第8話 涙のかかと落とし その1
合同庁舎のベッドで目覚めた理久は――
「起きたっすか」
――掛けられた声に仰向けのまま顔を向ける。
夜霧が立っていた。
「ちょっと待つっす。冰雨に報告するっす」
ポケットから取り出した端末で理久が起きたことを手短に伝える夜霧の姿をぼんやり見ながら、その向こうから駆け寄る存在に気付く。
誰だ?――と、目を凝らす。
「理久うううううっ」
小雪だった。
「小雪ちゃんか。無事だったんだ」
安堵のため息交じりにつぶやいて、すぐに跳ね起きる。
「こ、小雪ちゃん?」
「そうだにゃん」
ベッドの脇に立ち、にこにこと理久を見下ろしているのは“等身大”の小雪だった。
見慣れた戦闘服ではなく、キャミソールにハーフパンツなのは前に見た“寝間着姿の全身版”なのだろう。
「ちょ、え、指、あれ」
混乱しながら見下ろす理久の左手はすべての指が“普通の指”であり、さらにクリスタルメーカーの極太暗黒レーザーで吹っ飛ばされた痕跡もない。
理久が目覚める前にはずしたのであろうリストバンドを指先でくるくる回しながら夜霧が笑う。
「境界域で吹っ飛ばされたことなら所詮夢の中のできごとっす。覚めればなんの損傷もなく回復してるっすよ」
理久は改めて自身の左手と小雪を見比べる。
「でも、どうして小雪ちゃんが……」
「おそらく蒼空ちゃんがクリスタルメーカーを操って戻してくれたんだにゃん」
「ということは……」
小雪が頷く。
「華穂ちゃんも、元の姿に戻ってるにゃん」
さらに夜霧。
「あと、碧海も元気っす。そろそろ冰雨と一緒に……」
言い終えるより早く扉が開く。
「だからいらねーって。どこも悪くないんだから」
「そんなこと言わずに使ってください」
入ってきたのは碧海と、誰も乗ってない車いすを押す冰雨だった。
「あ……」
理久と目があった碧海が気まずそうな表情になる。
それは理久も同じだった。
「……」
「……」
無言で見つめ合うふたりの様子に夜霧が小雪の手を引く。
「そういうわけで、小雪はこれからおやつタイムにするっす」
「わ~い、するにゃん、するにゃん」
部屋を出る夜霧と小雪に続く冰雨が碧海にささやく。
「じゃ、またあとで」
「うん」
部屋は理久と碧海のふたりだけになった。
所在なげに突っ立って室内を見渡している碧海に理久が――
「座れば」
――冰雨の置いていった車いすを勧める。
「うん」
小さく頷いた碧海が“きい”と金属のシャフトをきしませて腰をおろす。
そして、足を組んで肘掛けに頬杖をつく。
一年ぶりに目の前にいる妹はいなくなった時のままの制服姿だった。
着崩した制服と短く詰めたスカート、そして、サイドテールの髪はまちがいなく一年前にいなくなった妹の七尾碧海だった。
そんな碧海に理久はどんな顔をしていいのかわからない、なにを話していいのかわからない。
かといってこっちが黙っているとどんどん室内の空気が重くなる一方な気がして、思いつくまま声を掛ける。
「えーと、久しぶり」
碧海もどんな顔をしていいのかわからないらしく、目線を外して答える。
「うん」
「元気だった?」
「見ての通り」
「……一年ぶりか」
「変わってないっしょ」
そう言ってふふっと笑う。
その表情に理久も少し気が楽になる。
「一年も、ずっと境界域でなにやってたんだ」
碧海は背もたれに身体を預けて理久を見る。
「帰ることはできたけど……。相棒が――蒼空がずっとクリスタルメーカーの中で戦ってるのに自分だけ帰るのもなんか後ろめたいっていうか。だからずっとあっちで蒼空を助ける方法を探してた」
「一年も……か」
「うん。とはいっても、体感時間としては一年もないけどね。あっちじゃ時間の流れがそもそもあってないようなもんだし」
「よかったのか」
「なにが」
「目的を果たす前に引き上げて。いや、助けてくれたことは感謝してるけど。ていうか、僕たちのせいというか僕たちのために……だよな、帰ってきたのは」
意図したわけではないけれど、碧海が一年間やってきたことを打ち切らせてしまったことに違いはない。
後ろめたさを感じる理久だが、一方の碧海は気にしてないとばかりに答える。
「しょうがないよ。でも、もちろん、このまま終わらないよ」
決意を込めた目で理久を見る。
もちろん理久に異論はない、引き留めるつもりはない。
「そうだな」
あっさり賛同する兄に碧海は“いいの?”と言わんばかりの拍子抜けした表情になる。
止められるかもしれない、親の心配振りを告げられるのかもしれない、そんなことを懸念していたのだろう。
同意を得られたことで安心したのか、碧海の口調がそれまでより少し軽くなった。
「そういや、兄いは蒼空に会ってたっけ?」
「一回だけ家に連れてきたよな。その時に見たくらいだけど」
目が合った理久に無言で頭を下げた女生徒の姿を思い出す。




