眠れぬ森の入口で
夜、眠れなくなると、
僕はいつも同じ森の前に立つ夢を見る。
木々は黒く、風もなく、
鳥の声も、虫の音も聞こえない。
世界が息を潜めて、
僕をただじっと待っているようだった。
入るのが怖い。
でも、入らないほうがもっと怖かった。
結局、僕はいつも森へ踏み出す。
足音だけがやけに大きく響く。
木の葉は揺れず、月光も届かず、
森の中は濃い影が絡み合っていた。
歩くほどに胸がざわつく。
焦りでも、恐怖でもなく、
もっと曖昧な、不安とも悲しみともつかない感情。
森の中心あたりで、
必ず同じ光景に出会う。
――古びたベンチ。
誰かが昔、座っていたような形に
木の板が少しだけ沈んでいる。
僕はそこで立ち止まる。
座れない。
座ったら何かが終わるような気がした。
でも、この場所に来るたび、
胸が痛んだ。
ある晩、とうとう僕は腰を下ろしてみた。
冷たい木の感触が背中に伝わり、
深い静寂が耳に染み込んだ。
「眠れないのは……ここに置いてきたものがあるからか」
言って気づいた。
これは、僕が“自分で封じた記憶”の場所だった。
失った夜。
諦めた日。
大切だったもの。
言えなかった言葉。
全部、この森に置き去りにして、
生きてきたのだ。
しばらく黙って座っていた。
涙が落ちる音さえ、森に吸い込まれて消えた。
ふと顔を上げると、
森の奥に小さな光が見えた。
まるで誰かが灯したランタンのような
あたたかい色だった。
ずっと暗闇だと思い込んでいたのは、
森のせいじゃなかった。
見るのが怖くて、
僕が目を閉じていただけだった。
その光に向かって歩いたとき、
初めて森が静かに息をしたように感じた。




