第2話:「保存料は使わない、だが腐らせない──農業層騒動」
第2話:「保存料は使わない、だが腐らせない──農業層騒動」
「マスター!大変です!“2層・農業層”で保存食の大規模リコールが発生しました!」
朝の巡回中、管理AI・アリスの慌ただしい声が義則の耳に飛び込んできた。
馬場義則、47歳。
職業:ダンジョンマスター兼、冒険者Fランク。
まだ冒険者としては駆け出しだが、ダンジョン経営の手腕は折り紙付きだ。
だが──
「保存食リコール……?“化学薬品不使用”の鉄則は守ってるはずだろ?」
眉間にしわを寄せ、義則は思わず額に手をやった。
保存料無添加。それが雷鳴公子ダンジョンの方針であり、客に約束した“誇り”だった。
それが今、大規模リコール──つまり信頼崩壊の危機にある。
「ですがマスター、現場が“腐るぐらいなら薬品使わせろ”派と、“腐っても無添加”派に真っ二つに割れてしまって──」
「──あー、営業時代思い出すわ……添加物戦争。あの頃は地獄だったな……」
ノルマに追われ、顧客の理想と現実の間で板挟みになった日々が脳裏をよぎる。
だが、今は違う。
ここは“俺のダンジョン”だ。顧客も、部下も、全部“自分の責任”で動ける。
逃げる場所も、言い訳もない──だからこそ面白い。
「よし、行くぞアリス。俺がこの手で調整する」
義則の目には、営業時代にはなかった“余裕の光”が宿っていた。
*
2層・農業層──
そこは広大な水田と麦畑が広がる、ダンジョン内とは思えぬ自然豊かな空間だった。
その一角、巨大な保存倉庫の前で、農夫や技術者たちが口論を繰り広げていた。
「現代技術で薬品なし保存できるって言ったのは嘘だったのか!?このままじゃ市場に出す前に全部腐っちまうぞ!」
「腐っても無添加だろ!?消費者が安心して食べられるものを作るって……あんた、それを忘れたのか!」
騒動の中心に立つのは、まるで正反対の理念を掲げる二人の男だった。
無添加原理主義者・坂口(元・自然派食品店員)と、効率至上主義者・田中(元・食品流通センター管理職)。
そのやりとりは、かつての顧客との板挟みを彷彿とさせる。
「──落ち着け、お前ら」
義則の低い声が、騒然とした現場を鎮めた。
彼の背筋はピンと伸び、目は真っ直ぐ二人を射抜いている。
“謝罪営業マン”だった頃の義則とは違う、“場を収める者”の姿だった。
「腐るのは困る。だが、化学薬品を使わない約束も守る。
……なら、どうするか?」
坂口も田中も言葉に詰まる。
その時、義則は静かに言った。
「俺がペットフード営業時代に培った“奇跡の保存術”を見せてやる」
*
義則が案内したのは、倉庫の奥にある“真空冷却システム”。
地上の冷却技術に、ダンジョンの魔力を組み合わせた特殊設備だ。
常時低温を維持し、外気の影響を受けずに食品を保存できるように設計されている。
「だが、機械の冷却だけじゃ不完全だ。
この層で作る保存食は、“発酵保存”と“減圧乾燥”を組み合わせて劣化を制御する。
腐敗する前に、“美味しい劣化”を選ぶんだ」
「劣化を……美味しく……?」
坂口が戸惑いを隠せずに問い返す。
「ああ、劣化は悪じゃない。“旨味”に変える工程を組み込めば、それは“熟成”になる。
完全無添加の干し野菜や、樽仕込みの発酵食品──
これなら保存も利くし、消費者にも響く。
“腐ってる”なんて言わせない。“熟成”という物語で勝つ!」
静まり返る場内。
田中が口を開く。
「だがマスター、それでも劣化は劣化。市場に出す頃には見た目も悪くなるだろうが……?」
「そこは“雷鳴公子”ブランドでカバーする。
お前たちの手で誇りを込めて作ったものなら、俺が“売り切る”。
見た目の小さな欠点なんて、ストーリーの一部にしてやる。
──営業ってのはな、“買いたくなる理由”を与えた方が勝つんだよ」
義則の言葉に、農夫たちは息を呑んだ。
彼が語る“保存料”とは、薬品ではなく“人の心を動かす物語”だった。
「薬品に頼らずに“腐らせない技術”と、“腐っても売れる物語”を両立する。
このダンジョンで作るのは“誇りを売る食品”だ!」
義則の宣言に、農業層の面々がどよめいた。
坂口も田中も、静かに頷くしかなかった。
*
数週間後──
“雷鳴公子ダンジョン産・完全無添加熟成野菜干し”は市場で飛ぶように売れた。
腐る前に旨味へと変換する発想が話題を呼び、消費者たちは「これが本当の“熟成野菜”だ」とこぞって買い求めた。
「結局、“保存料”ってのは薬品だけじゃねぇんだ。
営業の時は“ストーリー”を保存料にしてたんだよな、俺」
義則はダンジョンの出口で立ち止まり、静かに呟いた。
その背中は、かつて“謝罪”で縮こまっていた頃とはまるで違う、堂々たるマスターの背だった。
「さて次は……“酪農層”の牛乳騒動が待ってるらしいぜ」
管理AIアリスの報告が、次の戦いを告げる。
だが義則は、既に戦う姿勢を整えていた。
なぜなら、ここは“彼の現場”だからだ。
誰かに指示を仰ぐ必要も、許可を得る必要もない。