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「やべえっ!」
走り出した賊Aにリチャードは足を出した。長い足だ。しっかり届く。見事に引っかかり、そいつはつんのめってパグばあの前に転がった。
リチャードはすかさず、背中を踏みつけた。
「ふげっ」
これでふたりとも捕縛完了だ。
本来リチャードは優秀である。昨日から情けない姿ばかりを晒してきたが、それはひとり突然、異世界へ飛ばされてしまった戸惑いや不安のせいである。
幼いころから王太子として英才教育を受け、語学は堪能、政治経済にも精通し、武道も極め、国内はもちろん他国からの信頼も厚い。
その立ち居振る舞いは王子として完璧。一たび微笑めば、令嬢はもちろん夫人方でさえくらりとよろめく。
ただ一つの欠点が、魔法をうまく使えない、だけである。
それも、体内にあり余る魔力を持て余して、うまく術とリンクして発動できないという、ある意味非常に贅沢な欠点である。
「ぎゃあああーーー!!!」
パグばあの悲鳴があたり一帯に響き渡った。
あ、目立ってしまったな。これはまずいかな。リチャードがそう思ったときはもう遅かった。
なんだなんだ、と近所中から人が集まってきてしまった。平日の日中だ。老人ばかりである。
そして彼らが見たものは、金髪碧眼の美青年が、黒づくめの怪しいヤツをひとりをヘッドロックで、もうひとりを足蹴にとっ捕まえ、さらにひとりが道路の真ん中でのびている、という実にカオスな光景だった。
「おいおい、なんだおまえらは」
鶴のようにひょろっとした白髪頭のおじいさんが、居丈高に出てきた。
「あっ、本宮さん! この人たち強盗よ! 牧野林さんちから出てきたの。この外人さんが捕まえたのよぉ」
パグばあが訴えた。
「なんだとぉ」
「ちがうちがう! おれたちは水道の修理に来ただけだ!」
「嘘つけ! さてはおまえたちだな! 水道や屋根の修理を語ってうろついている不審者は! 警察だ! 警察を呼んでくれ!」
「はいはい、今呼びます!」
集まってきた老人たちがリチャードから強盗2人を引きとり、のびている賊Cはおばあさんたちが3人がかりで馬乗りになった。
賊はすでに戦意喪失。おとなしくされるがままだ。
「ところできみはどちらさま?」
鶴の老人がリチャードにたずねた。
「ボクハホームステイシテイマス」
「ああ、ホームステイか。そうかそうか」
打合せ通りに言うと、鶴じいはあっさりと納得した。
「こちらの本宮さんはね、元警察官なのよー。頼りになるわよねぇ」
パグばあが言った。なぜ自慢げ。
「どこから来たんだい?」
鶴とパグに矢継ぎ早に話しかけられる。どうしよう?
「ニホンゴワカリマセン」
「あー、そうかー。日本語わからないかー」
鶴とパグがちょっとがっかりしたときだった。
ファンファンファン。
聞いたことのない音が近づいてくる。リチャードはびくっとした。もう家に入ってもいいだろうか。
「あー来た来た」
やがて2台3台と次々にパトカーが到着した。
塾の夏期講習は昼前に終わった。受験生たちは夕方までの一日がかりだ。それから夜の通常授業。なんとお疲れなことだ。
リンは、中学は最寄りの(笑)公立中学校へ入るから、しばらくは受験とは無縁である。
そういうわけで、今日もまた暑い中を歩いて帰っている。
今日は大荷物がないだけマシではあるが。
「……人が多くない?」
いつもと違って、足早に歩く人が多い気がする。しかもみんな同じ方向に向かっている。中には小走りの人もいる。
「なにかあるのかな?」
そうして、自宅が見えたとき、リンは思わず走り出していた。
家の前には3台のパトカーと人だかり。そして人だかりは後から合流する人々を呑み込んで、どんどん大きくなっている。
みんな、野次馬だったのだ。
「リチャード!」
人ごみの中にあっても、ひときわ目立つ金髪に向かってリンは走った。
「リン!」
気づいたリチャードが手を振った。
いやいや、なにを呑気に手を振っているのだ。おまわりさんに囲まれているではないか。
なにか、やらかしてしまったのか。
異世界から来てなにもわからないのだと言えば、みんなわかってくれるだろうか。
リンは焦った。
「ああ、リンちゃん」
リチャードの前に立ちふさがったのは、パグばあだった。
「あ! パ、上田さん」
うっかりパグと言いそうになって、リンはあわてて言い直した。
「たいへんだったのよぉ」
いや、今もたいへんそうなんだけど。
「強盗が入ってね」
「ご、強盗!?」
「おまわりさん、おまわりさん。この子、ここんちの子なのよ。牧野林さんちのリンちゃん。なでしこ小学校の6年生」
個人情報とかコンプライアンスとか知らないんだろうな。