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6.恋の終わり


 今日の夜会はこの国の筆頭公爵家主催。同じ派閥の貴族だけでなく、幅広く招待されている。

 叔父さまは新規事業の立ち上げということで、会場に入っただけで沢山の人が集まってきた。詳しく話したそうにしている人もいたが、わたしのエスコート役ということで断っている。笑顔で挨拶をしながら、二人になったところで、叔父さまに小声で話しかけた。


「叔父さま。わたしに気にせず、お仕事を」

「今日の僕はクリスタの保護者だからね。仕事の話をするつもりはないんだ」


 何でもないことのように話す。夜会は社交の場。仕事の話をしないのはとても損失になる。わたしを優先してくれることが素直に嬉しい。


 最低限の挨拶をしているうちに、あっという間に時間が経ってしまった。


「そろそろ休もうか。飲み物を貰おう。アルコールは大丈夫?」

「少しだけなら」


 そんな会話をしていると、離れたところで小さなざわめきが起こった。


「おや、あれは……」


 叔父さまの呟きに、何だろうと、そちらに注意を向ければ。


「ヴァリオ様」


 夜会服を着たヴァリオ様が甘えるように縋りつく王女殿下をエスコートして入ってきた。驚いたのは、二人の距離感よりも、王女殿下が着ているふわふわした淡いペールブルーのドレス。王女殿下の華やかなピンクブロンドの髪に良く映えている。


「あのドレス」


 彼女の着ているドレスには見覚えがあった。ドレスの形は多少手が入っているが、わたしがこだわって取り寄せた生地を使って、二人で決めたデザインだ。

 ヴァリオ様の目の色に合わせたので、間違いない。いつまでたっても届かないのは仕立てが遅れていたのではなく、贈る相手が代わったから。


 胸が鋭い何かに抉られ、息がしにくい。

 もう何があっても傷つかないと思っていたけれども、そうではなかった。簡単に王女殿下に渡してしまえるなんて。そこまでわたしはどうでもいい存在だったの。


「――あちらに行こうか。ベンチがあったはずだ」


 叔父さまが事情を察したのか、ふらつくわたしの体を支えた。今すぐここから離れたくて、頷いた。何事もなかったかのように笑みを見せながら、叔父さまに寄りかかりバルコニーに出る。


「ここで待っていて。今、お水を貰ってくる」

「ありがとう、叔父さま」


 ベンチに腰を下ろすと、叔父さまはすぐさま水を取りに行った。心配させてしまったことを申し訳なく思う。ゆっくりと呼吸を繰り返し、胸の痛みを逃す。


 あの生地を見つけた時の喜び、やや興奮しながらドレス一着分取り寄せる手はずを整えて。そんなに拘らなくても、とヴァリオ様はおかしそうに笑っていた。


 それなのに。


 頭の中は過去の幸せだった時間をなぞり、急速に遠くに消えていく。息もできないくらいの苦しさが取れ、次第にじんとした鈍い痛みに変化した。


 叔父さまが来たら、帰りたいと言おう。泣きだす前に、ここを離れたい。


 これからのことを考えていると、足音が聞こえた。


「おじ……」


 叔父さまが戻ってきたかと思い、顔を上げた。近づいていたのはヴァリオ様と王女殿下だった。

 どうしてここに来たの。

 責める気持ちを腹の底に押し込めて、気合を入れると立ち上がり、カーテシーをする。


「まあ、挨拶はそこそこできるのね。ヴァリオがわたくしに会わせないから、紹介できないほど不出来な婚約者なのかと思っていたけれど」


 初めて聞く王女殿下の涼やかな声。でもその口からは毒が吐き出される。

 想像していたような優しい性格ではないことに、驚く。


「アリシア様、私が会わせたくなかっただけです」

「ふふ。でも、わたくしの言ったとおりだったでしょう? どんなことがあっても、信じているのなら一人で参加するはずよ。耐えられないから、不貞をしたに違いないわ」


 不貞という言葉を聞いて、顔を上げた。否定しようと思ったが、相手は王女殿下。発言は許可されていない。どういうことか、とヴァリオ様に目を向けたが、少しだけ逸らされた。


「……アリシア様が君が別の男と出かけていると。それにその装い」

「予定していたドレスが届いていないのに、何を着ろと?」


 待っていたドレスは届かなかった。

 そう告げれば、ばつの悪そうな顔をする。


「それは」

「もしかして、わたしの不貞を疑ってドレスを贈ってこなかったのですか?」


 信じられない。ヴァリオ様とぎくしゃくし始めてから、出かけた異性と言えば叔父さまだけ。しかもたった一回だ。それで不貞を疑われるなんて。


 痛みとは違う、腹の底から怒りがこみ上げてきた。


「そのドレス、僕が()()クリスタにプレゼントしたんだ。異母姉に娘の婚約者からドレスが贈られてこないと相談されたからね」

「姪……?」


 ヴァリオ様は驚きに目を見開いた。叔父さまは新規事業のこともあり、社交界では名が知れ渡っている。それなのに、彼はわたしとの関係を知らなかったようだ。


「はじめまして。クリスタの叔父、ライアン・ジーキルだ。君がクリスタの婚約者? 随分と舐めた真似をしてくれる。異母姉が心配するわけだ」

「ジーキル……確か」


 どうやら叔父さまの苗字がお母さまの実家と同じことに気が付いたようだ。顔色が急に悪くなる。叔父さまは優しい笑みを浮かべ、わたしに手を差し出した。


「水を飲んでいる気分じゃないだろうから、帰ろうか」

「でも」


 ヴァリオ様と王女殿下を放置してもいいものだろうか。

 困惑を汲み取った叔父さまは大丈夫だと笑顔を見せた。


「あら、あなたがライアン・ジーキル? ふうん。年が随分上だから気にしていなかったけど、結構いい男じゃない。わたくしと踊りなさい。気に入ったら、側においてあげる。貴方にとって悪い話じゃないでしょう?」

「アリシア様!」


 ぎょっとしたのはわたしだけでなく、ヴァリオ様も。叔父さまはあからさまに侮蔑の目を向けた。


「はは。流石、不貞をして離縁されただけある。恥を知らないらしい」

「何ですって?」

「我が姪と違って、あなたに何の価値もないだろう? 嫁ぎ先での評判は耳に入っているんだ。あまりにもふざけたことを言うのなら、ここでいくつか披露させてもらうが」


 嫁ぎ先での噂。あまりよさそうな雰囲気はない。本人もそう思っているのか、憎々し気に顔を歪めて体を震わせている。


 騒ぎになってしまう前にここを離れたい、と叔父さまの腕に手を置いた。わたしの気持ちを汲み取ると、小さく頷く。


「それでは、我々は失礼するよ」


 そのまま立ち去るつもりだったが、先ほどのことはきちんと訂正しなくてはいけないことに気が付いた。


「わたしが異性と出かけたのは叔父さまとだけです。不貞と思われるようなことはしておりません。もし、これ以上、事実ではない噂を広めるつもりであれば、キュトラ侯爵家として対処させていただきます。それに、不貞というのなら、お二人ではございませんか?」

「わたくしたちは不貞ではないわ! 愛し合っていたわたくしたちの間に入ってきたのはお前でしょう!」

「それでも、書類上の婚約者はわたしです。ですが、それほどまでお二人の絆は深いものだと理解しました。そちらのドレスもお譲りします。わたしにはもう不要なので」


 はっきりと告げれば、王女殿下の顔が大きく歪み、手に持っていた扇子を振り上げわたしに向かってきた。ぶたれる、と思ったのは一瞬。彼女の手が振りかぶる前に、ヴァリオ様がその手を止めた。


「アリシア様!」

「ヴァリオ、離しなさい!」

「いけません」


 この様子を見ていた人たちが憶測交じりにひそひそと話し、面白おかしく広がっていく。


「ここから離れよう」

「ええ」


 叔父さまに促されて歩き始めたところで、ヴァリオ様が声を上げた。


「クリスタ、待ってくれ!」


 そうだ、こちらにも言っておかないと。

 もう話すことはないと思っていたけれども、はっきりさせるのは悪いことではないはずだ。


「ヴァリオ様、明日にでも我が家から婚約破棄の申し入れがあると思います。この数か月、決断できなかったことをお許しください。それでは、王女殿下とお幸せに」


 最後に丁寧にカーテシーをしてから、歩き始める。


「違うんだ、誤解なんだ。クリスタ、話を聞いて」


 そんな言葉が聞こえてきたが、無視をした。

 そのまま馬車へと戻り。動き出したところで、そっとハンカチを差し出された。


「頑張ったな」


 労わる言葉に涙が溢れ出た。

 決して、悪い関係じゃなかった。それなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

 もっと口を出せばよかったのか。それとも、何があっても耐えられるように近づかない様にすればよかったのか。


 ヴァリオ様の良いところがどんどんと思い出され、それを上書きするようにここ数か月の対応が押し寄せてくる。


 結局、ヴァリオ様は何があったとしてもわたしが許すものだと思っていた。どんなに気まずくても結婚してから考えればいいと。


 わたしはわたしで、イヤなことを見なかったことにして、先送りにした。何を不安に思っていたのか、どうしてほしいのか、きちんと自分の気持ちを伝えていたら。


 変わらなかったかもしれないけど、今とは違っていたかもしれない。

 後悔が次々に襲ってくる。


 どちらにしろひとつの結末を迎えた。

 わたしが愛だと思っていた気持ちは、愛に似た何かだった。

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