シルフは識りたい
わたしはシルフ。四大精霊のひとつで、風を司る精霊だ。
風の精霊は気ままな存在。人間たちの間ではそう伝えられているらしい。
べつに否定はしない。風は自由の象徴で、わたし自身も誇らしく思っている。
森を飛び回って過ごしていたわたしに転機が訪れたのは、いつのことだったかな。
あのときは本当に驚いた。声をかけてくる人間がいるなんて、思いもよらなかった。
「キミがシルフだよね。よかったら、ボクと一緒に来てくれないかな?」
その出会いは今でも覚えている。わたしの視界にはひとりの青年がいた。
人間は精霊を認識できない――自分の中の常識が覆された瞬間だった。
おまけに、ついてきてほしいなんて身勝手な要求までされることになった。
もちろん最初は拒んだ。人間なんかを信用するなんて、絶対に嫌だった。
彼らは同じ種族同士で争ったり奪い合ったりする、くだらない生物だと識っていたから。
「行くわけないでしょ。死にたくなかったら、今すぐ森から出ていって」
だから徹底的に痛めつけて追い返すつもりでいた。風の刃を作り出して、脆い身体に向けて発射してやった。
でも、予想に反して簡単に躱されてしまった。何度やっても傷ひとつ付けることすらできなかった。
「ごめん、危害を加えるつもりはないんだよ。ただ、どうしてもキミの力が必要なんだ!」
青年は怖気づくこともなく訴えかけてきた。森を流れる川のように澄んだ目で、わたしが在る所を見つめ続けていた。
その姿を目にしていると、なぜか心が落ち着かなくなって――気付いたときには彼の前に降り立っていた。
長い金髪と浅緑色の衣に、背中には半透明の羽が生えた姿。わたしのもうひとつの形態だ。
野蛮な種族を模しているけれど、この見た目だけはお気に入りだった。少なくとも、ただの緑の球体よりは美しいと思えた。
「もしかして、協力してくれるのかい?」
「……少しだけなら。でも、飽きたらすぐに帰る」
「ありがとう。とても心強いよ」
それがわたしと彼――勇者と呼ばれる青年の旅の始まりだった。
勇者の目的は、人界を脅かす魔王の討伐。彼は人間にしてはまともな性質だった。
困っている人を見つけるたびに手を差し伸べ、解決すればその喜びを分かち合う。
こういうのをお人好しと呼ぶことくらいは、人間の心に疎いわたしでも理解はしている。
だから心置きなく協力することができた。普段は彼の身体に潜み、必要な時は内から風の力で手助けをする。
いつしか頼られることが嬉しく思えてくるようになった。わざわざ具現して一緒に歩くのも悪い気はしない。
「ところで、キミは帰らないのかい?」
「あなたは無茶をするから放っておけない」
「はは、そうだね。いつも助かっているよ」
途中で投げ出すなんて考えは、知らないうちに消えてしまった。
自由な風が人間なんかに縛られるのは馬鹿みたいだと思う。だけど、彼の隣は不思議と居心地がいい。
やがて、わたしは他の精霊を紹介することにした。皆の力があれば、必ず魔王を討ち果たせると信じられたから。
最初に訪れたのは大陸南、湖近くの洞窟に引きこもるウンディーネ。わたしにとっては冷たい性格のお姉さん。
彼女も極度の人間嫌いで、すぐに水を汚すから歩く災害だと言っていた覚えがある。
でも、やっぱり勇者の熱意には勝てなかった。彼が湖で暴れる魔物を退治したときは、これまでにない穏やかな態度を見せた。
次は西の荒野に建てられた土の塔で暮らすノーム。わたしとは正反対で、頑固なお爺さんみたいな存在。
最初は勇者の話を徹底して無視していたけれど、再三の訪問についに折れてしまう。
何度も訪ねられるくらいなら、魔王を倒してしまった方が手っ取り早いと判断したみたい。
最後に北の火山に住んでいるサラマンダー。熱血漢という言葉が相応しくて、暑苦しいのが玉に瑕。
好戦的な彼は勇者との直接対決を望んだ。わたしは手伝おうとしたのに、勇者は自分の力だけで勝つと豪語する。
結果、火の精霊はあっさりと打ち負かされた。加勢の必要もない一方的な戦いは、ちょっとだけ気の毒だったかな。
精霊の皆は意外にも協力的で、戦いにおけるわたしの出番は徐々に減っていく。
力を披露できないのは寂しくもあったけれど、勇者と世界を回るのは間違いなく楽しかった。
そして、気付けば旅の終わりが近付いていた。世界の北端、最果ての地に魔王の根城は存在した。
「ついに来たわね。心の準備はいいかしら」
「ようやくじゃのう。ここまで長かったわい」
「オレの力、存分にぶつけてやってくれよな!」
他の精霊が内側から勇者に語りかける中、わたしは具現して彼の隣に立つ。
白く染まった大地は硬く冷たかった。思わず背中の羽をはばたかせて飛翔する。
「これで本当に最後だね。あなたなら、きっと大丈夫」
「ああ、ボクは負けないよ。ここで終わらせて、世界に平和を取り戻すんだ」
重い空気の中に勇者の言葉が温かく響き、ついに最後の戦いの幕が開けた。
魔王やその配下との戦いは激しく、勇者と精霊の誰も欠けることは許されなかった。
わたしが風で動きを加速させ、サラマンダーが刃に炎を宿すと、勇者の剣技が炸裂する。
敵の攻撃はノームが土の壁で防ぎ、傷を負ったときは即座にウンディーネの水が癒した。
皆の頑張りのおかげで、敵は徐々に追い込まれていく。わたしは勝利を信じて疑わなかった。
だけど、現実はそんなに甘くはなかった。魔王は死に際に膨大な魔力を行使して自爆しようとした。
勇者が力の奔流を受け止めた瞬間、わたしたち四大精霊は彼の内から解き放たれた。
「皆、わがままに付き合ってくれてありがとう。キミたちのおかげで、ボクはここまで来れたんだ。もし無事に帰れたら……また会おう」
それが彼の最後の言葉だった。勇者の力で魔王城の外へ放り出された――そう気付いたときにはもう遅かった。
轟音とともに城が爆ぜて、わたしたちは闇の嵐に巻き込まれてどこかへ飛ばされていった。
あの決戦からどれだけの時間が経ったか、もうわからない。
サラマンダー、ウンディーネ、ノームは元いた場所に帰り、そして眠ってしまった。
それでも、わたしは今も風に乗りながら世界を飛び回っている。
「ねえ、どこにいるの?」
勇者は同時にふたり以上は覚醒しないという話を、風の噂で聞いたことがある。
世間では魔王が復活したとか言われているのに、対する勇者の話は何も流れてこない。
その理由はきっと、わたしが知るあの人が密かに生存しているから。
そう、今も生き延びているに違いない。あんなに強かった人間が、簡単に命を落とすはずがない。
「連れ出したくせに、勝手にいなくならないでよ」
彼に感化されたのか、わたしは人間をもっと識りたいと思うようになってしまった。
だけど、精霊は彼らと交流ができない。多分、勇者だけが例外なんだと思う。
だから再会できるのだったら、わたしはどこまでだって飛んでいくつもりだ。
「わからないこと、まだまだ沢山あるんだよ」
人間には恋愛というものがあって、それは繁栄に重要なことらしい。
恋とか愛なんて言葉で示されても、精霊のわたしには実感が湧かなかった。
これはもう、直接教えてもらうしかない。それには勇者がいなければ始まらない。
あれだけ協力したのだから、それくらいの対価は貰ってもいいはずだ。
「必ず、見つけ出してやるんだから!」
それから数日後、わたしは大陸北東の小さな村にある木の枝で一息ついていた。
相変わらず勇者の手がかりはない。どれだけ盗み聞きしても情報は得られなかった。
「そんなところで、なにしてるの?」
物思いに耽っていると、木の根元から声がした。誰に問いかけているのだろう。
何気なく下を覗き込んで、そして息を呑んだ。少年の視線の先にはわたしがいた。
そのとき、心の中で何かが崩れていったような気がした。
「きれい。絵本に出てくる妖精さんみたい」
「あはは……妖精さんではないんだけどね」
風の力を使ってふわりと着地すると、彼は無邪気に目を輝かせる。
「すごいね! おねえさんは旅人さんなの?」
「そんなところかな」
「いいなぁ。ぼくも大きくなったら村を出るつもりなんだ。勇者さまみたいな立派な人になりたくて」
「……うん、なれるよ。絶対に」
子供の考えなしの発言だと理解しているのに、無意識に返答をしている自分がいた。
「おねえさん、ありがとう! よかったら、そのときは一緒に旅をしようね!」
「……わかった。待ってるよ」
走り去っていく少年の姿が見えなくなった途端、わたしはその場にへたり込む。
ずっと探していた勇者はもういないと認識すると、いつの間にか涙が頬を伝っていた。
「ああ……やっと、わかった……」
わたしは、あの人が好きだった。それに気付くには、あまりにも遅すぎた。
故郷の森に戻ったわたしは、一度眠りにつくことに決めた。
新たな勇者が訪れるまで、力を蓄えておかなければならない。
それは、今度こそ間違いを起こさないために必要なことだ。
せっかちかもしれないけれど、彼のことも好きになれそうな予感がしている。
この世界に平和が訪れた後は、ちゃんとした恋愛を識りたいとも思っている。
もしかして、これは浮気というものになってしまうのかな。
そうだとしても、心優しいあの人なら笑って許してくれるよね。
「――おやすみなさい。わたしが大好きだった勇者さん」




