第15章 感情の制御 ― 山都谷教の新経典 1. 監視と収集
第15章 感情の制御 ― 山都谷教の新経典
1. 監視と収集
王宮の地下深く、厚い石壁に囲まれた一室には、古代のサーバービルと現代のPCが並ぶ異様な光景が広がっていた。蒸気管や古びた配線の間を、分身スパイやアンドロイド兵からの情報が絶え間なく流れ込む。数字と文字が画面に踊り、かすかな電子音が低く部屋に響いた。
画面には、兵士の怒号や剣戟の音の波形、商人の交渉時の焦りを示す生体指標、農民の不安の心拍パターン、諸侯の猜疑心を示す微細な瞳孔変化……あらゆる人間の感情が、リアルタイムで数値化され、王宮の監視室に集約されていた。
陽光は玉座の影のように静かに立ち、モニターに映る膨大なデータを見つめる。その視線は冷徹で、まるで流れる情報のひとつひとつが、光に照らされた影のように鮮明に見えているかのようだった。
「すべて数値化せよ。感情パターンごとに分類するのだ」
側近たちは即座に動いた。怒り・嫉妬・恐怖・快楽・絶望――すべての感情を、個々の行動と社会的影響力に基づいてタグ付けし、分類する作業である。分身スパイは都市や村、商業圏、軍事拠点から収集した膨大な観察記録を送り、アンドロイド兵は戦場や市場で直接得た微細な反応を加えた。
陽光は命じる。
「怒りは火であり、恐怖は氷である。嫉妬は毒、快楽は蜜、絶望は闇。各々の性質を理解し、行動予測に活用せよ」
こうして、感情は抽象的な人間の内面から、冷徹な計算の対象へと変わった。部屋の壁一面には、感情の相互作用や行動傾向を示す図表が投影される。怒りの波形が嫉妬と重なると、暴力的衝動が生まれる。恐怖が絶望と接触すると、逃避や裏切りの可能性が増大する。快楽の増幅は忠誠心や協力意欲を高めるが、過剰になれば油断や無秩序を招く。
陽光はその図表を眺めながら、心の中で独自の言語に翻訳した。現代心理学の用語、ビジネス交渉術の概念、そして中世人に理解できる宗教的言葉――三層のフィルターを通して、感情を宗教的行動規範に変換するのである。
例えば、怒りは「太陽の炎に逆らうもの」とされ、嫉妬は「影に飲まれる毒」と表現された。恐怖は「光を避ける霧」、快楽は「光を享受する蜜」、絶望は「太陽を忘れた暗黒」と翻訳され、民衆や軍人、商人の行動指針として取り込まれた。
王は、このデータをもとに新たな宗教経典の編纂を命じた。名付けて\*\*「感情的行動全般対応マニュアル」\*\*。単なる心理学や戦術書ではなく、山都谷教の信徒が日常生活や交渉、戦場や市場で直面するあらゆる感情を、宗教的規範として理解・制御できる書物である。
このマニュアルの特徴は、感情の分類と行動指針が、信仰と密接に結びついている点にあった。怒りを制御することは太陽神への忠誠、嫉妬を克服することは共同体への奉仕、恐怖を乗り越えることは信仰に基づく勇気の証、快楽の享受は光の恩恵として感謝すべき行為、絶望に抗うことは光を信じる修行である――。
民衆は無意識に、このマニュアルを通じて自らの感情を宗教的規範に沿って制御するようになる。陽光はこれを「感情の光化」と呼んだ。光の下で怒りや恐怖を浄化し、嫉妬や絶望を光のエネルギーに変換する――それが山都谷教の新経典の核心である。
監視データは日々更新され、分身スパイとアンドロイド兵の報告はリアルタイムで分析される。陽光は、新経典の章句を修正し、感情の分類をより精密に調整する。こうして、山都谷教は単なる信仰の枠を超え、人間の心理と社会行動の制御システムへと進化していった。
王宮の地下に広がる冷たい電子音とモニターの光。そこでは、人々の感情がすべて数値化され、宗教的言葉で規範化され、やがて民衆の行動を導く指針となる。陽光は淡々と画面を見つめ、心の中で静かに呟いた。
「感情もまた、光によって制御されるべきもの……。光を知る者がすべてを導く」
こうして山都谷教は、信仰の領域を超え、心理学的・社会的支配力を持つ新経典を手に入れた。怒りも嫉妬も恐怖も快楽も絶望も――すべて光の法則の下で秩序づけられ、民衆の心は太陽の下で縛られていったのである。




