王子の心臓
老婆はその像が壊されるのを見ていた。
残ったのはタダの鉛の塊だけ。
だが、彼女は知っていた。
その鉛の塊は、誰よりも誇り高き男が、命を賭けて手に入れた物だと。
老婆は遥かなる昔のことを思い出していた。
それは……既に誰も覚えていない物語……。
遥かな昔、ある国に一人の王子がいた。
彼は優しく聡明で、誰の悩みでも聞いて解決してあげた。
王子は幸せだった。
彼はその幸せを人に分ける事を考えていた。
ある時は、子供と一緒にいなくなった猫を探してあげた。
またある時は、魔物の襲い来る村を剣と知略で助けた。
優しさだけではなく強さも持つ王子は、国民誰からも愛されていた。
だが、ある日……王子は流行り病の村に視察に行った。
不幸な事に、王子はそこで流行り病にかかってしまった。
流行り病は不治の病。
誰よりも人と話すのが好きだった王子は、自ら塔の最上階に移り住んだ。
彼は優しいが故に、他の人に病を移してしまう事を恐れたのだ。
それ以降彼の生活は変わった。
しかし彼はそれでも誰を憎むでもなく、国民の事を心配し続けた。
人々の声は彼に手紙として届けられた。
王子はそんな人たちに手紙を送る事を、日々の楽しみにするようになった。
そんな彼の元に一羽の鳥が舞い降りた。
「キミは……誰だい?」
当然、鳥は返事をしなかった。
それでもその鳥は、彼に懐きその場に来るようになった。
「キミはボクの友達だよ……ずっと一緒だからね」
鳥はくるりと輪を描いて王子の周りを飛んでいた。
それはまるで燕のような動きだった。
王子はその後……流行り病が悪化し、その短い生涯を終えた。
国中が悲しみに包まれた。
そんな悲しみの中、王子を慕う者達は今までの王子への恩返しとして、なけなしの財産を皆が差し出して立派な像を作る事を決めた。
隣国には邪悪なドラゴンを倒した純銀の英雄像がある。
その英雄の像に負けない立派な物を作ろうという気持ちで、国民の心は一つになった。
そして国中の金銀財宝が集められ、一流の職人がその財宝を一つの像にちりばめた素晴らしい像が作られた。
そしてあと数日で像が完成するという時、その街に一人の男が現れた。
男はみすぼらしい姿で、全身焼けただれた醜い身体だった。
剣を杖代わりにして男は身体を引きずりながら歩いていた。
男のおぞましい風貌に街の人達は誰もが近寄ろうとはしなかった。
しかし一人の少女はその男に優しく声をかけた。
「おじさん、だいじょうぶ? いたくない?」
男に声をかけた直後、少女は年配の女性に引っ張られるようにその場から連れ出された。
男は再度一人きりになってしまった。
街の噴水の縁石に座った男はその場に座り続けた。
辺りが暗くなり人通りが無くなった時、少女は再び男の前に現れた。
「おじさん、これ食べて」
「……あり……がとう」
男は差し出された食事を涙を流し、鼻水を垂らしながら味わっていた。
「おじさん、行くところないならおうちにきたらいいよ」
「だが……オレは……」
「いいからついてきて」
少女は家に男を連れて帰った。
「うーむ、気持ちは分かるが、かわいそうだけで泊めるのもなぁ」
「お父さん、おねがい」
少女の父は娘に根負けして男を家に泊める事にした。
次の日、父親は像を仕上げに入っていた。
少女の父親は幸せの王子の像を作る職人だったのだ。
「旅の人、その剣立派だね。もし良ければその剣見せてくれないかな」
「これ……ですか」
男は剣を職人に見せた。
職人は剣を引き抜くと一言いった。
「これはひどい。ここまで錆びついているボロボロの剣なんて」
「……」
男は返事できなかった。
「こんにちは、像の出来はどうですか?」
職人の家に沢山の人が集まってきた。
「はい、ほぼ完成です。後は純金の心臓の部分を作って埋めるだけです」
人々から歓声の声が上がっていた。
「ところでそこの男は誰なんだい?」
「昨日うちの娘が怪我しているから、泊めてほしいって言っていた男だよ」
「アンタもこの国の人間なら何かこの王子の像の為に宝を差し出す気はないのか?」
男は少し考えこんだ後、懐から灰色の塊を取り出した。
「今のオレの持っているのはコレだけだ……これがオレの誇りだ」
「はぁ? こんな鉛の塊が誇りだって?」
集まっていた人達は大笑いしていた。
いたたまれない男はその場を静かに立ち去った。
「では今晩にはこの像が完成するんですね。いよいよですね」
「はい、この国の象徴ともいえる立派な像が完成します!」
集まっていた街の人達は解散してそれぞれの家に帰っていった。
誰もいなくなった後、職人は黄金の心臓を作る為ふいごに火を入れた。
そしてしばらくの時間が経った。
王子の黄金の心臓がもうすぐ完成という所で、仕事の疲れの溜まっていた職人はついウトウトと眠りについてしまった。
「火事だー!!」
「何だって!?」
なんと、ふいごからの火は辺りに燃え移り、職人の工房でもある家は、火に包まれていた。
なんという事だ、この火から像を守らなくては!
男は幸せの王子の像を抱えると、工房から飛び出した。
そのおかげで像は傷一つ無く外に運び出す事が出来た。
しかし、職人の娘は大火の中に取り残されていた。
「お父さーん、助けて!!」
女の子は家の二階のベランダで泣き叫ぶだけだった。
ベランダからは子供一人で飛び下りたら助からない高さだ。
しかしもう建物は火に包まれていて、誰も彼女を助けられない。
誰もが少女の天国への旅を祈ろうとしていた。
その時、みすぼらしい男がたった一人で戻ってきた。
「こんな火、あのドラゴンの息に比べれば!!」
「お前どうするつもりだ、死にたいのか!!?」
「オレはあの子を助ける! 止めても無駄だっ」
実はこの男、隣国の邪悪なドラゴンを倒した英雄だったのだ。
戦いの中で傷つき、二目と見れない姿になった男を隣国の王は追放した。
しかし、ドラゴンを倒した功績だけは英雄として、健全な時の姿で像に残された。
英雄は止める人々の声を振り切り、猛火の中に飛び込んでいった。
「ウォォォオオオッ!! 業火よ、割れろォ!」
男はその燃え盛る火炎を、錆び付いた剣を振るい真っ二つに斬り裂いた。
「おい、無事かぁ!!」
「た。助けてー!!」
「ああ、もう大丈夫だよ」
英雄は燃え盛る火炎の中から、職人の娘を助け出した。
燃え盛る火炎の中から少女を助けた男を罵る者は、もう誰一人としていなかった。
英雄は街の人達に手厚く迎えられた。
「是非とも貴方の持つ一番大切な物をお譲りください。この幸せの王子の像にはあなたの持つ勇気を宿らせたいのです」
「オレの持つのはコレだけだ。それでもいいのか」
英雄の差し出した物、それは邪悪なドラゴンの心臓だった。
魔力を失ったドラゴンの心臓はタダの鉛の塊になってしまったのだ。
「これでお願いします、この像にはこの勇気ある貴方の気持ちが一番必要なのです」
職人は鉛を心臓の形に加工し、王子の像に埋め込んだ。
こうして幸せの王子の像は完成したのだ。
だが、その像はもうここにはない。
老婆は像の壊されたのを見届けて、その後静かに永久の眠りについたのだ。
天使たちは神に命じられ、この世で最も尊い物を持ってくるように言われた。
そして持っていたのは英雄の勇気を宿らせた鉛の心臓と、一羽の燕の死骸だった。
だが……この物語を知る者はもう誰も……いない。