2. 商人ギルドの動き
第19章 予定より40年早い未来(続き)
2. 商人ギルドの動き
王都の北東に位置する石造りの倉庫街。昼間は商人たちの呼び声や荷車の音で賑わうこの通りも、夜になると人影はまばらになり、わずかな灯火が揺れるだけとなる。そんな静寂の中、商人ギルドの幹部たちが密会を開いていた。
ギルドの会長、カリオンは重い革の書物を前に置き、周囲を見渡す。長い黒髪を後ろで束ねた姿に、商才だけでなく狡猾さが滲む。彼は低い声で切り出した。
「王が応用化学を禁じていることは承知だ。しかし、基礎研究の成果を見れば、応用できることは山ほどある」
若手の商人、リヴァンが眉をひそめる。「王の目をかいくぐるのは危険では?」
カリオンは笑みを浮かべた。「危険は伴う。だが、金と権力を手にするためにはリスクも必要だ。染料、薬、酒、金属加工……これを放っておけるか?」
会議室の空気が、興奮と野心で満ちる。ギルドの幹部たちは互いに頷き、声を潜めつつも未来の計画を語り合った。彼らの目的は明確だった――学者たちの理論を現実に変え、国の経済を先取りすること。
「まずは秘密工房だ」カリオンが指を叩く。「王の目を避ける必要がある。表向きは普通の倉庫、しかし裏には研究所並みの設備を整える。ここで試作品を作り、商品化の目処を立てる」
会議に出席した者たちは興奮を抑えきれず、地図に指を置きながら秘密工房の場所を決めていく。街外れの小道沿い、夜でも人通りの少ない倉庫……安全で、誰にも気づかれにくい場所が選ばれた。
「基礎研究の成果の中で、まず応用可能なのは何か?」リヴァンが質問する。
カリオンは手元の資料を広げた。天体観測の暦法は直接的な利益は少ないが、農作物の収穫安定化と保存食の技術は絶好の商機となる。保存食の長期保存技術を応用すれば、遠方への輸送が可能となり、港湾都市への独占的供給も夢ではない。
「保存食はまず、軍需向けに試すべきだろう。戦地の兵士への供給で王に認められれば、後は民間市場に広げやすい」カリオンは言い、ニヤリと笑う。
さらに、化学の知識を応用すれば染料や薬、酒の精製も可能だ。鮮やかな色の染料や、長持ちするワイン、より効果的な薬――いずれも王が公式に認めていないだけで、市場では高値で取引できる。商人たちの目が、欲望で光る。
やがて計画は具体的な形を取り始める。倉庫の壁には密かに通気孔や排水路が作られ、地下には実験設備が組み込まれた。材料の調達も、夜間に行う秘密のルートを確保。学者たちからの密かな情報提供も受けつつ、工房の運営は徐々に軌道に乗っていった。
最初の試作品は保存食のパンと干し肉だった。品質は上々で、従来の保存食よりも日持ちが長く、味も損なわれていない。商人たちは喜び、早速小規模ながら王都の市場に流通させる手はずを整える。しかし、王の法を犯す以上、緊張は常につきまとう。
「もし発覚すれば、命が危うい」と、リヴァンが小声で漏らす。
カリオンは肩をすくめ、微笑む。「だからこそ、裏でやるのだ。王に知られる前に、成功させる。成功すれば誰も咎められはしない。むしろ、王も感謝することになるだろう」
夜ごと、秘密工房では研究と応用が続けられた。化学者や職人たちが忍び込み、新たな染料の配合を試したり、金属加工の新技術を試行したりする。商人たちは、学者の理論を現実に落とし込む喜びと、同時に王の禁令をくぐり抜けるスリルを味わっていた。
その間にも、王都の表の世界では、学者たちが公式に成果を報告し、未来を予測する暦法や保存技術、税制改革の計画が進んでいる。しかし裏側では、商人ギルドがその成果をいち早く応用し、秘密の経済圏を築きつつあった。40年先の未来を待つ必要はない――ギルドは既に、その未来を手に入れようとしていたのだ。
こうして商人たちは、知識の力と商才を組み合わせ、王の法と民の生活の狭間で新たな動きを始めた。密会と工房の灯火の中で、未来の産業は静かに芽吹いていた――予定より40年早く、商業の革命は密かに進行していたのである。




