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第8話 涙のかかと落とし その4

 合同庁舎の屋上に華穂はいた。

 小雪と同様に寝間着にしてたTシャツ姿――ではなくワンピース姿の華穂は、その心中を表すかのような重い雲の下で、ベンチに座って手すり越しの町並みをぼんやりと見ていた。

 驚かせても悪いと理久が声を掛けながら歩み寄る。

「華穂ちゃん」

 華穂は泣きはらした目を両手で拭って理久を見上げるが、すぐに無言のまま視線を町並みへと戻す。

 なんとなく話しづらい空気を感じた理久は、とりあえず華穂のとなりに腰を下ろす。

 その時、華穂のかたわらに立て掛けられているものに気が付いた。

 杖だった。

 杖? ケガ? 酷いのか? そもそもいつのケガだ? クリスタルメーカーの極太漆黒レーザーに吹っ飛ばされた自分の左手はなんの問題もなかったのに?

 そして、さらに気付く。

 ワンピースの裾から覗く華穂の右足が義足だということに。

 戸惑いを増す理久に華穂がぽつりと口を開いた。

「このワンピースはねえ、夜霧さんに貸してもらったんだ」

 抑揚のない、いわゆる“棒読み”の口調は華穂なりに平静を装っているつもりなのだろう。

 しかし、それでも、その声は少し震えている。

 華穂は沈黙を恐れるように、あるいは理久が口を開くのを遮るように続ける。

「右足はね、前に言ったよね。交通事故に遭ったの。その時に……」

 震え声が涙声になって言葉が途切れた。

 不意にうつむいて顔を両手で覆う華穂に、理久はどうしていいのかわからないなりに声を掛ける。

「……華穂ちゃん。大丈夫か?」

 華穂がうつむいたまま首を左右に振る。

「大丈夫……なわけない」

 そして、顔を上げると無理矢理作った笑顔を向ける。

「理久さんもあたしをうざいって思ってるんでしょ。いいよ、無理しなくても」

 即答する。

「そんなわけないよ」

 華穂の赤い目が理久を見つめる。

「本当?」

「本当」

 友人の少ない者にありがちな“目線慣れしてない”理久は華穂から町並みへと顔を向ける。

「華穂ちゃんと出会ったことを含めて……最初から戸惑うことばっかりだったけど、ずっと華穂ちゃんの笑顔があったからやってこれた。ずっと華穂ちゃんが背中を押してくれたからやってこれた。だから、碧海とも再会できた」

 話しながら、じっと自分を見ている華穂の視線を感じた理久はベンチを立つと手すりにもたれかかって背中越しに続ける。

「華穂ちゃんには感謝しかないよ。あの時……初めてふたりで境界域に行った時も言ったよな。人に話を聞いてもらうことで、そして、慰められることでどんなに前向きになれるか、それを僕に初めて教えてくれたのが華穂ちゃんなんだよ。それまでずっと過去に向かって後悔することしかできなかった僕に、初めて前を向かせてくれたのが華穂ちゃんなんだよ。ただ……」

 言いかけて続く言葉を思いとどまる。

 しまったなあ、これは言わない方がいいよなあ――と渋面を浮かべる理久だが、華穂が後ろから赤い目で続きを待っているのを感じる。

「ただ? なに?」

 華穂に促されて理久は覚悟を決める。

 続く言葉で改めて華穂を傷つけることになるかもしれないけれど……。

「綺羅ちゃんとか颯ちゃんとか瑠奈ちゃんが華穂ちゃんのことを……その、どう思おうと、僕にとって華穂ちゃんへの感謝は変わらないし――僕は、そんな華穂ちゃんのことが好きだし」

 理久は言ってから気付く。

 そして、うろたえる。

 あれ? そんな話だっけ? なんで告ってんだ?

 理久はうろたえる自分を悟らせないようにオーバーアクションで振り返ってまくしたてる。

「だからあれだ。言いたいことはみんな育った環境とか経験とかが違うんだから、人によって受け取り方も当然違ってくるわけで。その性格が嫌――じゃなくて、苦手という人もいれば、同じ性格でも“そこが好き”という人もいるわけで。だから絶望したり自分を責めたり卑屈になったりする必要はないってことだよ、僕が言いたいのは。うん」

 濡れた目の華穂は決壊しそうな感情を堪えるように口を結んで理久を見ている。

 その目線に押されないように、負けないように、理久は意味不明な手振りを交えて続ける。

「これまで華穂ちゃんがやってきたことが悪気があってのことじゃないなら、誤解とか勘違いとか言葉足らずってこともあるから……。そういうケースならいくらでもやり直せる。それでも、もし、わかってもらえなかったとしても……“その性格が好き”という僕みたいな、いや、これは例えばだけど、そういうのがいるんだから、それほど絶望したもんじゃないよ」

 そして、改めてベンチにどさりと腰を下ろす。

「とにかく、華穂ちゃんは悪くない、と思う。改めて綺羅ちゃんたちと話をすれば和解できるはず。もしも……もしも、和解できなかったとしても僕がいる。僕は華穂ちゃんの味方でいる。だから、そんなに苦しむのはもうやめよう。な?」

 不意に華穂の手が理久の腕を握った。

 思わぬ動作に理久は“自分の言葉が余計な感情を呼び起こしたのかもしれない”と緊張する。

 しかし、華穂は――

「ありがとう……ありがとう」

 ――ささやきながら、理久の腕に頭を押しつけて泣き崩れた。

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