穏やかだ。


代わりに、人の呼吸が深くなる。


誰かが腰を下ろし、

子どもが親の膝に身を預ける。


眠る前の、ちょうどいい静けさ。


ルーナは、それを見ない。

見ると、音が少しだけ変わりそうだった。


ただ、弾く。


どれくらいの時間が過ぎたのか、分からない。

けれど、指は自然に止まった。


最後の音は、夜に溶ける前に、

ふっと軽く、耳をかすめる。


それから、何も起きない。


拍手も、声も、ない。

誰も「終わった」と言わない。


人々は、静かに立ち上がり、

思い出すこともなく家へ戻っていく。


最初から、そういう夜だったかのように。


ルーナは竪琴を抱えたまま、少しだけ立っていた。


胸の奥に熱は残らない。

高揚も、余韻も、引きずらない。


ただ、呼吸が楽だ。


一定の距離で、足音がする。


近すぎず、遠すぎず。


アルトが、そこにいる。


何も言わない。

見張りの位置のまま、動かない。


それでも、空気が少しだけ柔らぐ。


「……終わりました」


ルーナが、小さく言う。


「ええ」


穏やかな返事。


翌朝。


村は、昨日より少しだけ早く動き出していた。


声が枯れている人はいない。

目を擦る人も少ない。


「よく眠れた」

「目が軽い」


そんな言葉が、挨拶のように交わされる。


誰も、昨夜の音を語らない。

どんな音だったか、思い出せない。


それでも、結果だけは残っている。


アルトは広場の端で、それを見ていた。


(……いい流れだ)


そう思って、視線を前へ戻す。


ルーナは、もう影に戻っている。

竪琴を布に包み、いつもの位置に立っている。


派手な奇跡は起きなかった。

けれど今夜は、


ちゃんと眠れる夜だった。


その事実だけが、静かに残っていた。

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