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隣の空を飛ぶ君へ。

作者: 雪代深波

登場人物

成宮なるみや 星凪せな

容姿: 身長175cm、体重67.4kg。学年一のイケメンで、男女問わずモテる。

性格: 明るく優しい。しかし、恋愛に関しては少し不器用で、瑠榎への想いをうまく伝えられない一面も。

才能: 勉強全般と歌が得意。芸能界からのスカウトを断り続けていたが、瑠榎を追いかけて同じ道へ進む。

苦手なこと: 筋トレと料理。

家族構成: 両親と妹がいる。

特別な関係: 幼なじみの瑠榎に一途な片想いをしている。


蜂谷はちや 瑠榎るか

容姿: 身長160cm、体重56.3kg。優しくておしゃれな女の子。

性格: 明るく素直で、誰からも好かれる。一方で、恋愛には少し鈍感なところがある。

才能: 家事全般と勉強全般が得意。

苦手なこと: 早起き。

家族構成: 祖母と二人暮らし。

特別な関係: 幼なじみの星凪の優しさに支えられながら、自分の夢を見つけていく。


たちばな 咲良さくら

容姿: 透き通るような白い肌に、肩までかかる黒髪。芸能人かと思うほど整った顔立ち。

性格: 堂々としていて、自分の気持ちに正直。少し勝気なところもある。

特徴: 転校生として二人の前に現れる。星凪の持つ魅力に気づき、積極的にアプローチをかける。

役割: 幼なじみという特別な関係に安住していた星凪と瑠榎を、揺さぶる存在。二人の関係に変化をもたらすきっかけとなる。


コンクリートの道に、二つの影がぴたりと寄り添って伸びていた。ランドセルを揺らしながら歩くのは、小学四年生の成宮星凪(なるみやせな)と、蜂谷瑠榎(はちむらるか)だ。放課後の時間、二人の通学路はいつも決まっていた。隣同士の一軒家に向かう、たった一本の道。

「ねぇ、るか。今日の漢字テスト、満点だったよ!」

得意げにそう言って、星凪が右手に持ったテスト用紙を瑠榎に見せる。赤ペンで書かれた「100」という数字が、やけに誇らしげに見えた。

「すごい!さすが星凪だね」

瑠榎はにっこりと笑う。その笑顔に、星凪は心の中でガッツポーズをした。この笑顔が見たくて、瑠榎に褒めてもらいたくて、星凪はいつも勉強を頑張っていた。

「瑠榎だって、いつも満点じゃん」

「えへへ、そうだっけ?」

瑠榎は恥ずかしそうに笑いながら、ランドセルのサイドポケットからハンカチを取り出した。そこには、星凪が誕生日にあげた、星の刺繍が入ったものがつけられていた。

「これ、大事に使ってくれてるんだね」

星凪がそう言うと、瑠榎はうん、と大きく頷いた。

「だって、星凪がくれたんだもん。それに、すごく可愛いから」

その言葉に、星凪の心臓は少しだけ、いつもより速く跳ねた気がした。

「あのね、星凪」

瑠榎は少し言いづらそうに、もじもじとしながら星凪の顔を見上げた。

「おばあちゃん、今日風邪をひいちゃったみたいで。夕ご飯の材料を買いに行かなきゃいけないんだけど…」

「俺が手伝うよ!」

瑠榎の言葉を遮って、星凪は元気よく答えた。星凪の答えに、瑠榎は目を丸くした。

「でも、星凪のお母さんに怒られちゃうんじゃ…」

「大丈夫!どうせ俺だって、家に帰っても妹とケンカばっかりだし。それに、瑠榎のおばあちゃんのお見舞いも兼ねてって言えば、お母さん、きっと許してくれるって」

星凪はそう言って、瑠榎のランドセルを引っ張った。瑠榎はきょとんとした顔で星凪を見つめた後、ふっと笑みをこぼした。

「ありがとう、星凪。じゃあ、一緒に行こう」

二人はランドセルを揺らしながら、いつもと違う道へと歩き出した。

二人はランドセルを揺らしながら、いつもと違う道へと歩き出した。いつもの帰り道より少しだけ広い歩道には、色とりどりの花が植えられたプランターが並んでいる。

「おばあちゃん、風邪大丈夫かな」

瑠榎は不安そうに、空を見上げた。星凪はそんな瑠榎の隣を歩きながら、彼女の横顔をじっと見つめていた。

「瑠榎のおばあちゃん、いつも元気じゃん。きっとすぐに治るって」

「うん、そうだよね。でも、早く帰って看病してあげたいんだ」

瑠榎はそう言って、歩く速度を少し上げた。星凪は、そんな彼女の優しさを改めて感じていた。いつも明るく、周りの人たちに気を配れる瑠榎。祖母のことが心配で、少しだけ焦っているような、そんな横顔さえも愛おしく思えてくる。

「ねぇ、瑠榎。おばあちゃん、何が好き?」

「え?あー、えっとね。玉ねぎと人参と…あと、卵かな」

「それって、カレーの材料?」

「うん!熱が出たときとか、食欲がないときでも、なぜかカレーだけは食べてくれるんだ」

瑠榎はそう言って、はにかむように笑った。

(カレーか…)

星凪は心の中でつぶやいた。料理が苦手な自分には、とても作れないメニューだ。でも、いつか瑠榎のおばあちゃんに、自分が作ったカレーを食べてもらう日が来たら、なんて想像して、少しだけ胸が熱くなった。


二人がスーパーに到着すると、色とりどりの野菜や果物が目に飛び込んできた。瑠榎は慣れた様子で、買い物かごを手に取ると、野菜コーナーへと足を進めた。

「おばあちゃん、いつもこのスーパーなんだ。星凪のお母さんとは行くお店違うでしょ?」

「あぁ。うちの母さん、よくデパ地下とか行ってるから。なんか、こういう普通のスーパーの方がいいな」

星凪がそう答えると、瑠榎はくすっと笑った。

「普通のスーパーって、星凪が言うと面白いね」

瑠榎はそう言って、人参を手に取ってじっくりと観察している。一方、星凪はどの人参がいいのか分からず、ただぼんやりと横に立っていた。普段、母親がしてくれることを改めて実感し、自分が何もできないことに少しだけ恥ずかしさを感じていた。

「この人参、新鮮かな?」

瑠榎が星凪に人参を差し出す。星凪は慌てて受け取ると、どうしていいかわからず、とりあえず人参の先っぽを触ってみた。

「なんか…硬い?」

「ふふ、そうだよ。新鮮な人参は硬いんだって」

瑠榎はそう言って、にっこりと笑った。その笑顔に、星凪は胸の奥が温かくなるのを感じた。

結局、星凪は瑠榎に言われるがまま、玉ねぎや卵をかごに入れていった。会計を済ませ、スーパーを出ると、星凪は当たり前のように瑠榎の持つ買い物袋を両方とも受け取った。

「え、でも星凪、重いよ?」

「大丈夫。これくらい、全然平気」

星凪はそう言って、片方の袋を右手に、もう片方を左手に持ち直した。瑠榎は少し困ったように眉を下げた後、「ありがとう」と小さな声で言った。

「いいって。瑠榎のおばあちゃんのためだもん」

星凪はそう言って笑った。空がオレンジ色に染まり始める頃、二人の影は寄り添いながら、ゆっくりと家路へと向かっていた。


買い物の後、星凪は瑠榎の家まで荷物を運び、玄関先で「お大事にね」と声をかけた。瑠榎は感謝の気持ちを込めて笑顔を見せ、祖母の元へと急いだ。次の日、学校で瑠榎は「星凪のおかげでおばあちゃん元気になったよ!」と、嬉しそうに報告した。星凪は照れくさそうに笑いながらも、内心では安堵と喜びで胸がいっぱいだった。それ以来、風邪をひいたおばあちゃんのために、星凪が瑠榎の買い物を手伝うのは、二人だけの秘密の約束になった。

そして月日は流れ、二人は高校二年生になった。


変わらない日常と、変わり始めた心


放課後、成宮星凪は校舎裏で男二人組に声をかけられていた。

「おい、成宮。この前の話、もう一回考え直してくれないか?」

男たちは、先日も星凪に声をかけてきた芸能事務所のスカウトマンだった。彼らの熱心な誘いに、星凪は慣れた様子で頭を下げた。

「すみません。俺、芸能界には興味ないんで」

「なんでだよ!お前、顔もスタイルも完璧じゃねぇか。うちに来たら、すぐに売れっ子だぞ」

その言葉に、星凪は静かに微笑んだ。

「俺は、普通がいいんです。じゃあ」

そう言って、スカウトマンたちに背を向けたその時、星凪は校門の方を歩いている瑠榎の姿を見つけた。今日の瑠榎は、生成りのワンピースに、お気に入りのアクセサリーを身につけている。足取りは軽く、楽しそうにスマホをいじっていた。その姿を目で追っていた星凪は、隣のスカウトマンの熱い視線に気づかないふりをした。

「……まじかよ、あの可愛い子、お前の彼女?」

星凪はスカウトマンの言葉に反応せず、校門を抜けていく瑠榎を追いかけた。

「るか!」

星凪の声に、瑠榎は振り返った。星凪は駆け寄ると、息を切らしながら「どこ行くんだよ」と笑った。

「星凪!びっくりした。ちょっと、あそこに行こうと思って」

瑠榎が指差したのは、丘の上にある小さな公園だった。ベンチとブランコが二つあるだけの、二人だけの秘密の場所。

「……また、写真?」

「うん!星凪も付き合ってくれるでしょ?」

瑠榎はそう言って、星凪の腕を掴んで歩き出した。その手は、小学校の頃と何も変わらない、優しくて温かい手だった。

丘の上の公園に着くと、夕焼けがベンチとブランコをオレンジ色に染めていた。瑠榎はすぐにスマホを取り出すと、慣れた手つきで写真アプリを起動させた。

「星凪、そこのブランコに座って」

瑠榎はカメラを構え、星凪に指示を出した。星凪は言われるがままにブランコに座ると、背筋を伸ばし、ぎこちなく笑ってみせた。

「なんか、変じゃないか?」

「大丈夫、格好いいよ!ほら、もっと自然に笑って」

「…自然って言われても」

星凪は少し照れくさそうに笑った。その姿に瑠榎はシャッターを切りながら、楽しそうに笑う。

「ねぇ、覚えてる?小学校の頃、ここでよく遊んだよね」

「覚えてるよ。瑠榎、ブランコから飛び降りるのが得意だったな」

「そうそう!星凪に、危ないからやめなって怒られてばっかりだった」

瑠榎はそう言って、星凪の隣のブランコに座った。二人はブランコの鎖を握りしめ、ゆっくりと漕ぎ始めた。

「星凪さ、最近またスカウトされたんでしょ?」

「あぁ…なんで知ってるんだ?」

星凪は少し驚いて瑠榎の方を見た。瑠榎はくすっと笑い、少しだけ遠い目をした。

「別に、噂になってるからとかじゃないよ。いつも見てるから、わかるの」

その言葉に、星凪の心臓は大きく跳ねた。いつも見てくれている。その事実が、星凪の心を温かく満たしていく。

「…俺、芸能人とか、興味ないんだ。そんなことより、瑠榎とこうやって毎日話して、くだらないことで笑って…そういう普通の毎日の方が、ずっと大事だから」

星凪は、思いの丈を口にした。それは紛れもない本心だった。しかし、瑠榎は何も知らない。星凪の言葉を、幼なじみとしての純粋な気持ちだとしか思っていない。

「うん、そうだよね。私も、星凪とこうしてる時間が一番好きだよ」

瑠榎はそう言って、屈託のない笑顔を見せた。その笑顔に、星凪は胸の奥が締め付けられるような、甘くて切ない痛みを感じた。

「あのさ、瑠榎。もし俺が、芸能人になったら…」

「なっても、ならなくても、星凪は星凪だよ。ずっと、私の大切な幼なじみなんだから」

瑠榎はそう言って、再び空を見上げた。星凪は、そんな彼女の横顔を、ただ静かに見つめることしかできなかった。丘の上の公園での帰り道、二人はいつものように他愛のない会話をしていた。その日の夕飯のこと、テストの点数のこと、そして瑠榎が新しく見つけたおしゃれなカフェのこと。星凪は、そんな瑠榎の声を聞いているだけで幸せだった。

しかし、その平穏な日常は、次の日、少しだけ揺らぎ始める。

昼休み、瑠榎は友達と購買に向かっていた。すると、廊下の角から一人の男子生徒が歩み寄ってきた。彼は一年生の加藤で、瑠榎とは別のクラスだった。

「あの、蜂谷さんですよね?」

「はい、そうだけど…」

瑠榎が不思議そうな顔で答えると、加藤は少し緊張した面持ちで口を開いた。

「実は、ずっと蜂谷さんのこと見てて…よかったら、今度の週末、二人で出かけませんか?」

瑠榎は突然のことに、どう反応していいか分からなかった。友達は面白そうに瑠榎の背中をつついている。

「えっと…ごめんね。私、その日はちょっと用事があって…」

恋愛に鈍感な瑠榎でも、加藤の言葉がどういう意味を持つのかは分かった。ただ、彼の誘いを受けるという選択肢が、瑠榎の中には存在しなかった。

その様子を、廊下の向こうから見ていた人物がいた。成宮星凪だ。

いつものように瑠榎を迎えに行こうとした星凪は、彼女が他の男子生徒と話しているのを見て、思わず足を止めた。加藤が瑠榎に差し出したもの。それは、星凪がいつも瑠榎に贈っているような、おしゃれなブレスレットだった。瑠榎が困ったように眉を下げている姿を見て、星凪は胸の奥がざわつくのを感じた。

「あのさ、瑠榎。俺が、その用事ってやつ、一緒に手伝ってあげようか?」

星凪はそう言って、二人の間に割って入った。星凪の突然の登場に、加藤は驚いて目を丸くしている。

「星凪…?」

「ごめんね、加藤くん。この人、私の大切な用事なんだ」

瑠榎はそう言って、星凪の腕を掴んでその場を立ち去った。星凪の腕を引く瑠榎の手に、いつもとは違う力がこもっているような気がした。


少しだけ揺らいだ日常


星凪に腕を引かれ、人通りの少ない中庭までやって来た瑠榎は、ようやく足を止めた。星凪はまだ少しだけ息が荒い。

「ねぇ、どうしたの急に?」

瑠榎は不思議そうな顔で、星凪を見上げた。なぜ急に自分を助けてくれたのか、その理由が分からなかった。

「どうしたもこうしたも…見てて可哀そうになったんだよ」

星凪はそう言って、誤魔化すように笑った。

「可哀そうって、どういうこと?」

「いや、だってあいつ、すごく緊張してただろ?そんな奴を前にして、困ってる瑠榎が可哀そうだったっていうか…」

星凪はそう言って、頭を掻いた。自分の胸の奥で渦巻いていた、焦りや嫉妬を必死に隠そうとしていた。

「なにそれ…別に可哀そうなんかじゃないよ。それに、星凪だって、そういう時、助けてくれたりしないもん」

「そりゃ、俺は…瑠榎のこと、よく知ってるし。なんでも話せるし…」

星凪は言葉に詰まった。瑠榎の真っ直ぐな視線に、自分の感情がバレてしまいそうで怖かった。

「…まぁ、とにかく。そういうのは、はっきり断った方がいいって。変に期待持たせたら、相手に悪いだろ?」

星凪はそう言って、再びいつもの笑顔を瑠榎に向けた。しかし、その笑顔は、いつもより少しだけぎこちなかった。

瑠榎は、そんな星凪の様子をじっと見つめていた。今まで見たことのない、星凪の複雑な表情。そして、彼の口から出た言葉には、どこか自分を守ってくれているような響きがあった。

「…ありがとう、星凪。なんか、ごめんね」

瑠榎はそう言って、星凪の腕を優しくたたいた。その瞬間、星凪は、自分の気持ちがバレていないことに安堵しながらも、彼女に「幼なじみ」としてしか見られていないことに、少しだけ胸が痛むのを感じた。昼間の出来事を思い出しながら、星凪は自分の部屋のベッドに大の字になっていた。

(なんであんなこと言っちゃったんだろ…)

「可哀そう」なんて、本当は思ってもいない。ただ、瑠榎が他の男と楽しそうに話しているのが、胸が締め付けられるほど嫌だったのだ。

もし、瑠榎が加藤の誘いを受けていたら。もし、瑠榎が自分以外の誰かと出かけるようになっていたら。そんな想像をするだけで、星凪は心臓がぎゅっと痛むのを感じた。

「大切な用事」

瑠榎がそう言って、自分を助けてくれた言葉が頭の中でリフレインする。あの時の瑠榎は、いつもと少しだけ違っていた。でも、その理由を星凪が知る由もない。

(瑠榎の「大切な用事」が、俺でありますように)

星凪はそう願いながら、目を閉じた。


一方、瑠榎は部屋のデスクに向かい、カメラで撮った写真を整理していた。モニターに映し出されるのは、公園のブランコに座る星凪の姿だ。ぎこちない笑顔、少し照れくさそうな横顔、そして空を見上げる真剣な表情。様々な星凪がそこにいた。

「…なんか、変だったな」

昼間の星凪の態度を思い出し、瑠榎は首を傾げた。いつもの星凪なら、もっと明るくからかってくるはずなのに、あの時の彼はどこか真剣で、そして少しだけ悲しそうに見えた。

(どうして、あんなに怒ってたんだろう)

「大切な用事」と、とっさに口をついて出た言葉。加藤に誘われても、その日の予定には、星凪と話すことしか頭になかった。星凪と一緒にいる時間は、瑠榎にとって、誰といるよりも心地よく、かけがえのないものだった。

「…この写真、星凪にあげようかな」

瑠榎はそう呟くと、パソコンのキーボードに手を置いた。


一枚の写真


次の日の朝、瑠榎はいつもより少しだけ早く家を出た。手に持った小さな封筒の中には、昨日、丘の上の公園で撮った星凪の写真が入っている。

通学路で星凪の姿を見つけると、瑠榎は駆け寄って声をかけた。

「星凪、おはよ!」

「おはよ。瑠榎、今日は早いな」

「うん、ちょっとね。これ、星凪に渡したくて」

瑠榎はそう言って、封筒を星凪に差し出した。星凪は不思議そうな顔でそれを受け取ると、中身を確かめた。封筒から出てきたのは、ブランコに座っている自分の写真。

「これ…」

「昨日、公園で撮ったやつ。星凪、やっぱりカメラ写りいいから、どれもすっごく格好よくて。でも、なんか星凪っぽいなって思ったのがこれだったから」

瑠榎が選んだのは、ぎこちない笑顔の写真だった。他の誰に見せるわけでもなく、ただ瑠榎の前だけで見せる、飾らない星凪の笑顔。

「…ありがとう」

星凪は照れくさそうに笑いながら、封筒を胸に抱きしめた。その写真には、瑠榎の優しさと、星凪への特別な想いが詰まっているように感じられた。

「…そういえば、加藤くん。今日、学校で会ったんだけど。私、ちゃんと断ったからね」

「…そうか」

「うん。だって、私は…星凪といる時間の方が、ずっと大事だから」

そう言って、屈託なく笑う瑠榎の言葉に、星凪は胸が熱くなるのを感じた。

「あのさ、瑠榎」

「なに?」

「これからも、いっぱい俺のこと撮ってよ。俺、瑠榎が撮ってくれるなら、いつまでもモデルになってあげるから」

星凪の言葉に、瑠榎は目を丸くした。

「え、本当に!?やったあ!ありがとう、星凪!」

瑠榎は嬉しそうに、星凪の腕に自分の腕を絡ませた。

「それじゃあ、今日は放課後、どこ行く?」

「うーん…そうだなぁ。おしゃれなカフェとか、どう?」

「いいじゃん!行こう!」

二人はそう言って、楽しそうに通学路を歩き始めた。


放課後、二人は電車に乗って、隣町のカフェへと向かった。車内に入ると、すぐに周囲の視線が星凪に集まるのを感じた。その整った顔立ちと際立つスタイルは、どこにいても人目を引く。特に女子高生たちの間では、ひそひそと噂話が始まるのが常だった。

「ねぇ、あれ…もしかして、あの成宮くんじゃない?」

「え、ほんとだ!やばい、超かっこいい!」

瑠榎は、そんな周囲の騒がしさに気づかないふりをしながら、窓の外を流れる景色をスマホで撮っていた。星凪は少しだけ居心地が悪そうに眉をひそめたが、瑠榎が楽しそうにしているのを見ると、何も言わずに視線を窓の外に向けた。

駅から歩いて数分の路地裏にあるカフェは、外観も内装もおしゃれで、瑠榎の趣味にぴったりだった。カフェに入ると、店内の客も一斉に星凪に気づき、ざわめきが起こる。

「きゃー、やっぱり成宮くんだ!」

「隣の子、可愛い!彼女かな?」

周囲の視線を感じながら、星凪は少しだけ顔をしかめた。しかし、瑠榎はそんな喧騒を気にする様子もなく、きょろきょろと店内を見回している。

「星凪、ここ座って!」

瑠榎は窓際の席を指差した。大きな窓からは、日が傾き始めた街並みが見える。星凪が席に着くと、瑠榎はすぐにスマホを取り出して、カメラを構えた。

「はい、チーズ!」

星凪は少し照れくさそうに笑った。その笑顔に、近くの席の女子たちがまた 小さな悲鳴を上げた。

「星凪、このケーキもすごく美味しそうでしょ?半分こしない?」

瑠榎はそう言って、チョコレートケーキとチーズケーキを指差した。星凪は、周囲の視線を感じながらも、瑠榎と二人だけの空間に入り込もうとしていた。

「半分こか…いいな」

星凪はそう言って、瑠榎が指差すケーキを見つめた。そして、その視線を瑠榎に移すと、彼女の瞳がキラキラと輝いていることに気づいた。騒がしい周囲とは対照的に、瑠榎の笑顔は穏やかで、星凪の心を安らげてくれた。

「よし、瑠榎が半分こしたいなら、そうしよう」

星凪は、時折向けられる視線を意識しながらも、瑠榎との時間を大切にしようと努めていた。


街の喧騒と、二人だけの時間


店内のざわめきをよそに、星凪と瑠榎は注文したケーキを待っていた。星凪は、時折向けられる好奇の目に少しうんざりしながらも、向かいに座る瑠榎の笑顔に救われていた。

「ねぇ、星凪。なんかごめんね」

瑠榎はスプーンを手に取りながら、申し訳なさそうに言った。

「なんで謝るんだよ」

「だって、星凪がここにいるだけで、みんなすごく見てくるから…嫌な思いさせてないかなって」

瑠榎は、周囲の視線に気づいていないわけではなかった。ただ、それを気にしないように振る舞っていただけだった。

「嫌な思いなんてしてないよ」

星凪はそう言って、瑠榎の手をそっと握った。

「…俺は、こういう時、瑠榎といる時間が一番落ち着くんだ。だから、いつもこうして二人でいられるだけで、十分幸せだよ」

その言葉に、瑠榎の頬が少し赤くなった。

「星凪…」

「それに、俺がスカウトとか全部断る理由、知ってるだろ?」

星凪はそう言って、瑠榎の瞳をじっと見つめた。

「…うん。普通の毎日がいいって」

「そう。その『普通』ってやつを、瑠榎といると、すごく実感できるんだ。だから、瑠榎といる時間は、俺にとって何よりも大切な時間なんだよ」

星凪の言葉は、まるで告白のようだった。恋愛に鈍感な瑠榎も、その真剣な眼差しに、いつもの星凪とは違う何かを感じ取っていた。


瑠榎は、握られたままの星凪の手を、きゅっと握り返した。

「…私も、星凪といると落ち着くよ」

瑠榎は、そう小さく呟いた。

「だから、私も、星凪の『大切な存在』になれてるかな…?」

瑠榎はそう言って、星凪の目をまっすぐに見つめた。それは、今まで恋愛に鈍感だった瑠榎が、初めて星凪の気持ちに寄り添おうとした、小さな一歩だった。

星凪は、その言葉に息をのんだ。 胸の奥で、何かが弾けるような音がした。 「大切な存在」という言葉が、星凪の心臓を激しく揺さぶる。

(なれてるかな?って…そんなの、当たり前だろ)

「……なってるよ」

星凪はそう言って、瑠榎の手をもう一度ぎゅっと握りしめた。

「瑠榎は、俺にとって…かけがえのない、大切な存在だ。ずっと、ずっと…」

星凪の言葉は、まるで堰を切ったかのように溢れ出した。ずっと胸の奥にしまい込んでいた、瑠榎への想いが、一気に口からこぼれ落ちていく。

「…好きだ、瑠榎」

星凪は、自分の口から出た言葉に、ハッとした。これは、言ってはいけない言葉だった。瑠榎を困らせてしまう、一番言ってはいけない言葉だった。

瑠榎は、目を見開いたまま、何も言えずにいた。

その瞬間、星凪は、カフェのざわめきも、瑠榎の驚いた顔も、何もかもが恐ろしくなってしまった。そして、何も言わずに瑠榎の手を離すと、慌てて席を立ち、店の外へと駆け出した。

「星凪…!?」

瑠榎が呼びかける声が、遠くに聞こえる。

星凪は、ただひたすらに走った。 夕焼けに染まる街を、ただひたすらに走った。 自分の口から出てしまった言葉を後悔しながら、そして、その言葉が瑠榎に届いてしまったことに、どうしようもなく動揺しながら。


星凪がカフェから飛び出した後、瑠榎は呆然としながらも、彼の後を追った。人通りが多い街中を必死に走りながら、彼の姿を探した。そして、一本裏道に入ったところで、壁にもたれかかり、膝を抱えている星凪を見つけた。

「星凪!」

瑠榎が駆け寄ると、星凪は顔を上げずに、ただ静かにふるえていた。

「どうしたの?急に走って…」

瑠榎が声をかけると、星凪は小さく体を揺らした。

「……ごめん」

「なんで謝るの?星凪が謝ることなんて…」

「ごめん…俺、帰る」

星凪はそう言って、立ち上がろうとした。瑠榎は慌てて彼の腕を掴んだ。

「待って!どうしたの?何があったの?」

「何もない!何もなかったことに、してくれ…」

星凪は、振り払うように瑠榎の手を振りほどいた。その手は、冷たく、まるで別人かのようだった。

「どうして…?」

瑠榎は、ただただ困惑していた。目の前にいるのは、いつも優しく、明るい幼なじみではない。自分を避けるように、顔も見ようとしない星凪。

「本当に、ごめん。もう…話しかけないでくれ」

星凪はそう言って、再び走り出した。その背中は、夕焼けの光の中、どこか遠くへ行ってしまうように見えた。

その翌日。

「星凪…!」

瑠榎は、教室の廊下で星凪を見つけると、駆け寄って声をかけた。しかし、星凪は瑠榎の姿に気づくと、そっと目をそらし、足早に立ち去ってしまった。その姿に、瑠榎はただ立ち尽くすしかなかった。


遠ざかる背中


その日の夜、瑠榎は自分の部屋のベッドに座り、窓の外をぼんやりと見ていた。隣の家からは、星凪の部屋の明かりが見えている。いつもなら、メッセージのやり取りをしたり、他愛のない電話をしたりする時間。でも、今日の星凪からは、何の連絡もなかった。

(どうして、私を避けるんだろう…?)

瑠榎は、昼間の出来事を何度も何度も思い出していた。

「……好きだ、瑠榎」

星凪が口にした、あの言葉。そして、その後に見せた、傷ついた子どものような表情。

星凪が「好き」と言ったのは、きっと幼なじみとしての「好き」だったのだろう。そう信じようと、頭では思っていた。そうでなければ、あの後、あんなに悲しそうに、そして怖がるように、自分から逃げ出すはずがない。

でも、そう思うたびに、胸の奥がチクリと痛んだ。

いつも隣にいた星凪。何を話しても、笑ってくれる星凪。困っていると、すぐに助けてくれる星凪。

そんな、当たり前だった星凪が、突然遠い存在になってしまった。彼の背中が、まるで知らない人のように見えた。

(……ねぇ、星凪。どうして、何も話してくれないの?)

瑠榎は、スマホの画面に映る星凪の名前を見つめた。連絡をしたい。話がしたい。もう一度、いつものように笑い合いたい。でも、星凪の「もう…話しかけないでくれ」という言葉が、瑠榎の指を止めてしまう。二人の間にできた、たった一日分の、たった数時間分の距離。その距離が、瑠榎にはどうしようもなく、遠く感じられた。



溢れる涙と、確かな想い


次の日も、星凪は瑠榎を避けた。

朝の通学路、彼はいつもより早く家を出て、瑠榎が追いつけないほどの早足で歩いていく。学校でも、瑠榎が話しかけようとすると、そっと目をそらして、友達と話すふりをした。

放課後、瑠榎は一人、二人がよく行く丘の上の公園に向かった。ベンチに腰を下ろすと、少し錆びついたブランコが風に揺れていた。

(ああ、こんな日もあったな)

瑠榎は、幼い頃の記憶を辿っていた。ブランコから飛び降りるのが得意で、星凪に「危ないからやめな」と叱られたこと。勉強が苦手なふりをして、星凪に教えてもらったこと。誕生日には、毎年お揃いの鉛筆や消しゴムを贈り合ったこと。そして、家が隣同士で、生まれた病院まで一緒だったこと。

どの思い出にも、必ず星凪がいた。

いつだって、星凪は瑠榎の一番近くにいた。 笑顔を向け、手を差し伸べ、瑠榎の日常を温かく包んでくれた。

(なんで、私、気づかなかったんだろう…)

瑠榎の目から、大粒の涙が溢れ出した。 恋愛に鈍感だった自分。 星凪の優しさや、特別な想いに、ずっと気づいてあげられなかった自分。

星凪がカフェで言った言葉が、鮮明に蘇る。

「……好きだ、瑠榎」

あれは、幼なじみとしての「好き」なんかじゃなかった。 彼の逃げ出したくなるほどの真剣な眼差し、傷ついた表情。 あれは、星凪が初めて瑠榎に見せた、嘘偽りのない心だった。

(ごめんね、星凪…)

瑠榎は、スマホのカメラロールを開いた。そこには、星凪の笑顔がたくさん詰まっている。ブランコに座るぎこちない笑顔、カフェでケーキを見つめる優しい眼差し、そして、昨日の朝、笑顔で通学路を歩く星凪の姿。

これらの写真に映る彼の瞳には、いつも瑠榎だけが映っていた。 その事実に気づいた瞬間、瑠榎の涙は、もう止まらなかった。


届かない言葉


日が沈みかける頃、瑠榎は意を決して、星凪の家の前へと向かった。インターホンを押しても誰も出ない。不安になりながらも、家の前に座り込み、星凪が帰ってくるのを待った。

どれくらい時間が経っただろうか。 夜風が冷たくなり始めた頃、星凪が帰ってきた。

「星凪…!」

瑠榎は、立ち上がって駆け寄った。星凪は、瑠榎の姿に気づくと、一瞬足を止め、そして再び歩き出した。

「待って!話がしたいの!」

瑠榎がそう叫んでも、星凪は何も言わず、ただまっすぐと家のドアに向かって歩いていく。

「お願い、星凪!私のせいだよね!?私が、鈍感だったから…ごめんね、気づかなくて…」

瑠榎の目に、再び涙が溢れてくる。星凪は、玄関の鍵を開け、家の中に入ろうとした。

「……星凪のこと、好きだよ!」

瑠榎の叫びに、星凪の動きが止まった。 彼は、何も言わずに、そのままドアを閉めてしまった。

瑠榎は、閉まったドアの前で、ただ立ち尽くしていた。 どれだけ叫んでも、どれだけ想いを伝えても、星凪には届かなかった。 二人の間には、厚く、冷たいドアが立ちはだかっていた。


届かなかった言葉と、届いた想い


瑠榎が閉まったドアの前で立ち尽くしていた、その日の夜。

星凪は自室に戻ると、ベッドに顔を埋めた。胸は苦しく、頭の中は瑠榎の泣き顔でいっぱいだった。

(どうしてあんなこと…)

瑠榎を傷つけてしまった後悔と、自分の気持ちを伝えてしまったことへの恐怖。感情の波に押しつぶされそうになっていた。

コンコン、と部屋のドアがノックされた。

「お兄ちゃん、ご飯だよ」

妹の声に、星凪は「いらない」とだけ返した。

「もう!また瑠榎ちゃんのことでしょ?さっき瑠榎ちゃんがお兄ちゃんの家の前に座り込んでたって、お母さんが言ってたよ」

星凪は、妹の言葉にハッとした。瑠榎が、あんなに寒くなるまで自分のことを待っていてくれた。その事実に、胸の奥が締め付けられる。

「ねぇ、お兄ちゃん。瑠榎ちゃん、泣いてたんだって。お兄ちゃんがそんなことするからだよ」

「うるさい!もういいから放っておいてくれ!」

星凪は声を荒げた。

しかし、妹は怯むことなく、続けた。

「瑠榎ちゃん、言ってたんだよ。『星凪くんのこと、好きだよ』って。お兄ちゃん、ちゃんと聞いてあげなきゃだめだよ」

その言葉に、星凪は全身が凍りついたように動けなくなった。

(瑠榎が…俺のことを…)

自分の逃げるような態度に、心を閉ざしてしまった瑠榎。その瑠榎が、勇気を出して自分の気持ちを伝えてくれた。

星凪は、ベッドから飛び起きると、部屋のドアを開け、リビングに向かった。

「お母さん、瑠榎、大丈夫だった?」

「ええ。大丈夫よ。でも、何かあったなら、ちゃんと話してあげなさい」

母は、心配そうな顔で星凪を見ていた。

星凪は何も言わず、自分の部屋に戻った。そして、机の上に置いてあるスマホを手に取った。そこには、瑠榎からのメッセージは一件も届いていなかった。

(俺のせいで…)

星凪は、スマホを握りしめ、窓の外を見た。隣の家の瑠榎の部屋には、まだ明かりが灯っていた。葛藤の夜


妹の言葉に、星凪の心は激しく揺さぶられた。瑠榎が、泣きながら自分の家の前で待っていてくれたこと。そして、「星凪のこと、好きだよ」と、勇気を出して言ってくれたこと。

窓の外に目をやると、瑠榎の部屋の明かりはまだ灯っている。 星凪は、スマホを手に取った。 メッセージを送ろうか。 「ごめん」と、ただ一言だけでも。 でも、その指は震えて、文字を打つことができなかった。

(会って、謝りたい)

走り去ってしまった自分。 冷たい態度で、瑠榎を傷つけてしまった自分。 顔を見て、直接謝りたい。

しかし、同時に、もう一つの感情が星凪の心に湧き上がる。

(このまま、会わない方がいいんじゃないか?)

もし会ってしまったら、また自分の気持ちを抑えきれなくなって、瑠榎を困らせてしまうかもしれない。 彼女の「好き」という言葉は、幼なじみとしての純粋な気持ち。 そう信じる方が、二人にとって幸せなのではないか。 自分のせいで、二人の当たり前だった日常が、二度と戻らないものになってしまうのは、怖かった。

星凪は、スマホをベッドに投げ出した。 会いたい。 でも、会ってはいけない。 謝りたい。 でも、謝ってしまったら、もう後戻りできない。

窓の外の明かりを見つめながら、星凪は一晩中、眠れぬ夜を過ごした。


新たな始まり


葛藤の夜を越え、星凪は決意を固めた。

朝、いつもの通学路。星凪は、少しだけ早く家を出て、角を曲がったところで瑠榎を待っていた。

やがて、瑠榎が歩いてくるのが見えた。彼女は、星凪の家の前を通るとき、一瞬だけ足を止め、そしてうつむき加減で歩き出した。その背中が、とても小さく見えた。

「瑠榎」

星凪が声をかけると、瑠榎はビクッと体を震わせた。そして、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、少しだけ赤く腫れていた。

「……星凪」

「あの…昨日は、ごめん」

星凪は、頭を下げた。瑠榎は、何も言わずに星凪を見つめていた。

「俺、瑠榎を傷つけるようなこと、言いたくなかったんだ」

星凪はそう言って、改めて瑠榎の顔を見た。その表情は、いつもの笑顔ではなく、戸惑いと不安で揺れていた。

「……私も、ごめん」

「なんで瑠榎が謝るんだよ」

「だって、私が鈍感だったから…星凪に、あんなこと言わせて…」

瑠榎の目に、再び涙が滲んできた。星凪は、そんな瑠榎の涙を、見ていることができなかった。

「違う。俺が勝手に…」

星凪は、そこで言葉を止めた。

(俺は、どうしたいんだ…?)

瑠榎を傷つけたくない。 でも、彼女を好きだという気持ちも、もう隠せない。

「……ねぇ、瑠榎。もう一度、話さないか」

星凪はそう言って、瑠榎の手をそっと握った。

「俺は、瑠榎とこのままでいたくない。幼なじみとして、これからもずっと、隣にいてほしいんだ」

その言葉は、星凪が葛藤の末に選んだ、精一杯の「答え」だった。


瑠榎は、星凪の言葉に、何も言えなかった。ただ、握られた手から伝わる温かさに、胸がじんわりと熱くなるのを感じていた。

「……うん。私も、星凪と、これからもずっと一緒にいたい」

そう言って、瑠榎は星凪の手を握り返した。



幼なじみ、でも少し違う二人


それから、二人の関係は、少しずつ変化していった。

通学路で、星凪はもう瑠榎を避けることはなかった。いつものように他愛のない会話を交わし、笑い合った。放課後も、丘の上の公園に行ったり、新しいカフェを探したりした。

でも、二人の間には、以前にはなかった「何か」があった。

星凪は、瑠榎が他の男子生徒と話しているのを見ると、少しだけ複雑な表情を浮かべた。そして、瑠榎は、そんな星凪の様子に、胸がチクリと痛むのを感じていた。

ある日の帰り道、瑠榎は、勇気を出して星凪に尋ねてみた。

「ねぇ、星凪。あの時、カフェで言ってくれた言葉…」

瑠榎の言葉に、星凪は一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。

「…あれは、なかったことにしてくれるか?」

星凪はそう言って、いつもの笑顔を瑠榎に向けた。しかし、その笑顔は、どこか寂しそうで、瑠榎の心を締め付けた。

「…わかった。なかったことにする」

瑠榎は、そう答えるのが精一杯だった。

しかし、瑠榎は心の中で、星凪の気持ちをなかったことにはできない、と感じていた。そして、いつか、星凪が隠している本心を、もう一度聞かせてほしいと願っていた。


新たな風


そんなある日、瑠榎のクラスに、一人の転校生がやってきた。

「今日から、皆さんと一緒に勉強することになりました、たちばな 咲良さくらです」

透き通るような白い肌に、肩までかかる黒髪。彼女は、芸能人かと思うほど整った顔立ちをしていた。

「橘さん、星凪くんと席が隣みたいだよ」

瑠榎は、友達の言葉に、少しだけ胸がざわつくのを感じた。

放課後、瑠榎が丘の上の公園に行こうとすると、星凪が誰かと話しているのが見えた。相手は、転校生の橘咲良だった。

「成宮くんって、本当に顔がいいよね。私、ひと目見たときから、すごく気になってたんだ」

橘はそう言って、星凪に笑顔を向けている。星凪は、少し困ったような、でもどこか嬉しそうな表情で、彼女の話を聞いていた。

(…あんな顔、私には見せてくれないのに)

瑠榎は、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じた。

「ねぇ、瑠榎。どうしたの?」

友達に声をかけられ、瑠榎は、慌てて笑顔を作った。

「ううん、何でもないよ。ちょっと、忘れ物したから、取りに戻るね」

そう言って、瑠榎は二人に背を向け、走り出した。 彼女の心の中には、今まで感じたことのない、星凪を誰かに取られてしまうかもしれないという、不安な気持ちが渦巻いていた。


積極的なアプローチ


その日から、橘咲良は星凪に積極的に話しかけるようになった。

昼休み、彼女は星凪の机にやってきて、楽しそうに話している。

「成宮くんって、歌が好きなんだよね?私も好きなの。今度、一緒にカラオケ行かない?」

星凪は、困ったように笑いながらも、「…ごめん、俺、瑠榎と約束してるんだ」と断った。しかし、橘は諦めない。

「じゃあ、瑠榎ちゃんも誘って、みんなで行こうよ!」

橘はそう言って、瑠榎に笑顔を向けた。その笑顔は、とても無邪気で、瑠榎は何も言えなくなってしまう。

瑠榎が帰りの準備をしていると、橘が近づいてきた。

「ねぇ、瑠榎ちゃん。成宮くんって、本当にカッコイイよね。でも、何となく、誰にも本心を見せてない気がするんだ。私、成宮くんの本心を、もっと知りたいな」

橘はそう言って、瑠榎の目をじっと見つめた。その言葉は、まるで瑠榎の心の中を見透かしているようで、瑠榎は何も言い返すことができなかった。

その日の放課後、星凪は、いつものように瑠榎を待っていた。

「瑠榎、行こう」

星凪はそう言って、いつものように笑顔を向けた。しかし、瑠榎は、その笑顔の中に、どこか遠い光を感じていた。


幼なじみのプライド


放課後、いつものように星凪が瑠榎を待っていると、橘咲良も二人の元へやってきた。

「ねぇ、成宮くん。明日、よかったら一緒に帰らない?うち、成宮くんの家の近くみたいなんだ」

橘は、星凪にだけ聞こえるくらいの小さな声で言った。星凪は戸惑いの表情を浮かべたが、その言葉を隣で聞いていた瑠榎は、思わず口を開いた。

「橘さん、星凪と私は、家が隣同士なの。それに、生まれた病院も一緒で、誕生日も同じなの」

瑠榎は、精一杯の強がりで、橘にそう告げた。その言葉は、まるで「星凪の隣は、私だけの場所だ」と主張しているようだった。

橘は一瞬、きょとんとした顔で瑠榎を見た後、にっこりと微笑んだ。

「へぇ、そうなの。知らなかったな。でも、だから何?」

その言葉に、瑠榎は何も言い返すことができなかった。 橘は、勝気な笑顔で星凪に言った。

「ねぇ、成宮くん。私、成宮くんのそういう特別なところ、もっと知りたいな。明日の放課後、どうかな?」

星凪は、隣の瑠榎をちらりと見た。瑠榎は、悔しさで唇を噛みしめていた。


断ち切れない絆


橘の言葉に、星凪は小さく息を吐いた。そして、まっすぐと彼女の瞳を見つめた。

「ごめん、橘さん。俺は、瑠榎といる時間が一番大切だから。明日も、明後日も、瑠榎と帰りたい」

星凪の言葉に、瑠榎はハッとして顔を上げた。橘は、一瞬だけ笑顔を固まらせたが、すぐにまたにっこりと微笑んだ。

「そっか。残念。じゃあ、また今度ね!」

橘はそう言って、くるりと背を向けて去っていった。

二人の間に沈黙が流れた。

「…なんで、あんなこと言ったの?」

瑠榎は、俯いたまま、星凪に尋ねた。

「俺が言いたいのは、そっちだよ。なんであんなに意地悪なこと言ったんだ?」

星凪はそう言って、瑠榎の頭をそっと撫でた。

「橘さんは、俺たちにないものを、たくさん持ってる。でも、俺には…瑠榎といる、この時間が、何よりも大切なんだ」

星凪の言葉に、瑠榎の胸は温かいもので満たされていった。

「私も、そうだよ…」

瑠榎はそう言って、星凪の腕にそっと自分の腕を絡ませた。


突然のスカウト


帰り道、二人はいつものように、他愛のない会話をしながら歩いていた。

「ねぇ、星凪。今日のご飯、何にする?」

「んー、カレーかな。瑠榎のおばあちゃん、もう風邪治ったんだろ?」

「うん!もうすっかり元気だよ。そうだ、カレーにしよっか」

瑠榎は、楽しそうに話していた。そんな二人の前に、突然、スーツを着た男が立ちはだかった。

「すいません、そこのお嬢さん」

男はそう言って、瑠榎をじっと見つめている。星凪は、男の顔を見て、警戒するように瑠榎を少し後ろに隠した。

「…もしかして、芸能事務所の方ですか?」

星凪の言葉に、男はにやりと笑った。

「おや、よくご存知で。そちらの成宮くんには、何度もお声がけさせていただいているんですが、どうにも頑固で。それで、新しい逸材を探していたところ、彼女の笑顔に惹かれましてね」

男はそう言って、瑠榎に名刺を差し出した。

「一度、事務所に来ていただけませんか?必ず、君をスターにします」

瑠榎は、名刺を見つめながら、戸惑っていた。星凪は、そんな瑠榎の腕を掴み、男に背を向けた。

「すみません。彼女も、芸能界には興味ありませんので」

星凪は、そうきっぱりと告げた。

「…本当にいいんですか?こんな原石、なかなか見つかりませんよ」

男はそう言って、二人の背中に声をかけた。


男が去った後も、瑠榎は名刺を握りしめたまま、何も言えずにいた。

「…ねぇ、星凪」

「なんだよ。変なこと考えんなよ」

星凪は、心配そうに瑠榎の顔を覗き込んだ。

「ねぇ、星凪。どう思う?私が芸能人になったら」

瑠榎の言葉に、星凪は息をのんだ。

「…俺は、瑠榎がやりたいなら、やればいいと思うよ」

星凪は、精一杯の強がりでそう言った。しかし、その声は、少しだけ震えていた。

「でも、星凪は、芸能界に興味ないんでしょ?」

「俺と瑠榎は違うだろ」

星凪は、そう言って、瑠榎から顔を背けた。

「ねぇ、星凪。私、やりたいんだ。私、自分のことが好きになれなくて、どうしたらいいか分からないから。でも、その人が、『君の笑顔に惹かれた』って言ってくれた。私、私だけの武器が、何かあるのかなって、知りたくなったんだ」

瑠榎はそう言って、星凪に名刺を差し出した。

「星凪も、一緒に行ってくれないかな?」

瑠榎の真剣な眼差しに、星凪は何も言えずにいた。


一番近くで


星凪は、差し出された名刺を見つめた。瑠榎の手に握られたそれは、まるで星凪の胸に突き刺さるナイフのようだった。

「…ごめん、瑠榎。一緒には、行けない」

星凪の言葉に、瑠榎は俯いた。

「そっか…そうだよね。いきなりこんなこと言われても、困るよね」

「違う」

星凪はそう言って、瑠榎の手をそっと握った。

「俺は、瑠榎と一緒に、芸能事務所には行けない。でも…」

星凪は、言葉を選びながら、ゆっくりと続けた。

「でも、もし瑠榎が、本当に自分のことを好きになりたいって思うなら、俺は一番近くで応援する。瑠榎が頑張る姿を、誰よりも近くで見てる。だから…」

星凪は、瑠榎の瞳をまっすぐに見つめた。

「だから、不安になったり、辛くなったりしたら、いつでも俺を頼ってくれ。俺は、ずっとここにいるから」

その言葉は、星凪がどれだけ瑠榎を大切に思っているかを表す、精一杯の愛の告白だった。


星凪の言葉に、瑠榎は胸がいっぱいになっていた。

(一番近くで、応援してくれる…)

それは、星凪がどれだけ瑠榎を大切に思っているかを表す、精一杯の愛の告白だった。星凪が自分の気持ちを「なかったこと」にしようとしていたのは、きっと、この関係を壊したくないから。でも、そんな星凪の想いを、瑠榎はもう見過ごすことはできなかった。

「…星凪」

瑠榎はそう言って、星凪に名刺を差し出した。

「私、やってみる。自分のことが好きになれるように、頑張ってみる」

瑠榎の決意に、星凪は、複雑な表情を浮かべながらも、そっと微笑んだ。

「うん。頑張れ、瑠榎。俺は、ずっとここにいるから」

星凪はそう言って、瑠榎の頭を優しく撫でた。


瑠榎の旅立ちと、星凪の日常


それから、瑠榎はスカウトを受けた芸能事務所で、レッスンやオーディションの日々を送るようになった。

慣れない環境でのレッスンに、瑠榎は戸惑うことも多かった。それでも、彼女の笑顔は、多くの人の心を惹きつけ、小さな仕事も少しずつ増えていった。

星凪は、そんな瑠榎の姿を、一番近くで見守っていた。 隣同士の家から、朝早く出かける瑠榎。夜遅くに帰宅し、疲れて眠ってしまった瑠榎。

二人の時間は、以前のように多くはなくなった。それでも、瑠榎が家に帰ってくると、星凪は決まって「おかえり」と声をかけた。

「ねぇ、星凪。今日ね、写真撮ってもらったんだ。初めて、雑誌に載るんだって」

瑠榎は、嬉しそうにスマホの画面を星凪に見せる。そこに映る瑠榎は、いつもより少しだけ大人びて見えた。

「すごいじゃん。おめでとう、瑠榎」

星凪はそう言って、瑠榎の頭を優しく撫でた。

(よかった…)

瑠榎が自分の夢に向かって進んでいること、そしてその姿が輝いていることに、星凪は心から喜んでいた。

しかし、同時に、瑠榎の隣にいることが、少しだけ遠く感じられるようになっていた。

(瑠榎の隣は、俺だけじゃないんだな…)


追いかける背中


ある日の放課後、星凪は一人、丘の上の公園に来ていた。ブランコに座りながら、ぼんやりとスマホを眺める。

画面には、ファッション誌の表紙を飾る瑠榎の姿が映っていた。隣には、別の男性モデルが写っている。

「…可愛いな、瑠榎」

星凪はそう呟いた。そこには、以前のように無邪気に笑う瑠榎ではなく、プロの顔をした瑠榎がいた。

(俺は、このままここにいて、瑠榎の背中を、見ているだけでいいのか…?)

星凪は、以前、芸能事務所のスカウトを断り続けていたことを思い出した。あの時の自分は、「瑠榎といる、この時間が、何よりも大切なんだ」と思っていた。

でも、今は違う。

瑠榎は、新しい世界で、新しい景色を見ている。 このままでは、いつか、瑠榎の隣にいることができなくなってしまう。

その時、星凪のスマホに、一通のメッセージが届いた。

『成宮くん、元気?瑠榎ちゃん、最近忙しそうで、あまり会えてないみたいだね。私も心配だよ。もしよかったら、今度話さない?』

差出人は、橘咲良だった。

星凪は、スマホを握りしめた。 橘の誘いは、星凪にとって、瑠榎のいる世界へ飛び込むための、一つのきっかけになるかもしれない。

(俺は、やっぱり、瑠榎の隣にいたいんだ)

星凪はそう決意し、立ち上がった。


星凪は、ポケットに忍ばせていた名刺を取り出した。それは、以前、彼をスカウトした芸能事務所のものだ。名刺の裏に書かれた電話番号を、震える指で押した。

『もしもし、お電話ありがとうございます、スターライトエトワールプロダクションです』

星凪は、深呼吸をして、言葉を絞り出した。

「…先日、そちらのスカウトの方に、お声がけいただいた、成宮星凪です。一度、お話させていただくことは可能でしょうか?」

電話口の女性は、少し驚いた様子で、「はい、かしこまりました。担当の者にお繋ぎいたします」と答えた。

星凪は、受話器を握りしめ、心臓が大きく鳴るのを感じていた。

(俺は、瑠榎の隣に行くんだ)


同じ夢を追いかける二人


それから数日後、星凪は、瑠榎が所属するスターライトエトワールプロダクションのレッスン室にいた。

「成宮くん、本当にすごいね。瑠榎ちゃんと同じ事務所で、また一緒に頑張れるなんて」

橘咲良は、笑顔で星凪に話しかけた。彼女は芸能事務所には所属しておらず、たまたま星凪がレッスンを受けているのを見かけて声をかけてきたのだ。

星凪は、橘と話しながらも、視線は瑠榎に注がれていた。 瑠榎は、ダンスのレッスンで、慣れない動きに苦戦している。それでも、彼女の瞳は輝いていて、楽しそうに体を動かしていた。

「あ、星凪!来てたんだ!」

レッスンが終わると、瑠榎が星凪に駆け寄ってきた。

「うん。今日から、俺もここでレッスン受けることになったんだ」

「えっ!嘘!なんで!?」

瑠榎は、目を丸くして星凪を見つめた。

「俺、やっぱり瑠榎といる時間が一番大切だから。瑠榎の隣で、一緒に頑張りたいって思ったんだ」

星凪はそう言って、照れくさそうに笑った。その言葉に、瑠榎は何も言えずに、ただ星凪の顔をじっと見つめていた。

(星凪…)

瑠榎の心の中には、嬉しさと同時に、戸惑いの感情が湧き上がっていた。



それぞれの視点


瑠榎

星凪が自分の隣にいる。 それは、瑠榎にとって、何よりも心強いことだった。

芸能界という、慣れない世界で、瑠榎はいつも不安を感じていた。 「私に、本当にできるのかな?」 そう思うたびに、隣にいる星凪の存在が、瑠榎の背中を押してくれた。

星凪は、瑠榎がレッスンで失敗して落ち込んでいると、いつも「大丈夫だよ」と優しく声をかけてくれた。 雑誌に載ったときは、自分のことのように喜んでくれた。

(星凪がいるから、頑張れる)

瑠榎は、星凪に支えられながら、少しずつ芸能界という新しい世界で、自分の居場所を見つけていこうとしていた。

星凪

瑠榎が、以前よりも少しだけ遠く感じられるようになっていた。

雑誌の表紙を飾り、ファンに囲まれている瑠榎。 そんな彼女の姿を見るたびに、星凪は胸が締め付けられるような痛みを感じていた。

(瑠榎の隣にいたい。でも、今の俺じゃ…)

星凪は、自分の気持ちを隠しながらも、瑠榎の隣に立つにふさわしい人間になろうと、必死にレッスンに励んでいた。

「成宮くん、本当にセンスあるよね。瑠榎ちゃんも、もっと頑張らないと、置いてかれちゃうよ?」

橘咲良は、星凪にそう言って笑った。

(違う。俺が頑張るんだ。瑠榎を、一人にしないために)

星凪は、瑠榎の隣で輝くために、必死に努力していた。


突然のチャンス


それから数ヶ月が経った。

二人は、それぞれのレッスンに励みながら、少しずつ芸能界の仕事にも慣れていった。

そんなある日、二人の前に、事務所のマネージャーが現れた。

「成宮くん、蜂谷さん。君たちに、仕事のオファーが来ています」

マネージャーの言葉に、二人は顔を見合わせた。

「ファッション雑誌の企画で、カップルモデルとして、写真を撮ってほしいと。幼なじみの二人が、夢を追いかける姿を描く、という内容です」

マネージャーはそう言って、企画書を二人に差し出した。

企画書には、「運命の幼なじみ」という見出しが、大きく書かれていた。

二人は、何も言えずに、ただ企画書を見つめていた。


幼なじみという名の魔法


撮影当日。

二人は、白いTシャツとデニムという、シンプルな衣装で撮影現場に立っていた。

「成宮くん、もっと彼女に顔を近づけて!」

カメラマンの声に、星凪は緊張で体がこわばるのを感じた。

「蜂谷さん、もっと彼に甘えるように!」

瑠榎もまた、戸惑っていた。いつも隣にいる星凪。でも、こんなに意識して見つめ合うのは、初めてだった。

「瑠榎、大丈夫」

星凪がそう言って、瑠榎の手をそっと握った。その温かさに、瑠榎の緊張は少しだけ和らいだ。

「よし、いいぞ!そのままの表情で!」

カメラマンのシャッター音が、何度も鳴り響く。

「はい、次はロケバスの前で。成宮くん、彼女の頭をポンポンってして」

星凪は、言われるがままに瑠榎の頭を優しく撫でた。

「瑠榎、お前さ…」

「なに?」

「なんだか、いつもよりちょっとだけ、可愛いな」

星凪の言葉に、瑠榎は思わず顔を赤らめた。星凪は、そんな瑠榎を見て、少し照れくさそうに笑った。

(星凪…)

瑠榎は、仕事を通して、普段の幼なじみとは違う、星凪の一面を見ていた。

それは、自分をドキッとさせるような、少しだけ大人びた表情。 そして、自分を大切に想ってくれているという、確かな気持ち。

二人の間には、いつしか、幼なじみという枠を超えた、特別な感情が芽生え始めていた。


輝く彼の姿


カップルでの撮影が終わると、次は星凪のソロカットだった。

瑠榎は、スタッフに勧められて、星凪の撮影を見守ることにした。

「成宮くん、目線こっちに。はい、次は少し憂いのある表情で…」

カメラマンの指示に合わせて、星凪の表情が、一瞬にして変わっていく。

(すごい…)

瑠榎は、ただただ圧倒されていた。

少し大人びた、クールな表情。 子どものように、無邪気に笑う表情。 そして、見る人の心を惹きつける、バチバチに格好いい表情。

星凪は、まるで魔法をかけられたかのように、何枚もの顔を操っていた。

(私…あっという間に、抜かされちゃったな)

瑠榎は、思わずそう呟いた。 自分が初めて足を踏み入れた世界。 自分が、少しずつ慣れ始めた世界。

そこに、星凪は、たった数ヶ月で、まるで最初からそこにいたかのように、自然に、そして堂々と立っていた。

「瑠榎、どうした?なんか、すごく真剣な顔してるけど」

撮影が終わった星凪が、瑠榎の隣にやってきて、頭を優しく撫でた。

「ううん、なんでもない。…ただ、星凪、本当にすごいなって思って」

星凪は、瑠榎の言葉に照れくさそうに笑った。その笑顔は、いつもの、愛すべき幼なじみの笑顔だった。

(でも…)

瑠榎の胸の中には、尊敬と、そして、少しだけ寂しいような、複雑な感情が渦巻いていた。


今度は、瑠榎のソロカットの番だった。

「蜂谷さん、次は自然な笑顔で!はい、いいよ!」

瑠榎は、カメラに向かって、いつもの屈託のない笑顔を見せた。その笑顔は、スタッフや星凪の心を温かくするような、特別な魅力を持っていた。

「よし、次は雰囲気を変えようか。少しセクシーな表情でお願い!」

カメラマンの言葉に、瑠榎は戸惑った。セクシーな表情なんて、どうすればいいのか分からない。

(どうしよう…)

瑠榎が困っていると、星凪がそっと声をかけてきた。

「大丈夫。俺が見てるから」

星凪の言葉に、瑠榎はハッとした。そして、星凪の瞳をじっと見つめた。その瞬間、瑠榎の表情は、一瞬にして変わった。

カメラマンは、その表情を見逃さなかった。 「そう!それだよ!すごくいい!」

瑠榎は、星凪の瞳に映る自分を意識しながら、少しだけ大人びた、色気のある表情を作った。それは、誰も見たことのない、新しい瑠榎だった。

「はい、ラストカット!蜂谷さん、真顔で。でも、ただの真顔じゃない。内に秘めた強さがある、そんな表情で!」

瑠榎は、カメラマンの指示に、再び戸惑った。そんなとき、瑠榎の頭に、星凪の言葉が蘇ってきた。

(俺は、瑠榎が頑張る姿を、誰よりも近くで見てる。だから…)

瑠榎は、星凪が自分を応援してくれていることを思い出した。 そして、自分の夢を叶えたいという、強い気持ちを込めて、カメラを見つめた。

その真顔は、可愛くも、セクシーでもない。 ただ、真っ直ぐで、美しく、そして、とてつもなく格好良かった。


交わされる言葉と、嬉しい知らせ


全ての撮影が終わり、二人は帰路についていた。

「ねぇ、星凪。今日の撮影、どうだった?」

瑠榎は、星凪に尋ねた。

「…すごかったよ、瑠榎」

星凪は、そう言って瑠榎の頭を優しく撫でた。

「お前さ、俺がソロカット撮ってるとき、すごく真剣な顔してただろ?なんか、すごく悔しそうだった」

星凪の言葉に、瑠榎はドキッとした。

「そんなことないよ。ただ、星凪がすごく格好いいなって思って…」

「嘘。俺もだよ」

星凪は、そう言って瑠榎の顔を覗き込んだ。

「俺も、瑠榎のソロカット、見てた。あんなに色っぽい表情や、真顔なのに格好いい表情…初めて見た。俺、正直、すごく焦ったよ」

「なんで?」

「…なんか、どんどん、瑠榎が俺の手の届かないところに行っちゃうんじゃないかって、怖くなった」

星凪は、そう言って、少しだけ俯いた。

瑠榎は、星凪の言葉に、胸が締め付けられるような痛みを感じた。 それは、星凪が、自分と同じような気持ちで、悩んでいたことを知ったからだ。

「そんなことないよ。星凪は、ずっと私の隣にいてくれるんでしょ?」

瑠榎は、そう言って、星凪の手をぎゅっと握った。

その瞬間、二人のスマホが同時に鳴った。

『お二人とも、お疲れ様でした。先ほどの撮影ですが、編集長が絶賛していました。急遽、表紙を飾っていただくことが決まりました。詳細については、またご連絡します』

マネージャーからのメッセージだった。

二人は、顔を見合わせ、そして、どちらからともなく、満面の笑みを浮かべた。


それぞれの未来


それから数日後。

二人は、表紙を飾る雑誌の撮影を終え、事務所からの帰り道に、いつもの丘の上の公園に来ていた。

「すごいね、私たち。雑誌の表紙だって」

瑠榎は、ベンチに座りながら、空を見上げて言った。

「うん。瑠榎のおかげだよ」

「なんで星凪のおかげなの?」

「だって、瑠榎がスカウトされて、俺もこの世界に来たんだから。もし、瑠榎がいなかったら、俺は今でも、ただの高校生だった」

星凪は、そう言って、瑠榎の方を向いた。

「ねぇ、瑠榎。お前は、これからどうしたい?」

「…私、もっと頑張りたい。自分のことが、もっと好きになれるように。そして、星凪に、胸を張って『隣にいていいよ』って言えるくらい、素敵な自分になりたい」

瑠榎の言葉に、星凪は優しく微笑んだ。

「そっか。じゃあ、俺も頑張るよ。瑠榎の隣に、ずっといられるように」

星凪はそう言って、立ち上がった。

「ねぇ、瑠榎。俺、今日から、もう一つ夢ができたんだ」

「…なに?」

「いつか、瑠榎と、この雑誌の表紙に、また一緒に載りたい。その時、俺は、誰にも『幼なじみ』なんて言わせない」

星凪の言葉に、瑠榎はハッとした。

「…その時は、私が、星凪に『ありがとう』って、ちゃんと伝えるから」

二人は、夜空に輝く星を見上げながら、それぞれの未来を心に誓った。



番外編:橘 咲良の見た二人


私は、転校してきたばかりの高校で、すぐに成宮 星凪という男の子の存在を知った。

教室の窓から見える校庭で、彼は眩しいくらいに輝いていた。 背が高くて、顔が整っていて、誰もが憧れるような存在。 私にとって、彼はまるで手の届かない「スター」だった。

でも、そんな彼には、いつも隣にいる女の子がいた。 蜂谷 瑠榎。 可愛らしくて、明るくて、どこにでもいそうな、普通の女の子。

私は、星凪に近づくために、瑠榎を利用しようとした。 彼女に「成宮くんの本心を知りたい」と言ったのも、彼女の幼なじみとしての特権が、羨ましかったからだ。

しかし、二人の関係は、私の想像をはるかに超えていた。

ある日の放課後、私は二人が楽しそうに歩いているのを見かけた。 瑠榎が、星凪の腕に自分の腕を絡ませて、笑顔で話している。 星凪は、そんな瑠榎の頭を優しく撫でて、嬉しそうに笑っていた。

その姿を見た瞬間、私は、二人の間にある「特別な何か」に気づいた。 それは、私には決して踏み込めない、二人だけの世界。 「幼なじみ」という言葉だけでは片付けられない、深く、温かい絆。

そして、瑠榎が芸能事務所のスカウトを受けた日。

私は、偶然にも、その場に居合わせていた。 星凪が、必死に瑠榎を守ろうとしている姿。 「彼女も、芸能界には興味ありませんので」 そうきっぱりと告げる彼の言葉に、私は、胸が締め付けられるような痛みを感じた。

(ああ、この子は、この男の子にとって、本当に大切な存在なんだ)

私は、二人を見守ることにした。 瑠榎が、自分の夢に向かって進んでいく姿。 そして、そんな瑠榎の隣に立つために、星凪が同じ道を選んだこと。

二人が表紙を飾った雑誌を、私は書店で手に取った。 そこには、私の知っている「普通の」二人の姿はなかった。 プロとして輝いている、美しく、堂々とした二人がいた。

「運命の幼なじみ」

雑誌の表紙に書かれたその言葉は、まるで二人のためにあるような言葉だった。

(私は、最初から、この二人の「運命」には、勝てっこなかったんだ)

私は、少しだけ寂しい気持ちになった。 でも、それと同時に、心から祝福したい気持ちでいっぱいだった。

二人は、これからも、互いに支え合い、互いを高め合いながら、それぞれの夢を追いかけていくのだろう。 そして、いつか、この物語の続きを、私たちに見せてくれるのだろう。


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