3. 王の裁定
第19章 予定より40年早い未来(続き)
3. 王の裁定
夜の王宮は静まり返り、暖炉の炎だけが淡く部屋を照らしていた。玉座に座る国王・陽光の影が壁に長く伸び、重厚な装飾がその背後で揺らめいている。外では冬の風が城壁を叩きつけ、王宮全体に冷たい空気が流れ込む。
その静寂を破るように、王宮の奥深くから一人の人物が駆け込んできた。暗影の中で身を軽く沈め、慎重に玉座の前に跪く。分身スパイのセレインだ。彼の目は鋭く、夜の闇にも慣れた瞳が王の前で輝いた。
「陛下、報告がございます」
セレインの声は低く、しかし確かな緊張を帯びている。「商人ギルドが、応用化学の実験を密かに進めています。秘密工房を設け、夜間に研究と生産を行っているとの情報を確認しました」
陽光は背筋を伸ばし、玉座の高みに座ったまま、暖炉の火を見つめる。火の揺らめきに、王の目は深く考え込むように光った。やがて静かに口を開く。
「ふむ……予想の範囲内だ」
その声は静かだが、室内に力強く響く。陽光は手元に置かれた巻物や資料を眺めながら、ゆっくりと考えを整理する。
「学問の成果は国の発展を促す。商人たちが知識を応用すること自体は、致し方ない。しかし、それが王国の秩序を乱すものになってはならぬ」
玉座の上で微笑む陽光の表情は柔らかいが、その瞳は鋭く、誰もその洞察力から逃れられないことを示していた。スパイであるセレインも、その視線に背筋を正す。
「よって、彼らが王国の秩序を壊さぬ限りは、見逃してやろう」陽光は静かに言葉を紡ぐ。「だが、もし“共用範囲”を超え、国家を乱す行為に手を染めるなら……」
その言葉には明確な警告の響きがある。「容赦なく財産を没収せよ。命に危険は及ぼさぬが、国家の秩序を乱す者には、必ず代償を払わせるのだ」
セレインは深く頷き、王の意志を胸に刻む。「承知しました、陛下。私が監視を続け、違反があればすぐに報告いたします」
その言葉を最後に、セレインは暗闇の中へと身を潜め、王宮の影に溶けていった。夜の廊下を駆け抜ける足音は、やがて静まり、再び冬の静寂だけが残る。
陽光は玉座に座ったまま、長い沈黙の中で思索を巡らせた。学者たちの理論を応用して経済を動かす商人たちの存在――それは脅威であると同時に、王国にとって利益にもなり得る。王はそのバランスを、冷静に、そして慎重に見極めていた。
「知識の応用は恐ろしい……だが、正しく導けば力となる」
小さく呟き、陽光は暖炉の炎に目を戻す。その光の中に、未来への指針を見出すかのように、穏やかでありながら揺るぎない決意を映し出していた。
王の裁定は明確だった。法を乱すまでは容認するが、越えた場合は即座に制裁する――それは、知識と権力の均衡を守るための絶対的なルールであり、国家の秩序を守るための鉄の掟でもある。
こうして、商人ギルドの秘密工房は、王の監視の目の下で静かに動き始めた。彼らは知識の応用による利益を追求しつつも、国家秩序という境界線の中で活動することを強いられる。予定より40年早く訪れた未来の一片――科学の進歩と商業の革新、そして王の冷静な裁定。この三者の微妙な均衡の上に、新しい時代が芽吹こうとしていた。
陽光は玉座で静かに微笑み、夜の闇に包まれる王宮を見つめる。未来はすでに動き出している。だが、その速さと規模を制御できるのは、知識を手にした者だけではない。王の目と裁定こそが、国家の秩序を守る最後の砦である――そう、陽光は確信していた。
闇の中に消えたスパイの影を背に、王は再び火の揺らめきに目を落とす。遠く王都の街では、商人たちが密かに未来を作り始めている。その動きを見守る王の心には、期待と警戒が交錯していた――予定より40年早い未来は、ただ科学や商業だけのものではなく、王の裁定という秩序の光の下で形作られていくのだ。




