第1話:「ダンジョンマスター、初仕事」
第1話:「ダンジョンマスター、初仕事」
「……えーっと、馬場義則さんですね?依頼の受付はコチラです」
冒険者ギルドのカウンターで、受付嬢が震える声で名前を呼んだ。
馬場義則、47歳。職業、ダンジョンマスター兼、冒険者見習い。
かつては企業戦士として営業の最前線に立っていた男が、今や異世界で“ダンジョン管理職”に転職している。
しかし今日は、その肩書をひとまず置き、純粋な“冒険者”としてのデビュー戦だった。
「まずは簡単な依頼をこなして、ギルドの信用を得ないとな……」
そう呟く義則の前に差し出されたのは、一枚の依頼書。
──ゴブリンの耳回収。
討伐済みのゴブリンから耳を10枚回収し、ギルドに納品するだけの仕事だ。
報酬は銅貨20枚、いわゆる“初心者用のおつかい依頼”。
「おお……懐かしいな。うちの“1層”に山ほど湧いてる奴らだ」
そう、義則が管理するダンジョン『雷鳴公子ダンジョン』では、ゴブリンたちが低階層のメンテナンス要員としてうようよしている。
自分のダンジョンで倒せば、耳などいくらでも手に入る。
だが──
『普通にダンジョンに戻って倒しても、冒険者としての信用は得られない』
『ここはあえて“他人のダンジョン”で討伐し、ギルドのルールを守るべきだ』
義則は、これまでのサラリーマン人生で“信用”の大切さを嫌というほど味わってきた。
一度ついたマイナス評価は、どれだけ業績を上げても消えない。
ならば、最初から正攻法で行くべきだ。
「……よし、受けよう。ゴブリンの耳10枚、行ってくる」
受付嬢に深々と頭を下げる義則。その動作には、長年の“謝罪訪問”で鍛えられた無駄のない所作がにじみ出ていた。
*
「さて、じゃあ行くか──冒険者らしくな」
義則が向かったのは、ギルド推薦の初心者用ダンジョン『ウズメの洞窟』。
洞窟の入り口には、今日が初仕事と思しき若者たちが集まっていた。
皆、緊張と興奮の入り混じった表情で、これから始まる冒険に胸を膨らませている。
「おっさん、今日が初出か?この洞窟のゴブリン、すぐ逃げるから注意しろよ!」
声をかけてきたのは、まだ少年の面影が残る青年冒険者だった。
義則は笑顔で応じる。
「ありがとな、兄ちゃん。……そうか、逃げるのか」
義則が普段相手にしているゴブリンたちは、自分のダンジョンの“部下”だ。
逃げれば叱りつけ、暴れればペナルティを与える。
だがここでは、そうはいかない。
純粋な“腕力と技術”で勝負するしかないのだ。
腰に差しているのは、ギルドから貸与された“量産型ショートソード”。
正直、自前の“雷撃魔導槍”が恋しい。しかし、今日の義則には、それは贅沢だった。
(営業の時は膝をついてばかりだったが……今日からは、前に出るんだ)
彼は、誰にともなくそう呟いた。
*
洞窟内部は、薄暗く湿った空気に包まれていた。
耳を澄ますと、水滴の音と、小さくガヤガヤとした囁き声が聞こえてくる。
「ギャッギャ!」
さっそく現れたのは、ゴブリン3体。
身の丈は義則の腰ほどだが、油断すればナイフで刺される危険な存在だ。
だが、義則の目は冷静そのものだった。
長年、数字に追われ、客に頭を下げ続けた男にとって、この程度の“交渉相手”は朝飯前だ。
「……逃げるなら逃げろ、ゴブリン。
だが“耳”だけは置いていけ」
義則がゆっくりと“営業スマイル”でにじり寄ると、ゴブリンたちは直感的に理解した。
──こいつはヤバい。
そして次の瞬間、ゴブリンたちは一斉に飛び退いた。
「……甘い」
義則の右手には、すでに投擲されたブーメラン型のナイフが握られていた。
それは、かつての営業時代に編み出した“名刺投げ”の応用技だ。
ナイフは美しい弧を描き、ゴブリンたちの耳をスパッと切り落とす。
「営業で身につけた“ナイフ返し”。使わせてもらうぜ」
切り落とした耳を拾い上げる義則の動きには、訪問先で落とした名刺を瞬時に拾う“低姿勢ダッシュ”の経験が生きていた。
「よし、耳10枚達成っと」
義則が腰を伸ばした時、彼の姿は“立ち上がった者”そのものだった。
*
ギルドへ帰還後。
「ゴブリンの耳10枚、確かに確認しました。馬場義則さん、これで正式な“Fランク冒険者”です!」
受付嬢が声を張ると、ギルド内に控えていた冒険者たちから拍手が湧き起こった。
年齢も肩書きも関係ない。
ギルドの掟を守り、成果を出した者には、敬意が払われる。
それがこの世界の“冒険者道”だった。
「ありがとな、俺は俺のやり方で行くさ。
──あ、でもダンジョンマスター権限で依頼報酬は寄付できる?」
「え!?よ、寄付ですか?」
受付嬢が目を丸くするのも無理はない。
駆け出し冒険者にとって、報酬の銅貨20枚は貴重な収入源だ。
だが、義則の目は迷いなく前を向いていた。
「昔、売上ノルマに追われて金に苦しんだからな。今はこういう使い方がしたいんだ」
義則の礼は深い。しかし、決して“頭を下げる”礼ではない。
彼は胸を張って言った。
「ダンジョンマスター馬場義則、ここに正式デビューだ!」
ギルドホールに響き渡るその声に、再び大きな拍手が巻き起こる。
年齢も肩書きも関係ない。
立ち上がった者には、等しく道が開ける。
義則の“冒険者物語”は、今ここから始まったのだった。
──つづく。