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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

女神に見捨てられた令嬢は婚約者の愛に包まれている

作者: 猫本

“英明なるベンヤミン・ハウブレフツ陛下に我が身命を捧げ、この願いを奏上し奉る”


 再生王ベンヤミン・ハウブレフツ。今からおよそ150年前、幼くしてミドランドの王位についた彼は宰相らの傀儡となり、民を困窮させたという。

 ベンヤミン一世15歳、在位10年を祝う建国祭において、一人の男爵は身命を賭して国民の窮状を訴えた。

 それまで傀儡であったベンヤミン一世は己の不徳を恥じ、利権を貪るばかりの佞臣を退け、見事に国を再生させたという。

 ベンヤミン一世没後、ベンヤミン二世は父王の偉業を伝え、国家の安寧を祈念し、戒めとするため、建国祭における奏上を儀式として継承させた。

 三世、そして四世の治世に至ってもそれは続き、今まさに今年の奏上が行われようとしている。


 と言っても、これはあくまで儀式である。誰が何を奏上するのか、あらかじめ議会で決められていた。

 下位貴族にとってその役割を賜ることは大いなる誉である。

 今年の奏上者はラハー男爵。学舎肌の彼は過去の水害について詳細な調査を行い、その功をもって治水工事の責任者に任じられた。

 国王が建国祭のはじまりを宣言した瞬間、男爵は玉座の下にまろび出て奏上しなければならない。

 本来であれば不敬罪に問われるところである。しかも当時のベンヤミン一世はただの傀儡に過ぎなかった。

 賢王として目覚めたから良かったようなものの、クレマー男爵はなかなかに勇気のある御仁だったとリリーアンは考えている。


 リリーアンは今年で十六歳、王太子ルーラントの婚約者だ。未だ婚約者の身ではあるが、五歳で婚約を結んでからは王宮に住まい、王族の一員として壇上に控えている。

 建国祭に参加するのも今年で十度目、毎年奏上者役の演技を見るのを楽しみにしていた。栄誉ある役として皆、熱心に練習してくるからだ。

 舞台役者ばりに好演する者、緊張感が勝り素人芸以下になる者、年年によって様々だがそれも含めて祭である。

 さあ、いよいよ奏上だ。

 いつものように特殊な扇で顔を隠したリリーアンは、皆からは見えぬのをいいことに期待で瞳を輝かせていた。

 覚悟を決めたラハー男爵が下位貴族の集団から抜け出ようとする。


「英明なるベンヤミン・ハウブレフツ陛下に奏上いたします!」


 が、それよりもわずかに早く、鮮やかな桃色のドレスをまとった少女と三人の少年が玉座の下へ飛び出した。

 護衛官が抜剣し、王族と少女らの間に立ちはだかる。

 リリーアンは守られるようにルーラントの背後へ回され、彼もまた腰の剣に手をかける。

 それでも少女は怯むことなく、そのたおやかな両の手を祈るように前で組む。


「どうかわたくしの話をお聞きください! 王太子殿下はそこの魔女に操られておいでです!」


 ヒヤリと空気が冷えた。

 その変化に貴族たちは言葉を飲む。

 リリーアンは息を吐き、そっとルーラントの腕を取る。

 それだけで温度がやわらぎ、しかし彼は警戒を解こうとしない。


「控えよ」


 国王ベンヤミン四世が厳かに声を発する。

 貴族らはすかさず膝をつき、やや遅れて少年たちのうち二人が、そして少女が、最後に少女に上着を引かれた少年が不満ながらも跪く。

 事もあろうに最後まで跪かなかった少年は腰に剣を下げていた。それだけで投獄は免れない。

 国王が宰相へ耳打ちした。

 返された言葉にうなずき、宰相は一歩前へ出る。


「誰ぞ、この娘の身内はおるか!」


 よく通ったその声に一組の男女が平伏する。

 宰相は一瞬沈黙したし、意外に思ったのはリリーアンも同様だった。

 

「クレマー男爵および男爵夫人、参れ!」

「両親は関係ありません!」


 男爵家の娘が宰相の言葉を遮った。その事態に戸惑いが、漣のように広がっていく。

 渦中にあるクレマー男爵は戸惑うどころではないだろう。150年前の先祖のように段下へとまろび出て、再び夫妻揃って平伏する。

 釈明も謝罪も困惑も、その胸を満たしているだろう。

 しかし勝手に口を開いたりしない。道理を弁えているからだ。


「おとうさま、おかあさま、これはわたくしが奏上すべきこと! 女神様に見捨てられたことを恨み、魅了という悪き魔術をかけたあの女を告発しなければなりません!」

「そうです! お義父上、お義母上は下がっていてください。さあティーナ、君の騎士に命じてくれ。かの悪しき魔女を討ち取れと!」


 帯剣していた少年はパッとその場に立ち上がり、腰から剣を引き抜いた。


「キャアァ! アラン!」


 少女の、そして貴婦人たちの悲鳴が上がる。

 少年の蛮行に、そして、容赦なく彼を打ち据えた警備兵の棒術に。

 少年は白目を剥いてその場にバタリと倒れ伏す。

 瞬きにも満たない間だ。のちほど会場の警備を担った隊を十分に労おう。リリーアンはそう決める。

 もちろん王族の護衛官たちは隙なく剣を構えたまま、警護対象から離れない。

 会場を警護するのは王国軍第二部隊、王族を護衛するのは王国軍近衛部隊、そのように役割がわかれているからだ。

 その間にも警護兵らは少年少女を組み伏せる。最初から平伏している男爵夫妻は反逆の意思なしとして拘束を許されているようだ。


「さて、クレマー男爵。そこな娘はそなたの実娘……では、ないな? ではどのような縁があるのか」


 宰相の問いかけに男爵は床へ額を擦り付ける。


「それは我が家で預かっている縁者の娘にございます。母親に先立たれ、路頭に迷うしかないと嘆くので一時預かりました。わずかですが血縁がございますので、教育次第で後継に据えるかというところでしたが……」


 なるほどそれで、とリリーアンは納得する。

 リリーアンはいずれ王太子妃になるものとしてこの国の貴族と嫡子は記憶している。

 クレマー男爵家は子に恵まれず、血縁者から養子を取るか家を断絶させるかという状況だった。

 彼の家は誠実と誠心をモットーとし、相応しい後継者が得られなければ爵位を返上するつもりである、とも聞いている。

 とは言えこの国にとって大恩ある男爵家である。いざとなれば後継に関しては王家からも協力を申し出る予定であった。


「このような事態を招き謝罪の言葉もありません。謹んで爵位を返上し、刑に服す所存です」

「そんな! おとうさま! 全てはそこの魔女の……っ」


 男爵の決死の謝罪をその預かり子が台無しにする。

 すかさず警護兵が少女を打ち据え、彼女はこれみよがしに悲鳴を上げた。

 とてもまともな貴族の言動ではない。確かにあれでは養女にもしかねるとリリーアンは納得する。

 しかし、これ幸いとリリーアンを睨む貴族も確かにいた。

 彼らにとってリリーアンは邪魔極まりない存在なのだと、それくらいは承知している。

 そうでなくとも、自分が怪しいという自覚はなくもない。


「これで三度だ」


 地獄の底から響くかのような、低く低く、怒りに燃えた声。


「そなたらは三度、我が最愛の姫君を愚弄した」


 庇われているため背中しか見えないリリーアンにも想像がつく。今、ルーラントは王太子にあるまじき顔をしていると。


「正気にお戻りください殿下!」


 より強く拘束されてなお、少女は叫んだ。


「黙れ!」

「いいえ、黙りません! 顔も見せず、声も発さず、ただそこにいるだけの女へ我を忘れるほどの情を向けられるなど、それこそ魔女の魅了というものです!」


 小さな悲鳴が上がる。いよいよルーラントが一人の貴族としてもあるまじき形相になったのだろう。


「ただそこにいるだけだと……? 美しく、賢く、優しく、たおやかで、それでいて芯のある、天井のハープもかくやという美声の、存在自体が奇跡のような私のリリアを、よくも!」


 彼は抜き身の剣を下げたまま、一歩二歩と少女に近付く。

 リリーアンは小さく息を吐き、そして大きく吸い込んだ。


「英明なるベンヤミン・ハウブレフツ陛下に我が身命を捧げ、この願いを奏上し奉ります!」


 凛とした声が大広間に反響する。

 誰もが驚いて言葉を失い、声の出所を探そうとした。

 驚いたのはルーラントも同じである。先程までの殺気はどこへやら、顔を青くしてリリーアンを振り返る。


「許そう。リリーアン以外の者は控えよ」


 国王が威厳ある声で告げれば、王太子であろうとも場を弁えなければならない。

 しかしその秀麗な面には如実に焦りが浮かんでおり、こんな場面でありながらリリーアンはかすかに笑ってしまった。

 そっとそれを押し隠し、王族の並ぶ壇上の中央、玉座に向けて跪礼する。


「どうか、婚約式で王太子殿下がわたくしに発した命をお解きくださいませ」

「リリア!」


 この世の終わりのような声でルーラントが叫ぶ。

 対して国王は楽しげに口を歪めた。


「王太子の婚約者は他者に顔を見せず、声を聞かせることもならぬ。そうであったな。幼き我が息子の愚行を詫びよう。リリーアン、そなたの笑顔も声も、これからは万人のものだ」

「国王陛下の御慈悲に心より感謝申し上げます」


 リリーアンは深く頭を下げると、滑らかに立ち上がった。

 ルーラントから贈られた、相手からはこちらが見えないが、こちらからは相手の様子がハッキリ見える特殊な織りの扇をパチリとたたむ。

 そして初めて貴族たちの前に素顔を晒した。


「美しい……」


 ポツリと漏らしたのは、誰だったのか。

 リリーアンが微笑むと、方々で感嘆の吐息が漏れる。

 黒曜石のように輝く髪、夕陽のように燃える瞳。体つきはしなやかで若さと健やかさを感じさせる。


「リィ、ああ、私のリリア。なぜ……なぜだ。そなたを一目見たら、誰もが恋に落ちてしまう。私だけのリリアでいて欲しいのに、なぜ」


 ルーラントは剣を納め、ふらふらとリリーアンの元へ戻ってくる。


「我儘はいい加減になさいませ。彼女の言う通りです。このままではわたくしは誰からも認められず、殿下に嫁ぐことができません」


 なるほど、天井のハープだ。そんな具合に誰かがうなずく。

 リリーアン個人としてはピシャリと叱りつけているはずなのに、どうにも甘く響いてしまって迫力に欠ける気がするのだが。


「ああ、リリア。怒らないでくれ。わかっている。頭ではわかっているんだ。だからどうか、いつものようにルゥと呼んでおくれ」


 ルーラントはリリーアンの前に跪き、その手の甲に口付ける。そればかりでなく愛を乞おうとするように頬を何度も擦り付けた。

 仕方のない人、とリリーアンは苦笑する。そして取られた手はそのままに、憎々しげにこちらを睨む少女を一瞥、その隣で平伏しているクレマー男爵に微笑みかける。


「顔をお上げください、クレマー男爵、男爵夫人。おかげでわたくしはこうして顔を見せ、話すことが許されました。ありがとう存じます」


 リリーアンの言葉に男爵夫妻はそろそろと顔を上げ、その微笑みに目を見張り、犬のように擦り寄っている王太子に驚愕し、また慌てて平伏する。

 国王は深く息を吐く。様子を伺う宰相に軽く手を振って見せると朗々とした声で発言する。


「何が何やらわからぬ者も多いだろう。不肖の息子の度を越した行いについて、私から説明しよう」


 事の発端は十年前、第二子を懐妊した王妃に代わり、国王は幼いルーラントを伴って隣国フィルズ首長国を訪れた。

 フィルズ首長国は長大なるフィルズ山脈の最高峰カイラーシュを信仰する複数部族から成立した国家で、中でも女神カイラーサに仕えるランサ族は総首長を務めることが多い有力な部族だ。

 リリーアン、フィルズ風に言うとリリアはランサ首長の末子である。

 ミドランド国王一行の滞在中、幼い子供同士はすっかり仲良くなった。

 そこまでは良かったのだが、一週間の滞在を終えていざ帰国という段になり、ルーラントは激しく抵抗した。

 リリアと一緒じゃなきゃ嫌だ。別れなきゃいけないならミドランドには帰らない。ここでリリアと結婚する。王位にはつかない。

 いくら幼くともルーラントは王太子。その時点まで何の瑕疵もなく、むしろ優秀な子供だった。

 初めての子供らしいわがままと言ってしまえばそうだが、そう簡単には叶えられない。

 犬猫ならともかく、リリアは四人の男児の次に産まれた待望の女児で、一族全員にとって珠玉の玉と言えた。連れて帰りたいと願って簡単に叶う相手ではない。

 国王もリリアの父であるランサ族首長にしてフィルズ総首長も困り果てた。

 だが、リリア本人もルーラントと共に行くことを望み、渋る家族に女神カイラーサから託宣を賜るよう説き伏せ、結果として若干五歳にして国許を離れることとなったのである。

 二人の婚約は両国の友好の証となった。双方に利益のある条約が結ばれ、ミドランドは更に発展した。


「唯一の誤算は、ルーラントが全く成長しなかったことだ」


 事情を語り終えた国王は嘆息する。


「長じれば度の過ぎた悋気や独占欲も収まるかと思ったが、リリーアンが美しく成長すればするほど酷くなりよる。それを生活に支障がない程度になんとか宥めていたのがリリーアン本人だ」


 王族一同、そして宰相はじめ高官一同がうなずく。彼らは皆、ルーラントの恋心に巻き込まれ、いらぬ苦労をかけられた被害者である。


「もっとも、それ以外に関してルーラントの能力は頭抜けている。ベンヤミン五世の襲名はルーラントにしか考えられぬ。……愛情も頭抜けている、と考えればよいのか、判断に悩むところではあるが」

「そんなの……やっぱり、魅了じゃない」


 懲りるということを知らないのか、少女は呻く。

 幾度もリリーアンの手に口付けるルーラントを見た貴族たちの動揺は収まらない。

 完璧な王太子殿下が見せた衝撃の行動だ。

 リリーアンはチラリと第二の父である国王を見た。

 うなずきを返され、ルーラントの頬に軽く触れる。


「ルゥ、きちんとエスコートなさって」


 まるで魔法のようにルーラントは音もなく立ち上がり、貴公子然としてリリーアンの隣に立った。

 その様子に内心ホッとしつつ、リリーアンは大広間へ目を向ける。


「様々なご意見があるかとは思いますが、これだけは誤解を解かねばならぬと存じます」


 皆、表面上は王太子妃になるリリーアンの言葉を待っているが中には疑心を抱いている者もいる。

 ルーラントの真っ直ぐな愛情はリリーアンにとって嬉しいものだが、客観的に行き過ぎていることも事実だからだ。


「わたくしはフィルズに住まうランサ族の娘、リリア。今でも女神カイラーサを深く敬愛しております。当然、女神の愛を疑ったこともございません」


 そして目を伏せ短く祈りを捧げる。

 カイラーサ信仰はミドランド西部においても根強いものがある。数代前の王族にも熱心なカイラーサ信者がいて、リリーアンが滞在する白山宮は霊峰カイラーシュを臨むための離宮だ。


「確かに、その誤りは正さねばならぬな」


 国王が重々しくうなずく。


「知っている者もおるであろう。フィルズ首長国には女神カイラーサの寵愛を受ける者が多くいる。ランサ族は特に顕著で、それゆえ総首長を務めることが多い。リリーアンの父も、四人の兄たちも金環眼の持ち主だ」


 おお、と感嘆のざわめきが起きる。

 神や精霊の寵愛を賜った者は金環と呼ばれる証が目を彩るが、それは単に証に過ぎず、ギフトと呼ばれる能力こそが神が与えた恩恵だ。

 その能力は常人離れしていることが多く、故に名誉を、富を、手にすることが出来ると言われている。

 しかし精霊ならばともかく、神々が人に寵愛を与えることは稀だった。現在ミドランド国内で神の寵児は発見されていない。

 一方、隣国のフィルズ首長国ではカイラーサの寵児が多くいる。

 厳しい山岳地帯を領土とするあの国が豊かでいられるのは、カイラーサの神力によるものというのが一般的な話だ。

 愛多き神にまみえようとフィルズ首長国に渡る者も少なくないが、運良く寵愛を得ることが出来たとしても、国元へ帰る頃には金環が失われていることがほとんどだという。

 カイラーサを身近に育ったリリーアンにとってはさもありなんという話だ。


「リリーアンを連れ帰るにあたり、私は女神の託宣に立ち合った。そこでかの女神は仰せになられた」


『我が婿の娘であり妹は、我にとっても娘であり妹である。しかし愛する男を得れば我が手元を離れるも道理であろう。その時我が愛は枷になるやも知れぬ。故に我はそなたを愛しこそすれ、縛りはせぬ』


「女神に捨てられたなど誤解もいいところだ。むしろ女神の懐から奪い取ったようなもので、ルーラントが裏切ろうものなら神罰がくだるであろう。その気配がないのは幸いだがな」

「当然です。私こそが、女神カイラーサに認められたリリアの伴侶なのですから」


 自信満々にルーラントは胸を張り、リリーアンに微笑みかける。

 今度のざわめきは先の比にならず大きい。

 リリーアンに敬意を表する者、安堵を見せる者、平静を保とうとする者、未だ訝しむ者、それぞれがそれぞれの思いで囁き交わす。

 しかし、宰相が静まるように命じると、表面上は置き落ち着きを取り戻す。

 宰相は国王に何事か耳打ちし、国王は呆れたように息を吐き出した。


「娘。そなたの母はアルベルティーナか」


 どよめきが起こる。その理由に思い至り、リリーアンも驚く。すかさずルーラントがリリーアンの肩を抱いた。

 観察する限り、その名に反応したのは国王と同世代の貴族たちだ。子供世代でも高位貴族ほど親と同じ反応を示している。下位貴族は反応も様々で、特に年若い者ほど困惑していた。


「若者は知らぬであろう。幼い子供に聞かせるにはあまりにも酷い話だからな。毒婦アルベルティーナ。クレマー男爵の遠縁、今は亡きバンドン伯爵家の庶子で当時のヘンライン侯爵家に嫁いだ娘だ」


 リリーアンがその名を聞いたのは王太子妃教育の一環である。およそ二十年前、ミドランド王国の高位貴族を多数巻き込んだ醜聞だ。

 アルベルティーナは美しかった。アルベルティーナは賢かった。アルベルティーナは欲深かった。

 彼女は伯爵家の庶子でありながら侯爵家に嫁いだが、それは婚約者の令嬢を追い落としてのものだった。

 それだけでは飽き足らず、夫の友人たちを次々と毒牙にかけ、限界まで貢がせた。

 夫人や婚約者に咎められると言葉巧みに被害を訴え、離縁や婚約破棄に追い込んだ。その上、アルベルティーナが懇意にしていた悪徳商会の不成者に襲われた女性もいたと言う。

 愛と欲に溺れたアルベルティーナ。しかし王太子、現国王をも毒牙にかけようとしたことで破滅を迎える。


 王太子の婚約者、現王妃にしてルーラントの母君であるコンスタンツェはアルベルティーナの行状を良しとしなかった。

 由緒正しい公爵家の姫君であるコンスタンツェは綿密な調査を重ね、結果を国王に奏上し、アルベルティーナの処断に至った。

 責を問われたヘンライン侯爵家は子爵家に降格、アルベルティーナの夫であった嫡男は領地に蟄居。

 アルベルティーナに惑わされ、妻や婚約者の令嬢を傷つけた男たちにも相応の罰が下された。

 生家であるバンドン伯爵家は取り潰された。アルベルティーナは顔を焼かれ、喉を潰され、平民として元バンドン伯爵領に放逐された。

 美しさを自慢にしていたアルベルティーナにとって、それは死ぬよりもつらい罰であっただろう。

 さらに自分を恨む元領民、そして被害者の令嬢の家々から報復を受け、命を落としたようだとリリーアンは聞いていた。

 しかし、アルベルティーナに娘がいたとは初耳である。国王や宰相も知らなかったのだろう。

 血統を考えれば、どの種であったとしてもアルベルティーナの子供にはほんのわずかにクレマー男爵家の血が流れている。

 誠実と誠心をモットーとするクレマー男爵家の縁者とは到底信じられない行いだが。


「毒婦と呼ばれた女について知らぬ若者はのちほど親か教師に聞くがいい。して、クレマー男爵。そなたがそこな娘を預かったのはどのような経緯であるか」


 クレマー男爵は再び平伏し、硬い声で説明する。


「アルベルティーナが犯した罪はあの程度で許されるものではありません。生家は取り潰されておりますし、他の家は嫌がりましたので我が家で監視を行うべきと考えました」


 しかし放逐されたアルベルティーナはすぐさま何者かに襲われ、最後に目撃された場所には夥しい血痕が残されていた。

 クレマー男爵は報復を受け、殺されたのだろうと考えてそのように報告した。遺体が残されていなかったことだけが気になったが、血の量からして激しく損壊し遺棄されたのだろうと考えた。

 襲撃者が貴族であれば、か弱い女性一人どうとでも処理出来るだろう。

 姉妹や妹が毒婦によって辱めを受けたというならば、もはや平民となったアルベルティーナを守るものは何もなかった。


「ですが、その実は連れ去られ、十年ほどは生き永らえていたようです。数年前、遺髪を携えてこの娘は我が家の門を叩きました。クレマー男爵家ならば、犯罪者の娘であることを理由に見捨てることはないだろうと、そう聞いていたようです」


 確かに、ミドランドの法律では犯罪者の子供だろうと罪に問われることはない。

 心情的に受け入れられるか否かというとまた別問題であることは居並ぶ顔が語っているが、少なくともクレマー男爵は向き合おうとしたのだろう。


「親の罪は親のもの、子供には関係ありません。しかしこうなっては私の判断が誤りだったと認めざるを得ますまい」


 男爵の言うことにリリーアンは概ね同意だ。

 それにしても親子揃って同じようなことをするとは、と少女に付き従う少年たちを窺えば今になってようやく自分たちのしでかしたことに気付いたのか、蒼白になっている。


「なるほど。仔細は理解した。ところでクレマー男爵以外に子供らの身元を証明できる者はおらぬのか? あと三人ほどいるのに誰も名乗り出ぬとは奇妙な話だ」


 宰相が皮肉を込めて言えば、慌てて三組の貴族が出てくる。

 男爵家、伯爵家、侯爵家。なるほど次男以降か、庶子かを籠絡したのだろう。嫡男はガードが硬かったか、教育が行き届いていたか、それとも偶然か。

 少年の親たちはクレマー男爵に倣って平伏し、口々に謝罪をのべたが国王は手を払いそれらを黙らせた。


「話は別室で聞こう。これ以上建国祭を滞らせるわけには行かぬ。頼むぞ、トーマス」


 一礼した宰相は警護兵に指示を出し少女たちを引き立てる。

 少年たちは青くなって震え、完全に意気消沈していたが、少女だけは可愛らしい双眸に怒りの炎を熱く燃やした。


「私は母とは違います! いいえ、あのような毒婦を母と思ったことなどありません。そこの女はあの毒婦と同じですわ! 目を覚ましてくださいませ殿下!」


 ルーラントの怒気が空気を震わせた。

 嫌な予感を覚え、リリーアンは警護兵に目配せする。

 すぐに猿轡が噛まされた。それを見たクレマー男爵は明らかに安堵していた。

 嫌な予感は強まるが、今にも剣を抜いて切り捨てかねないルーラントをなだめる方が先である。


「ルゥ。いつまでわたくしから目を離しているの? 今日のわたくしは世界で一番美しいと言ってくださったのは嘘?」


 効果は覿面で、ルーラントはリリーアンの姿を見ると笑み崩れて剣を納めた。


「もちろん、今日も私のリリアが世界で一番美しいよ。明日も明後日も、世界で最も美しく、賢く、優しく、優雅で、愛らしいのはリィ、貴女だ」


 剣の代わりにリリアの髪に触れてルーラントは言い募る。

 いつものことではあるし、うれしく思いはするのだが、国中の貴族の前でこうも熱烈に謳われるのはいささか気恥ずかしいものだった。

 国王が咳払いをひとつする。


「未だ未熟者ではあるが、未来ある二人をどうか祝福して欲しい」


 口調は願いだが、実際は命令だ。

 幸いルーラントはリリーアンに関すること以外は非常に優秀であるので、戸惑い混じりながらも拍手が上がる。

 リリーアンに褒められたい、幸せにしたいという恋心がルーラントを優秀な王太子としていることに何人が気付いただろうか。

 これで愛人候補に、と娘を送り込んでくる貴族が減ることをリリーアンは祈るばかりだ。ルーラントは不愉快に思うばかりで、よりリリーアンに執着するのだから。


「して、他に奏上する者はおらぬのか。我は偉大なる一世陛下に倣い、寛容な王でありたいと願う。義理の娘のささやかな問題を解決しただけで今年の建国祭を終わるつもりはないぞ」


 国王が続けた言葉に、ハッと空気が緊張を取り戻す。

 騒ぎを起こした少女らはすでに移され、クレマー男爵夫妻もより詳しい聴取を行うために場を辞した。

 蹴り出されるようにラハー男爵が転げ出る。


「い、いだいなるベンヤミン四世陛下に奏上申し上げます!」


 盛大に台詞を間違えたラハー男爵は泣きそうな顔で真っ青になり、リリーアンは思わず笑ってしまった。

 その笑顔にラハー男爵は息を呑み、すぐに表情を強張らせ、額をつけて平伏する。


「許す。申してみよ」


 つっかえつっかえながらも治水工事の必要性を奏上する声を聞きながら、リリーアンは小さくルーラントの腕を抓った。それすら悦に入って喜ぶのだろうと思ったが、顔を見せて話す以上これからは抓ることが増えるだろう。

 ある意味、ラハー男爵の決死の奏上は受け入れられる。


「誠心を示した臣下に恥じぬ王であることを我はここに誓う。偉大なる始祖に祈りを。建国祭の開始を宣言する!」


 国王宣下に満場の拍手が起こる。


 荘厳なファンファーレ。ラハー男爵が辞した場所へ、今度は国王と王妃が降りた。

 臣下と同じ道を歩むという決意表明であり、ファーストダンスのためでもある。


「次代を担う若人よ、そなたらも参れ」


 予定外に国王から声をかけられ、リリーアンはルーラントと顔を見合わせた。

 これまでリリーアンは扇で顔を隠すことを命じられていたので、高座から降りたことはない。

 しかしこれからは普通に踊ることができる。


「ルゥ」


 笑顔でルーラントの手を引くと、苦虫を噛み潰したような顔をしていた彼は結局従ってくれた。

 国王夫妻に並び、ルーラントとリリーアンは向かい合って一礼する。

 優雅なリズムが流れる。練習では散々踊ってきたが、公式の場で二人が踊るのはこれが初めてだ。

 練習用の演者とは比べ物にならない重厚かつ優美な旋律、ランプの輝く大広間、そして二組のロイヤルカップルを見守るたくさんの人々。

 リリーアンは楽しく周囲を見ていたが、ルーラントが自分だけを見つめていることには当然気付いていた。


「楽しいわ、ルゥ」


 満面の笑みで語りかける。


「私はリィの全てを独占したい」


 しかし、ルーラントは複雑な表情だ。


「あら。それはわたくしもだわ。普段から皆にもわかるように愛情を示してくれていれば、あのような暴挙など許されなかったでしょうに」


 少女たちが愚かだったことは確かだが、ああして奏上を試みたということは少なからず大人が協力しているということでもある。

 そもそも非嫡子、養子縁組もしていない養い子が建国祭に忍び込めるはずがないのだ。


「それでも……それでもリィは、私だけのものだ!」


 歓声が上がる。

 リリーアンの体を軽々とリフトしたルーラントは、素知らぬ顔でダンスに戻る。

 二人で踊っている時に色々と遊んだ技のひとつだ。リリーアンもそつなくこなして次のターンで逃げようとする。

 すぐさま体を引き戻されて、勢いのままにルーラントはキスを迫った。

 黄色い悲鳴は女性のものだ。

 もちろんリリーアンはあっさりかわす。


「わたくしはルゥを立派な王様にしたいの」


 それこそ賢帝ベンヤミンにも負けないほどに。少なくとも、恋に溺れた愚王と呼ばせるつもりはない。

 ルーラントは笑みを浮かべた。

 リリーアンの体を引き寄せる。踊りにくいほど密着し、その耳元へ囁いた。


「約束しよう。世界で一番立派な国王になると。そのためにも、君にそばにいて欲しい」


 リリーアンは目を閉じる。

 

「もちろん。貴方に出会ったあの日から、わたくしだってずっと、ずぅっと、恋しているのですから」


 幼かったあの日。身の回りにいる男性は山の女神の寵愛深い筋骨隆々の大男ばかりという環境にあって、金髪碧眼のたおやかな美少年は信じられないほど美しく、一眼で恋に落ちるのも当然だった。

 あの少女はリリーアンが魅了魔法を使ったのだと言ったが、逆である。

 リリーアンがルーラントに魅了されたのだ。五歳で家族よりも恋を選択するほどに。






 思わぬ形で未来の王太子妃がお披露目されてから1週間後の晴れた日に、リリーアンはあの騒動の調査結果を聞くことになった。


 国王と王妃は早朝にも関わらずわざわざ白山宮まで足を運び、フィルズ連峰を望むサロンで朝餐を囲んでいる。

 女神が妹と愛でるリリーアンが巻き込まれた騒動だ。その御前で全てを報告する必要があると国王は判断した。

 朝靄の向こうで、試練と愛を司る女神カイラーサは、神使たる雪豹を枕にゆったりと微睡んでいる。そんな艶かしい山脈の稜線に男たちは焦がれるのだろう。


 ルーラントの弟妹、ルートハーとルイーセはいつも通り食堂で朝食を取っているはずである。いずれは人間の清濁を呑み込むことになるものの、内容が内容だけに配慮された形だ。


 一同が揃うと、国王の侍従が報告書を読み上げる。


「結論から申しますと、あの娘はアルベルティーナの娘に間違いございませんでした。鑑定により判明した父親は、先代のケーテル公爵です」


 リリーアンは軽く目を見張る。ルーラントが繋いだ手を強く握った。

 国王と王妃はすでに報告を受けていたのだろう。動じる様子はない。


 ケーテル公爵家は初代国王の王弟が興した家だ。最近これといって功績はないが、歴史ある名家であることに変わりない。

 続く内容も中々に衝撃的で、確かにこれはまだ幼さの残る双子を同席させられないと納得する。


 調査で判明したことだが、ケーテル元公爵はアルベルティーナに人生を狂わせられた一人だった。

 そもそもは元公爵の長男、現公爵の兄がアルベルティーナに堕とされた。

 元公爵は長男にまとわりつく毒婦を激しく非難し、息子が関わることを嫌悪したが、その裏では美しくも毒々しい彼女に魅了されていた。

 アルベルティーナが罪に問われ、顔と声を奪われて街に放逐された時、元公爵はその刑罰を支持しつつ秘密裏に彼女を拐かした。

 そして彼女が死ぬまでの10年間、愛人と呼ぶには惨い扱いを続けたらしい。


 リリーアンに聞かせることを憚ったものか、詳細は語られなかったがそれ故に察しがついた。慰めるように肩へ回されたルーラントの腕に安心する。


 アルベルティーナが折檻の末に死んだあとの元公爵はさらに鬼畜の所業に及んだ。なんと10歳に満たない実の娘を手篭めにしようとしたと言うのだ。

 ティーナと名付けられた彼女が魅了魔法にこだわったのは、それが理由でもあったらしい。

 元公爵は執拗にアルベルティーナも娘であるティーナも魅了魔法を使ったのだと、そうでもなければ自分がこれほど強く執着するはずがないと、それは強弁を張ったそうだ。


 アルベルティーナの事件以降魅了魔法の発見方法が研究されたため、毒婦と呼ばれた女性がどうであったのかはわからない。

 しかし検査の結果、ティーナに魅了魔法の適性はなかった。

 元公爵はただ己の下劣な欲で、血の繋がった娘を汚そうとしたのだ。


 それを聞かされた時、ティーナは呆けたように涙を流し、素直に事情を語り出したと言う。そして元公爵に厳罰を望んだそうだ。


 ティーナはなんとか屋敷を逃げ出した。母の遺髪を持ち出すことができたのは不幸中の幸いだった。

 さらに幸運は続く。運良く王都へ向かう荷馬車に忍び込んだティーナは元公爵が怒りと共に喚き散らしたひとつの名前を覚えていた。

 それがクレマー男爵。アルベルティーナの行方を探した唯一の男であったがために、元公爵の逆鱗に触れたらしい。


 娘が語るところによると、目も見えない、話もできない母を相手に元公爵は執拗にクレマー男爵との関係を問いただしたそうだ。

 一縷の望みを託し、ティーナはクレマー男爵家の門を叩いた。領地を持たぬ法衣貴族であり、王都に屋敷を構えていたこと、歴史に残る名家であり市民たちもその屋敷を知っていたことが少女を助けた。

 かくして慈悲深いクレマー男爵とその賢夫人はティーナを受け入れ、獣のような少女を何とか育てようと5年間奮闘したのだが、その結果がアレかと思うと気の毒としか言えない。


「奇しくもそなたらと同じ年齢だが、育ちを思えば厳罰を課すのも非道かと思ってな。真に罰せられるべき者は他におる。かと言って無罪放免というわけにもいかぬ。あの娘は修道院へ行かせることにした。本人も納得しておる。ルーラント、そのような顔をするでない」


 疲れたように息を吐く国王の様子にリリーアンは隣を見る。


「わたくしも彼女を哀れに思います。きちんと教育を受ければ自分の行いを理解するでしょう。それで十分な罰となりますわ。神の御許で心を癒す必要もあると存じます」

「リリアの言うとおりだ。私のリィは今日も女神のように慈悲深いね。聞きましたか、父上」


 華麗に手のひらを返したルーラントに国王は苦笑する。ひらりと手を振って侍従に続きを促した。


「少年たちにはそれぞれの思惑があったようですが、概ね恋した少女の関心を得たいといったところのようです」


 クラベ男爵家の次男はティーナに好かれたいがために、深く考えず彼女の指示に従っていたらしい。彼は家から除籍され、5年間の強制労働が命じられた。

 メイネス子爵家の庶子は母が当主の寵愛を得ているのをいいことに、相当の資産を貢いでいたそうだ。元々平民となる身ではあったがそれが早まり、母ともども子爵家を出ることになったと言う。彼にも5年間の強制労働が命じられた。

 当主にも監督責任があるとして、クラベ家は貴族俸給を3年間減額、メイネス家は当主交代の上で5年間減額の処罰となった。


 腰巾着だった二人と違い、大広間に剣を持ち込んだスタート伯爵家の三男には更に重い罰が与えられた。

 彼は騎士団への入隊が内定していたが、当然のごとく取り消された。

 王族主催の夜会で帯剣したこと、抜剣しようとしたこと、王太子の婚約者であるリリーアンを侮辱したことなど、騎士を目指していただけにその罪は重いと判断された。

 彼は利き腕の腱を切られた上で、犯罪奴隷に落とされた。

 スタート伯爵家は騎士の家系であり、伯爵である父親も二人の兄も騎士団に所属していたが、連座で馘首となった。なおかつ伯爵から男爵への降爵が命じられた。いずれはそれすら維持できなくなり、返上することになるだろう。


「事態に対し処罰が軽いと言う声もありましたが、そうせざるを得ませんでした。クレマー男爵は今も爵位の返上を申し出ています」


 無理もない、とリリーアンは心を痛めた。

 

 預かり子とは言え、あの娘は根も歯もない言いがかりで隣国の姫であるリリーアンを侮辱した。国益を損なう行為である。忠臣であるクレマー男爵には到底看過できぬ失態だろう。

 何とか文官が書類を止めているが、今にも出奔しそうな勢いだという。

 クレマー男爵家でなければ爵位の返上は認められたはずだ。それをよしとするには彼の家が残した功績が大きすぎるのだ。


「差し出口をお許しいただけるでしょうか」


 リリーアンは義父たる国王に目礼する。


「許そう」


 予定調和のように、国王はうなずいた。


「今回の件に関しては、わたくしからの恩赦とさせていただけないでしょうか。実害はありませんでしたし、むしろ殿下の婚約者としてようやく皆様へご挨拶することが叶いました。無罪とするわけにもいかないと存じますが、クレマー男爵家にも貴族俸給の減額で釣り合いは取れるかと存じます」

「リリア……何と寛大な」


 感極まったようにルーラントはリリーアンの肩を抱く。


「ちと弱いな。クレマー男爵が返上を撤回するとは思えん。さて、ルーラント。そなたに尋ねる。王太子として、未来のこの国を統べる者として、何か案はないか?」


 リリーアンの髪を愛おしげに撫でていたルーラントは、さすがに国王の問いに姿勢を正した。至って渋々とではあったが。


「陛下に申し上げます。我が最愛のリリアとの婚姻を発表したいと思います」


 王妃が軽く目を見張る。リリーアンも義母と同じ表情をして、彼女の恋人のルゥではなく、王太子としての言であることに気付く。


「甚だ遺憾な事態ではありましたが、リリアの輝かしい資質が示されたのも事実。かくなる上は正式に婚姻を結び、リリアを私の妃としたい。王太子成婚の恩赦をもって事態を収めましょう」


 ルーラントの案は悪くない。悪くはないのだが、どうしても副音声が聞こえてくる。


(愛しのリリアの美しくも可愛らしい顔も、天上のハープもかくやという美声も、広く知られてしまった。こうなったら一秒でも早く正式にリリアを私の伴侶としなければ。奴らなど斬首でも甘いくらいだが、予定より早くリリアを妻と呼べるのだ。この幸福の欠片、いや砂粒くらいは分け与えてやってもいい)


 リリーアンに聞こえたのだ。国王や王妃に聞こえないはずもない。

 一同が何とも言えない苦笑を浮かべる中、ルーラントだけは上機嫌にリリーアンの手を愛ではじめる。


「我が息子ながらこう、アレだが、判断としては間違っておらぬから性質が悪いな。どう思う、リリーアン」

「妥当なところかと。王族の慶事に勝るものはありませんから」


 どのみち3年後には婚姻を結ぶはずだった。正式に婚儀を発表したところで、どんなに急いでも一年はかかる。その頃には今回の騒動も風化していることだろう。

 国王は少し温くなったお茶をぐいと飲み干した。すかさず侍女が新しいお茶を用意する。今度はその香りを楽しみながら、ついに王は決断する。


「その案を採用しよう。近くそなたたちの婚姻を発表する。あの場でリリーアンが奏上したことも併せて広めさせよう」

「大丈夫かしら。ルーラントのポンコツさが民の不安を招くのでは?」


 おっとりと頬に手を当てながら首を傾げる王妃に国王は肩を竦める。大変優雅で可憐だが、物言いは酷い。


「そこは愛情深い王子であると印象を操作する。民にとっては冷淡な王子よりも印象が良いはずだ」


 国王の言種も中々だが、王太子の婚約者として研鑽を積んできたリリーアンも同意する。この程度の印象操作は王族の嗜みだ。


「リリアと結ばれるためならば、軽すぎる処分も受け入れましょう」


 ルーラントが納得したことで話はまとまる。

 優秀であるが故にどんな報復にでるかわからず、リリーアンは少しばかり心配していた。国王たちは少しどころではなく案じていたはずだ。


「ではこれで手打ちとしよう。慌ただしい挙式となるが許せ、リリーアン」


 大仕事を成し遂げた様子で息を吐く国王にリリーアンは微笑で応える。

 国王は慌ただしくなるとは言ったが、簡素になるとは言わなかった。つまりはそういうことだ。

 ドレスや宝飾を用意する衣装部、婚礼を取り仕切る典礼部、諸外国との調整を担う外務部、要人警護を担う近衛隊などなど、各部署の仕事が2年ほど繰り上がる。

 関係者は不眠不休の勢いで仕事に打ち込まなければならない。別の意味でクレマー男爵は恨まれるだろう。


「クレマー男爵は良いとして、ケーテル元公爵の責を問わねばならない。どうやらスタート伯爵家の三男を手引きしたのは元公爵のようだ」


 意外な繋がりにリリーアンは軽く目を見張る。

 国王に命じられた侍従が語るところによると、ケーテル元公爵は引退を機に社交界を退いたらしい。

 後を継いだ現公爵は厳しすぎる父と折り合いが悪く、没交渉だったようだ。領地の別邸で何が起こっていたか把握していなかったと言う。

 その間に元公爵はアルベルティーナを虐げていたわけだが、現侯爵は一切関わっていないと釈明した。


「元公爵の身柄は押さえております。使用人から証言が得られました。賄賂と恐喝による建国祭への介入をはじめ、現在判明しているだけで、拉致、監禁、強姦、暴行、暴行致死、児童虐待と罪状に枚挙にいとまがございません」


 リリーアンはわずかに眉を寄せる。

 それを察したルーラントがいたわるように背中を撫でてくれるが、何でもないというように首を振ってみせた。

 この程度のこと、渦中にあった少女の恐怖と苦痛を思えば何でもない。

 リリーアン自身は少女に対し怒りや恨みは抱いていなかった。むしろ事情を知れば知るほど同情心がわいてくる。

 気丈に背筋を伸ばすと、王妃はそれで良いとばかりにうなずく。


「アルベルティーナは確かに許されぬ罪を犯しました。けれど元公爵による私刑は断じて許されるものではありません。アルベルティーナの罪は彼女が、元公爵の罪は彼が贖うべきです。もちろん、ティーナという娘もその取り巻きも、それぞれが罰を受けねばなりません」


 普段おっとりと穏やかな王妃は、毅然と宣言した。

 その手を取り愛しげにキスを寄せた国王は、息子たちへと向き直る。


「ケーテル元公爵の罪を公表することは出来ぬ。あれでも爵位にある間は大きな問題を起こさなかった。高位貴族の一人がこれほどの醜聞を起こしたとなれば、国が揺らぎかねぬ」


 リリーアンはうなずく。

 二人の女性を苦しめ、三人の少年の未来を潰しながらも公には裁かれないことに複雑な思いもあるが、だからこそその罪には厳しい沙汰があるだろう。


「表向きは元公爵が現役時代に行った国の公共事業における収賄を理由とする。現公爵もそれを諌めなかったとして責を問う。元公爵には杯を贈り、現公爵には一部領地の返還を命じる」


 リリーアンが想像したとおりだった。侍従の一人が差し出した地図を見て、これからこケーテル公爵領は厳しい状況になることを予想する。降爵となった方が楽だったかも知れない。貴族には爵位に応じた義務が生じるからだ。


「さすが陛下。身に後ろ暗いところがあるものも今一度行いを改めるに違いありません」


 ルーラントは機嫌良く笑う。彼の代になった時、面倒が減ったと思っているはずだ。


「それに、聡い者は今になっての処罰を勘繰ることでしょう。陛下の世代の方々には特に」

「もちろん、そうしていただかなくては。主だった方々は退場なさいましたが、運良く免れたと今もぬくぬくとお過ごしの方もおられますから」


 王妃はホホホ、と上品に笑うが、その瞳は全く笑っていない。


「これで毒婦による騒動がようやく終わる」


 感慨深く国王は呟き、静かに席を立つ。

 時をほぼ同じく王妃も続き、ルーラントに手を取られリリーアンも起立した。

 何者にも頭を下げぬはずの国王が、霊峰に座す女神に向けて跪礼をとる。


「慈悲深き女神カイラーサよ。どうかこの慶事をもって愚かな罪人に赦しを与えたまえ」


 当然リリーアンも、使用人らも深々と頭を下げた。


 薫風が吹く。ゆっくりと顔を上げると、ヴェールを剥ぐように朝靄が晴れ、霊峰が姿を表す。

 朝日を浴びた頂は輝いて、まるで女神がいたずらに瞬きをしているようだ。


「リリアの父上らにもご報告に上がらなければな」


 跪礼を解いたルーラントに肩を抱かれる。


「ええ。きっとみんな、喜んでくれますわ」


 深い愛に包まれて、リリーアンは微笑んだ。

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