5.夜会への準備
「お嬢さま、お手紙でございます」
「ありがとう」
朝食を終え、家族でお茶を飲んでいると家令が手紙を持ってきた。
差出人を見れば、ヴァリオ様の名前が記されている。
何が書いてあるか、大体は予想できる。そうでないといい、と願いながら封を切って手紙を広げた。
簡単な挨拶の後に、今日の夜会のエスコートは出来ないという断りの連絡。
わたしへの気遣いは全くない、ただの連絡事項だ。
わたしに合わせて作ったはずのドレスが贈られてこなかったことから、もしかしたら、という気持ちはあった。チケットのことで喧嘩別れのようになってしまった後、連絡が一度もなかったから。
前のような焦りや不安はすでになかった。こうなってしまった、という思いだけが苦く残る。
「その顔だと、お断りの連絡ね」
お母さまに指摘されて、小さく頷いた。お母さまはにこにこしながらも、何故かとてつもなく怖い。思わず、両腕を手で摩った。
「ほほほほ。まあ、よろしいでしょう。あなたの気持ちはどうなのかしら? わたくしはあなたの判断を尊重しますよ」
お父さまとお母さまにはすでにわたしの気持ちは伝えてある。修復できないようなら、婚約破棄をしたい――と。
叱責されるかと思っていたが、二人はわたしの話をよく聞いてくれた。そして、その判断基準が今夜の夜会だった。夜会で彼の気持ちを確かめてから、と考えていたのに。ヴァリオ様がエスコートを断ってきた。我が侯爵家は婚約破棄を選択する。
でも、ためらいもある。
「本当にいいのですか? わたしは貴族の娘なのに、義務を放棄することになります」
「最初から義務を放棄しているわけではないでしょう? 理由は何であれ、この国は婚約破棄した令嬢にとって生きにくい社会です。ここにいるよりは、外に出て幸せになってほしいと思いますよ」
はっきりとそう言われて、泣きたくなった。
「わたしは親不孝だわ」
誰もが幸せな結婚をするわけではない。それなのに、婚約者が王女殿下を優先するという理由だけで、婚約破棄しようとしている。貴族としての矜持があるのなら、見て見ぬふりをするのが正しい振る舞いだろう。それができない時点で、わたしは貴族としては失格だ。
「そんなことを気にしていたのか?」
静かに会話を聞いていたお父さまが驚いた声を上げる。
「だって。爵位だって、お父さまが折角用意してくれていたのに」
元々、わたしが爵位を持っている相手と婚約すれば、受け継ぐ爵位は必要なかった。
「我が家は政略結婚を必要としない。ライアンの興す事業のこともあって、どちらかと言えば力を持ち過ぎてしまっている。だから、クリスタには自由に結婚相手は見つけてほしかった。そのために爵位が必要ならと思っていた」
「え?」
「そもそも王族が自分の側近に置いておきたいがための見合いだったのがおかしい。彼の家は我が派閥でも何でもないのに」
お父さまもこの婚約には不満だったようだ。だけど、わたしがヴァリオ様との婚約に頷いてしまったから、仕方がなく受け入れたようだ。
「お父さま、ごめんなさい」
「そこはありがとう、と言ってほしいね。学園都市は規律がありながら、自由だと言う。幸せになるために頑張りなさい」
「その前に、婚約破棄ね」
いい話で終わりそうなところを、お母さまが水を差した。
「――今夜、ヴァリオ様とお話ししてからでも、いいでしょうか?」
最後に彼にちゃんと別れを告げたい。嫌なことから逃げたのではなくて、自分で決めたとけじめをつけるために。
「わざわざ嫌な思いをする必要はない」
お父さまはすごく渋い顔をした。ここ最近の彼の行動を知っているから、直接かかわらせたくないのだろう。
「いいではありませんか。踏ん切りをつけた女は強いのですよ」
「いや、しかしだな。今までも十分傷つけられているのに」
「クリスタ、お話しする時はライアンを側に置いておきなさい。彼なら誤解されないし、うまくその場を取り仕切ります」
「でも、叔父さまに悪いわ」
新規事業を始める叔父さまにとっても、重要な夜会のはず。わたしのことで煩わすのは遠慮したいところ。だけど、お母さまはそんなことを気にしない。
「大丈夫よ。あの子はあなたのことを大切に思っていますからね」
お母さまに押し切られて、渋々頷いた。
◆
叔父さまに買ってもらったドレスを身に纏う。ドレスのスカートが広がり過ぎない、すっきりしたシルエット。色合いもパステルカラーではなく、濃い紺色。沈みそうな色合いだが、黒髪によく似合っている。
鏡の中の自分をしみじみと見つめた。どこにもヴァリオ様が好むものがない。彼から贈られたものが一つもない装いは、婚約してから初めてかもしれない。ドレスが届かなかったのは、仕立て屋のお伺いにヴァリオ様が返事をしなかったからなのだろう。わたしの優先順位が下がっていることを考えれば、そうなっても仕方がない。
「いつもよりも大人っぽいと思いましたが、よくお似合いです。肌の白さも際立ってとても美しいですわ」
着つけてくれた侍女も感心したように言う。
「本当ね。今まで手に取ることをしなかったけど、違った色も選んでもいいかもしれないわ」
いつもと違った意匠はこれで終わりなのだという気持ちを強くした。自分で決めたことなのに、涙腺が緩んで仕方がない。何度も何度も瞬きをして涙を散らすが、それでも滲んでしまう。
「失礼するよ。支度は出来たかな?」
扉の方へ向けば、夜会服を着た叔父さまがいた。びっくりした顔でわたしをしげしげと見ていた。
いつもと違う様子にどうしたのだろうと思ったが、涙がこぼれそうになっていることに気が付いた。慌てて涙をぬぐい、笑みを見せる。
「あと宝飾品をつけるだけなの」
「あまりにも綺麗で見とれてしまったよ。あんなにも小さかったのに。大きくなったなぁ」
しみじみと言われ、小さな子供になった気分だ。
「褒めているの?」
「もちろん。ああ、これを」
叔父さまはそう言って、侍女に宝石箱を渡した。
「まあ、とても素晴らしいですわ!」
箱のふたを開けた侍女が驚きの声を上げる。そんな高価なものを、と慌てて箱を見た。
そこには見たこともないような大ぶりの宝石を使ったネックレスとイヤリングがあった。雫型にカットされていて、この国では見ないデザインだ。
明らかに高級品。もしかしたら、お母さまでも持っていないほどの逸品だ。
「これはやり過ぎです!」
「はは。そうかもな。お守りだよ」
「お守り……」
豪勢なお守りに頭が痛くなってくる。侍女はウキウキとした様子で、わたしにつけてくれた。
「うんうん、いいね。秘書になってくれるなら、年に一度はプレゼントするよ」
「秘書?」
「そう、まあいわばこれは賄賂だよ。手を貸してほしいな、という。僕の周辺、本当に信用できる人が少ないんだよね」
叔父さまのボヤキに、首を傾げる。
「はは、新しい技術を作って、それを世に出す。国を跨いだプロジェクトだよ。そうなってくると、色々な思惑で近づいてくる人間が多くてね。特に女性」
「わたしに務まるのかしら?」
「クリスタは女子爵になる勉強をしていただろう? 心配いらないさ」
与えられるだけではない。新しい庇護者の元に逃げるわけではない。
その二つに違いなんて大してないくせに、ほんの少しだけ息がしやすくなる。
「では行こうか」
手を差し出されて、自分の手をそっと預けた。




