5. 敵の矛を鈍らせる
第12章 外交の帳簿
5. 敵の矛を鈍らせる
会議室にはしばしの静寂が訪れた。
周辺諸国の代表たちは互いに視線を交わし、言葉にならない相談をしている。
数分の沈黙の後、ついに代表の一人が口を開いた。
「……確かに、蛮族の動きは無視できぬ」
別の代表が頷きながら続ける。
「農業と医学の共有……それは我らにも利益がある」
そして、最後の一人が慎重に言葉を選ぶ。
「豊穣祭まで、様子を見るか」
重苦しい空気は一変した。
戦争を求めていた各国は、自然と“時間を与える”という形で矛を収めたのだ。
陽光は静かに微笑む。
「計画通りだ……」
分身リーマンたちは控えめに頷き、帳簿を開いて今回の交渉の結果を記録する。
ページには、発言の順序、心理的反応、各国の妥協点が詳細に書き込まれた。
「これで次の会議までに、さらに具体的な提案を準備できる」
陽光は心の中で戦略を整理する。
今回の交渉で重要だったのは、単に条約や条件を提示することではなく、**相手の心理的圧力をコントロールし、時間という資源を稼ぐこと**だった。
マニュアルにはこうある。
1. 相手の懸念を認める
2. 共通の課題を示す
3. 利益を提示する
4. 期限を操作し、時間を与える
陽光はその通りに動いた。
褒め言葉で防御を和らげ、共通の脅威で焦点をずらし、利益を提示して協力意識を喚起する。
そして、期限を操作することで、相手に「行動を急ぐ必要はない」と思わせる。
結果、攻撃の意思は自然に鎮まり、外交の場は静かに制御されたのだ。
部屋の片隅で、分身リーマンの一人が小声でつぶやく。
「陛下、まさにマニュアル通りに相手の矛を鈍らせました」
陽光は頷き、目を閉じて深呼吸する。
「心理戦は勝った。しかし、次がある……」
外の庭では、北方の蛮族の動きが不穏に伝えられていた。
各国の代表が時間を稼ぐ間、陽光は帝国内の準備をさらに進める必要がある。
兵力の増強や物流の整備、外交資料の整理……すべてが次の交渉に直結する。
帳簿には、新たなページが追加される。
今回の交渉の手順、各国の反応、心理的誘導の効果――
これらは、未来の交渉で再現可能な戦略のデータベースとなる。
陽光は分身リーマンたちに目をやり、静かに命じる。
「各国の情報を整理し、次の会議の準備を開始せよ。期限は豊穣祭までだ」
分身たちはすぐに作業に取り掛かる。
帳簿の情報とマニュアルの手順を照らし合わせ、戦略を緻密に調整していく。
陽光は窓の外を見つめる。
遠くの山並みを越えて、北方の蛮族の影がちらつく。
しかし、外交の舞台で得た時間は、帝国にとって最大の武器となる。
「時間は味方だ……これで戦争を回避できる」
会議室の空気は、もはや緊張ではなく静かな安心感に包まれていた。
各国は矛を収め、豊穣祭までの猶予を受け入れた。
交渉は勝利したが、それは単なる条約ではなく、心理戦に基づく戦略の勝利だった。
陽光は帳簿を閉じ、分身たちとともに静かに立ち上がる。
「今日の成果を忘れるな。すべて帳簿に記録した。次の交渉に活かすのだ」
こうして、山都谷帝国は戦争の危機を回避し、外交の主導権を握ることに成功した。
敵の矛を鈍らせる――それは力だけではなく、知識と心理戦略によって実現された、最も静かで確実な勝利であった。




