4.前にも後ろにも進めなくて
「久しぶり、クリスタ。随分と陰気臭い顔をしているね?」
ぼんやりとサロンで刺繍道具を広げていたわたしの顔を突然覗き込んできたのは、お母さまの年の離れた異母弟、ライアン叔父さまだった。お母さまと同じ赤褐色の癖毛で、銀縁の眼鏡をしている。
お母さまだけでなく、お父さまとも仲が良く、よくうちにも来る。子供の時から、兄と一緒に可愛がってもらっていた。
思わぬ人の出現に、驚いてしまう。
「叔父さま!? え、どこから湧いて出たの?」
「失礼だなぁ。ちゃんと声をかけたのに、気が付かないから」
「そうなの?」
確認を込めて侍女を見れば、小さく頷かれる。よっぽど心ここにあらずの状態だったらしい。恥ずかしいところを見られて、顔が熱くなる。
「久しぶりにこの国に戻ってきたら、クリスタがあまりにも萎れていてびっくりしたよ」
「萎れて……?」
「うーん、無自覚」
はははは、と陽気に笑いながら向かいの席に腰を下ろし、侍女にお茶を要求している。自分の屋敷にいるような態度は今も昔も変わらない。
「叔父さま、今回の帰国は仕事?」
「仕事と言えば仕事かな。事業を起こすにあたって、向こうの国籍があった方が良いのでね。移住することにしたんだ」
叔父さまは昔から頭がよく、国をいくつか跨いだ先にある学問都市へ研究者として招かれている。かなり研究成果を上げているようで、こちらの国でも新技術を使った新しい事業を起こすと聞いていた。だから、移住と聞いて驚いてしまう。
でも、それも叔父さまらしい。元々、この国が合わない人なのだ。身分があまり重要視されないあちらの国の方が居心地がいいのだろう。
「では、すぐに戻ってしまうのね」
「一カ月はこちらにいるよ」
一カ月という長そうで短い期間に、首を傾げた。
「こっちには荷物はほとんどないと聞いていたけど」
「うん。どちらかというと、挨拶回りだね。移住すると言っても、今までと変わらない生活だから。勘違いする人がいないように、挨拶しておこうかと。そのついでに、クリスタがどうしているかなと顔を出したんだ」
「そうなのね」
「というのは表向きで。面白い噂を沢山仕入れてきたから、実際どうなんだろうと思って。僕の知っているクリスタは貴族女性らしい女性だと思っている。だから、なんか変だなと感じたんだよ」
貴族らしい女性という言葉に、笑ってしまった。
噂すら気にしないといいたいのか、噂を否定しないなんて信じられないといっているのか。どうとでも取れる言葉。
もしかしたら、叔父さまなりに気を遣ってくれたのかもしれない。
「……噂、ひどいものだったでしょう?」
「ああ、聞いたな。面白かった。横恋慕した悪女って。後からやってきたのは王女の方なのに、そういう基本情報はどこに行ったという感じだった。そもそも不貞して離縁された方が悲劇のヒロイン扱いなんて、おかしすぎるだろう?」
茶目っ気たっぷりにウィンクされた。
「やっぱり、おかしいわよね」
「そうだとも。それすらも思いつかないほど、盲目的に相手を愛しているのかな?」
不思議だと言わんばかりに聞かれ、瞬いた。
盲目的に愛している。
今のわたしの行動を思えば、そう受け止められても仕方がないのかもしれない。
「盲目的なつもりはないけれども。いい家族が作れると信じて疑わなかった。三か月前までは、愛し合っていたし、幸せだったわ」
「確かに、クリスタからの手紙はいつも幸せいっぱいだったね」
「……そうだったかしら?」
日常のことを報告がてらに書いただけだ。幸せいっぱいと思われるようなことは書いていないはず。叔父さまからも何か言われるかもしれない、と無意識のうちに身構えた。
「ああ、そんなに泣きそうな顔をしなくていい。僕は君の婚約者に紹介されていないから、彼については何も言わないよ」
「……ありがとう」
わたしの気持ちを汲んでくれたことにお礼を言えば、叔父さまは困ったような顔をした。
「あー、正直に話せば、異母姉上に相談に乗ってやってほしいと言われてね」
「お母さまが?」
「そう。婚約者にはガツンと言ったのかい?」
「ガツンとではないけど……距離が近いこととか、噂になっていることも注意したわ」
まったく気にしてくれなかったけれども。
最近はチケットの件以降、手紙すら来ない。お父さまにも話したけれども、特に連絡はなかったそう。
わたしももういいかなと諦めの気持ちすらある。
「婚約者が噂になってしまうほど他の女性との距離を間違っているのなら、諫めるのは普通だよ」
「……最近、ちょっと揉め事もあって、避けられているわ」
「なんだ、彼も自分が悪いと理解しているんじゃないか。そんな男、捨てていい。クリスタはもったいない」
叔父さまにばっさりと切り捨てられて、瞬いた。
捨ててもいい。
エリーサにも言われたけど、それでも、その後を考えて躊躇ってしまう。
でも、叔父さまだったら、わたしとは違う答えを持っているだろうか。
「婚約破棄したら、わたしはどうしたらいいの? もうわたしも十八歳なの。次の相手が見つからないわ」
「予定通り子爵位を継承して女当主になるのもいいし、この国にいるのが辛かったら僕と一緒に学園都市に行ってもいい」
唐突の勧誘に眉をひそめた。
「わたしが学園都市に行ってどうするの?」
「研究は楽しいぞ! ついでに僕の書類仕事をしてくれ!」
なるほど。どうやら叔父さまは秘書が欲しいらしい。明るく勧誘されて、思わず想像してしまう。
慣れない仕事であたふたしながらも、暢気な生活。貴族の社交も、ヴァリオ様とのことも、考えなくていい。自分だけのことだけ考える生活はどんなに気が楽だろう。
「……許されるのかしら?」
「もちろん。どのみち、この国には居づらいだろう?」
「ええ、そうね」
それだけが気がかりで、踏ん切りが付けられなかったのだ。でもここに居続ける必要がないのなら。
「叔父さま、ありがとう。なんだか色々吹っ切れそう」
「そうか? じゃあ、ちょっと出かけよう」
「どこに?」
「もちろん、ドレスを買いに。プレゼントするから、今度の夜会に着てほしい」
今度の夜会、と聞いて困ってしまった。
「ドレスはもう作っているの。……まだ関係が良かった時に、ヴァリオ様と一緒に選んで」
彼の目の色に似たペールブルーの生地を使ったドレスが欲しくて、わざわざ遠方から取り寄せてもらった。もう四か月も前の話だ。すっかり忘れていた。
「お、そうなんだ。そこはちゃんとしているのか」
「そろそろ、仕立ての確認をする時期なのだけど……」
「ふうん。でも、ドレスなんて何枚あってもいいだろう? 僕がプレゼントしたい」
叔父さまに笑顔で押し切られた。