01:白川夏美①
まだ五月だが、肌をなでる冷たい風が気持ちいいと感じながらこっそりと学校に持ってきたゲームを手にして、屋上に入ってくる扉で出来上がっている出っ張っている、屋上よりももっと高い場所に寝転がっていた。
寝転がっている横にはカバンとスマホを無造作に置いて、カバンの中には大事なものもしまっていることはここに来た時に確認していた。
別にエロ本とか、そういう男の子の大事なものではない。男の子の大事なものという時点でアウトな感じがするが、どうでも良いか。
「くぁ……」
今現在、僕はゲームのレベル上げをしているから睡魔が襲ってくるけど、それを乗り越えてこそのゲームだ。ゲームが何もかも楽しいわけがない。時間をかければかけるほど、それに愛着がわいてくるものだ。
それにしても、ゲームをするのにそこそこいい気温になってきている。僕としては真夏にクーラーをガンガンつけてゲームをやるのか、真冬にコタツに入りながら寝転がってゲームをやるのか、どちらが良いのか脳内議会で決着がつきそうにない。
残りの春と秋は、気温の変動が大きいからあまり好きではないけど嫌いでもない。春なら寒さから暖かさに移り変わる瞬間、秋なら暑さから涼しさに移り変わる瞬間が何とも言えない季節を感じる。
そんなことはどうでも良くて、僕がスマホを手にした瞬間にスマホに着信音が鳴った。その着信音はダース・ベイダーのテーマ曲、帝国のマーチだ。僕の心境としては、この着信音がピッタリだ。中々この着信音にピッタリだと思われる人はいない。誇っていい。
スマホの着信画面は見るまでもなく『裏ババア』と書かれていた。ババアは好きだけど、このババアだけは僕の射程範囲には入らない。そもそも年齢を重ねるごとに好きな異性の年齢を上がっていくのか疑問でならない。
そう考えている間にも着信音は鳴り続いている。だから赤くなっているボタンを不意に押してしまった。そしたら何と音が消えた。ふむ、便利なボタンだ。
すると案の定、再びダース・ベイダーの着信音がスマホから流れてきた。もう一度便利なボタンを押そうかと思ったけど、これ以上はさすがに怒られるな、うん。怒られはしないか。
ため息を吐いて緑のボタンを押した。
『Hey Looker! What's up?』
「黙れ」
女性が流暢な英語で話しかけてきたのを聞いた瞬間、僕は即座に電話を切った。まさか海外から電話が来るとは思わなかったなどこかから電話番号が流出しているのかもしれない電話番号を変えないと。
いや、もう現実逃避はやめよう。下手をすれば最悪の事態、金髪グラマーで絶世のアメリカン美女が僕の家に到来してしまう。そんなことは許してはならない。
「……はい」
相手にも声音で分かるくらいに嫌な〝はい〟で電話に出た。電話口からはそんな声音など分からないと言わんばかりの明るい声音の日本語が聞こえてきた。
『いきなり電話を切るなんて酷いじゃない。好きな子に意地悪でもしたくなった?』
「ははっ、子というレベルではないでしょあなた」
『うふふっ、それも意地悪なんでしょう? もう、そんなに私に会いたいのかしら?』
「ははっ、そう聞こえました? ならしっかりと言ってあげますね? おばあちゃん」
『そう言えば、日本に行く用事があったような気がするわね』
「ごめんなさい、調子に乗りました。お姉さま」
『うふふっ、分かればいいわ』
毎回毎回こんなやり取りを僕の方から仕掛けているから、何とも言えない。だけど言わなければ気が済まない。あわよくばメールでのやり取りにしてもらいたいものだ。でもおばさんだからメールが使えないんだろうな、うん。
「それで?」
『言わなくても分かっているでしょう?』
「あぁ分かっています。だけどあなたはそれを伝えた後も一定時間は絶対に会話を続けようとするから嫌なんですよ」
『良いじゃない。一日一回くらいなら許して?』
「一日一回なら良いですよ、いやダメですけど。あなたは一日三回です。嫌がらせですか?」
『あなたの声が聞きたいのよ、それじゃあダメ?』
うわ、あの年齢なのに可愛く言ってくるから少し痛さを感じる。鳥肌が立った。
「ダメですね。それよりも海岸の倉庫です」
『ありがとう、助かるわ。急いでるようだから、これで切るわね』
「それはどうも」
『それじゃあまたね』
「また」
俺はスマホを耳元から離して電話を切って一息つく。
この人と会話するのは疲れるの一言しかない。あれがあの人の普通なのだろうけど、僕が慣れるのにはまだ少々時間がいる。あれに慣れることに異常性を感じてしまうが。
スマホをコンクリートの床に置いて寝転がってゲームを始める。この時間もまた無駄にはしたくない僕である。だけど、その前に時間が来てしまった。ゲームの音を切っているからここに来る人の足音が聞こえてきた。
「……妖怪かよ」
足音と水が落ちる音が同時に聞こえてきている。何かこういう妖怪がいた気がするが、今は置いておくことにする。
屋上に出てきたのは、つむじからかかとまで全身が濡れてシャツの下の水色の下着が見えている女子生徒であった。肩まである染めている金髪の先から水が地面に落ちている。
まだ水浴びするほど暑くはないとは思う。それ以前に制服着たままするのか、それは人それぞれではあるけど、僕はしない。服を着たまま濡れるとあの服が張り付く感じが好きじゃないんだよなぁ。
決して僕が服を着たまま水浴びをしているわけではない。雨に打たれただけだ。でも雨に打たれるのと水浴びするのは一緒なんじゃないか……? 結局濡れてるし。
まぁ冗談はさておき、ずぶ濡れの女子生徒は俯いたまま彼女より高い屋上フェンスに近づいて行く。雰囲気だけでも分かる、これから自殺しますよと言わんばかりだ。
どういう雰囲気かと言えば、屋上フェンスに手を置いて下を見ている。ここで人がゴミのようだ! と言えば僕はもう黙って帰ろう。彼女のために。
当たり前のように、そんなことは言わずに彼女は屋上フェンスの耐久力を確かめているのか、引っ張ったり押したりしている。さらには屋上フェンスの足をかけようとする。
彼女が屋上フェンスを業者張りに確認している間に、僕は格好良く登場するために縁に座って足を組む。これはかなり決まっていると自画自賛して少し格好いい声で言葉を発する。
「屋上フェンスとセックスでもするのですか?」
僕の声に肩をビクつかせて振り返って周りを見渡した後に視線を上にあげて、今にも死にそうな顔をしている女子生徒が僕を見つけた。
「そんなに屋上フェンスが好きでベタベタ触っても、屋上フェンスとするのはおススメしませんよ」
「……まだ、屋上フェンスとした方が、マシ」
僕の下品な発言を聞いてもそのまま返せるくらいには心が疲弊しているようだ。僕がここにいなかったらフェンスと一緒に心中しそうな勢いだ。フェンスは死なないからフェンスに罪を着せるつもりなのだろうか。
「それにしても、まだ真夏でもないのに水浴びでもしたのですか?」
「……別に」
「それともトイレに入っていたら上から水を浴びせられました?」
死にそうな顔だった彼女は僕の言葉で驚いた表情に変化させて僕の方を見た。
「トイレで浴びる水はどうでしたか? 気持ち良かったですか?」
「……最悪」
「それは聞いてよかったです。僕はトイレで水を浴びようとは思いませんから聞いてもどうでも良いですけど!」
僕に死にそうな顔であるけど鋭い視線を向ける彼女に少し身震いした。だけど、僕の心のどこかでは喜んでいる部分が……まだないな。
「おぉ、怖い怖い。そういう表情を水を浴びせたり私物を燃やしたり体を好き放題触ってくる奴らに向けたらどうですか?」
「……別に、あんたに関係ない」
「確かに僕には関係ないです。だけどそこで死なれると迷惑なんですよ」
「私が、どこで死のうとそれこそあんたには関係ない」
「大有りですね。在学中の学校で自殺した生徒が出て、迷惑がかからないと、関係がないと言えると思いますか? 面白い冗談を言いますね。そんな楽観的な考え方ならあなたは自殺せずに済んでいるのに」
「――たに」
「もっとハッキリと言わないと分かりませんよ? あぁ、すみません。ハッキリと言えないからそうやって自殺しようとしているんですね。拡声器でも持ってきたらいいんじゃないんですか? それでもあなたには――」
「あんたに何が分かるのよ!」
彼女は喉が枯れそうなくらいに大きな声と共に死にそうな顔から初めて怒りの表情に変わって僕は言葉を止めた。そこから彼女の悲痛が言葉に乗せられてこちらに来た。
「私が受けた苦痛を受けたことがないあんたが勝手なことを言わないで! 高校デビューをしてトップカーストに入ってリア充になれると思っていたのに入ってみればパシリにされて遊び感覚でイジメられる毎日なんて望んでいなかった!」
「でもあなたが選択したことじゃないですか」
「だって、そんなことになるなんて、分かるわけないじゃん……」
彼女の瞳に涙が溢れて頬に流れていく。
それは確かにそうだ。未来を見れるか、それを経験していなければ分かるわけがない。だけどわざわざ高校デビューする理由が僕には分からない。どうせふわっとした感情だけでデビューしたのだろう。
別に高校デビューするのが悪いわけではない。だけど高校デビューが偉いかと聞かれれば、それは決して頷けない。無理しなければデビューなんて言わない。そんなしんどい人生、面白いのか。
「それで? 高校デビューしてパシリになってイジメられて自殺しようと決心したと。……ぷ、はははっ! ありきたりで笑いが止まりませんね! 物語ならもう少し捻りを入れてきますよ」
「なっ……」
僕が突然笑い出したことに彼女は信じられないという表情をしている。
そんなに信じられないと思うだろうか。僕からすれば自殺する方が信じられないと思っている。まぁ、その人生は人それぞれだから生きるも死ぬもその人次第だ。他人にそれを委ねてはならない。
「あぁ、面白くない話なのに一周回って笑ってしまった。次はどんな面白くない話をして笑わせてくれますか?」
「……さい」
「もう、また言わないといけません? ハッキリと言わないと分からないって件を」
「うるさいっ! あんたが笑うな!」
「どうせ良いじゃないですか。これから死ぬのならどれだけあなたのことを笑っても、あと数分後には無となるんですから」
「私のことを知らないあんたが、笑うことだけは許さないんだからぁっ!」
また涙を浮かべながら僕のことを睨みつけて彼女は叫んでいる。
だけど彼女は分かっていない。僕は彼女が自殺をやめない限り笑い続ける。あぁ、この時間でゲームがどれくらいできるのか。
「これから死に行く人から許されなくて良いですよ。ほら、早く飛び降りればその怒りもなくなりますよ? それから笑い種として広めてあげますから。『高校デビューに失敗した女子高生、自殺する(笑)』って。心配せずに逝ってください」
僕のその言葉がきっかけで、彼女は怒りの血相をして強い足音でこちらに一歩ずつ歩いてくる。そして梯子を上ってくるその音も大きく聞こえる。
まぁ、言い過ぎたとは思っている。でも自殺を止める人の方法なんて対して知らないから適当に煽ってみた結果がこれだ。今から謝っても意味がないと思うから、ニヒルな笑みを浮かべておこう。
「あんたみたいな変わろうとしない陰キャに、何かを言われる筋合いはないわよ!」
「ぶへっ!」
登ってきた彼女に頬をグーで殴られて僕は倒れ込んだ。
いや、グーはないだろ。せめてチョキ。そして痛い。思いっきり殴ってきたのが分かる。父さんと母さんにしか殴られたことがないのに! それは当たり前か。
「私が! どれだけ辛かったのか! 分からないくせに!」
「ぶっ、ぐっ、ちょっ、うまっ、のりっ⁉」
彼女は倒れ込んだ僕に馬乗りになって僕の顔面を躊躇なく殴っていく。しかもグーで。せめてチョキ。
馬乗りになるなら僕のお腹じゃなくて股間の方が良かったな。でもたった一つだけ言いたいことがある。
「ちょっ、ちょっと待って!」
何度も何度も殴り続ける彼女の超手首を両手でつかんで止めるけど、女子生徒から思うくらいに力が強くて止めるのに一苦労する。
「一つだけ言わせてもらっても良いですか?」
僕が問いかけにまるで答える気がないと言わんばかりに彼女は手の力を強めて再び殴ってこようとする。
「今のあなた、とても臭いですよ? ですからあまり近づいてこないでください。馬乗りになっている今はとても最悪の気持ちです」
「それは良かった。それじゃあこの花のJKがそこそこある胸を押し付けてあげるから感謝してよね」
「や、やめろぉぉッ!」
あろうことか彼女は上半身を僕の方に向けて倒してきた。ちょうど僕の顔が彼女のそこそこある胸に当たるようになっている。
だけどそんなふざけたことはやめてほしい。僕が必死につかんでいる彼女の手首を僕とは違う方向に押しているけど、彼女が上にいるから全く通用していない。
どんどんと臭さが僕に近づいてくるその事態に、焦りの表情が出てしまっている。そしてそれを見ている彼女の顔はあくどい笑みを浮かべているのは言うまでもない。
いやいやいやいやいや、それはないだろ! 僕は別に匂いフェチなわけではない。何ならトイレのにおいがする女性に近寄られて股間にテントを立てる男はそこまでいない。いないわけではないだろ、たぶん。
「はーい、JKのお胸だよぉ」
彼女の胸の谷間に僕の顔がすっぽりと収まった。僕の中にある感覚は嗅覚しか感じられなくなっていた。それほどまでに強い臭いが僕の逃げ道を防いでくる。
「さっきまでバカにしていた女のくっさぁいお胸に包まれてどんな気持ち?」
あぁ、もう臭すぎて気絶した方が良いだろ。でも気絶できないのが現実だ。彼女は彼女が満足するまでしておくつもりだろうが、こうなれば毒を食らわば皿までだ。
「きゃっ! ちょ、ちょっと⁉」
僕は彼女の手首から手を放して彼女の背中に腕を回す。そして思いっきり彼女のお胸さまを僕の顔に押し付ける。
臭いって、慣れると思うんだよね。おならとか臭いと思ってもすぐに臭いが消えている。いや、あれは本当にどこかに行っているだけだ。生ごみとか普通にいつまでも臭いもん。
だけど、自分の体臭が何も感じなくても他人から言わせれば臭いと思われている。僕の枕大丈夫かな。
とにかく、これを身近な臭いだと脳に刷り込めれば何とかるんじゃないのか? 知らんけど。無理だろうけど。絶対に無理だろ。
それなら母親のにおいだって何とも思わないという理論だ。普段は思わないけど、たまに少しとか思う時はあるからこの毒を食らわば皿まで作戦は無駄に終わる。
「ちょ、ちょっとぉ……、は、放しなさいよ……!」
せめて、花(笑)のJKのお胸さまの感触は覚えておこうと頑張るけど、まぁ臭いが邪魔して無理だよね。嗅覚が頑張ってくれている。もうそれは犬並みに。犬並みなら花の女子高生の匂いも嗅ぎ取ってほしいものだ。
「……うぷっ」
「……えっ、ちょっと、じょ、冗談よね?」
あぁ、何だかとても気持ちが悪い。どれくらいかと言えば吐きそうなくらいに気持ちが悪い。ていうかもう吐きそうで首くらいまで来ている。
仕方がないと言えば仕方がない。体をイジメ過ぎた結果吐くのなら甘んじて受け入れよう、彼女と一緒にな。
もうこれ以上ないくらいに吐いてやろう。そのためにはこの臭さを精一杯体の中に取り込まないといけない。もう酸素以上に。
「えっ、ねぇ、謝るから、謝るからね、放してくれない?」
どうやら彼女は僕と一緒に地獄の道に行くことを選んでくれたようだ。そうじゃないと僕が浮かばれない。
「うっ……」
「や、やめてやめてやめて⁉ 冗談よね⁉ そうよね⁉」
「ぉぇ」
「今日出会った男の嘔吐物なんて浴びたくない! 浴びるなら妥協どころで絶世のイケメンしかないって! こんな嫌味しか言わない男の嘔吐物なんか浴びたくないのよぉ!」
僕の嘔吐を促してくれる彼女の揺らしがより一層僕の嘔吐に加速をつける。本当に受け入れてくれているな。
まぁさすがに自殺願望者とは言え、同級生をゲロまみれにさせるのは鬼畜の所業だからいい加減に放してあげることにした。
「ひぃっ!」
僕が腕を放すとすぐに彼女は小さい悲鳴をあげながら尻もちをついて後ずさる。僕はと言えば本当に吐きそうになっていたから新鮮な空気を吸って気分を落ち着かせる。
ふぅ、口の中が酸っぱい。本当に吐き出す一歩手前まで来ていた。それもそれでアリだと思っている僕はおかしいのだろうか、うんおかしい奴だ。自覚できて良かったね。
「ふぅ……、それであなたはこれから自殺するつもりですか?」
「……ううん、何だかバカらしくなってきたから今日はやめる」
落ち着いた僕が真剣な眼差しでそう問いかけると、彼女はどこか疲れた表情をして首を横に振って否定した。
「あなたはどうしたいんですか?」
「えっ?」
「あなたはこれからどうしたいんですか? これからまた自殺に追い込まれるいつも通りの日々に戻りたいのですか?」
「……そんなわけ、ないじゃん。あんな日々に戻りたくなんかない……!」
それが良いと言う人はよほどのドMだと断定できる。あだ名はサンドバックだな。
「だから自殺するのですか? その日々から逃れるために」
「……そうよ」
「もう一回笑った方が良いですか?」
「殴られる覚悟があるのなら、好きにすれば?」
「それならやめておきましょう」
もう少し余裕を持って生きて行かないのだろうか。笑われたら一緒に笑い返すくらいには余裕を持たないと。僕なら笑っている相手の鼓膜が破れるくらいに大声で笑ってやるけど。
「転校とか、不登校とか、自殺する以外の道は考えないのですか?」
「……無理よ。私の親はそれを許してくれない。校則で許されているのにこの金髪に染めた時だって一晩中言い争いになったくらいにお堅い親だもん」
「それはそれは親ガチャに失敗した挙句イジメられるようになった女子高生がここにいたとは。笑って良いですか?」
「勝手に笑ったら良いわよ。でも笑ったら殴るから」
「もう、今更暴力系ヒロインは流行りませんよ? ビッチ系の方が受けると思います」
「分かった、あんたは殴られたいからそう言っているのよね? そうとしか考えられない。そうじゃなかったら頭がおかしい」
「今更気が付きました? でも、あなたをイジメている人を見ていれば、僕なんか可愛い方だと思いますよ?」
僕がそう言うと彼女は黙り込んでしまった。
このまま黙っていても彼女から話しかけてくることはない。だから僕は彼女に用件を言って早々に帰ることにする。
「もし、あなたが彼らに復讐したいと言うのなら、お手伝いをしてあげましょう」
「……なんであんたが?」
「そこら辺は気にしなくて良いんですよ。僕から提示できる復讐の手段は二つ。一つ目は奴らを同じ目に合わせて自殺させること」
「なっ……!」
「二つ目はあなたをイジメている悪事を暴いて社会的に殺すこと。この二つなら、復讐のお手伝いをしてあげます。どうしますか?」
彼女は再び黙ってしまった。だけど僕を見て怪訝な視線を向けている。
確かにいきなり出てきたモブキャラに何かできるわけがない。それに何か裏があるのではないかと思うのは当たり前の思考回路だ。
そんな奴が出てきたら、僕だったら無視して帰っている。何なら不審者として録音してネットに流してやろうか。助けてあげているのに何だよその鬼畜の所業。
「とりあえず、僕ができることはその二つです。そして今僕が提示できるものはこれだけです」
僕はカバンから取り出したカメラを彼女の前に出した。それを怪訝な目をしながら恐る恐る手に取った彼女。
「……カメラをくれるってこと?」
「それは別にあげますけど、そういうわけではないです」
「それじゃあ、あんたの写真を撮ってネットにばらまけってこと?」
「オーケー、あなたが僕と同じようなクソみたいな思考をしていることはよく分かりました。そうじゃなくて僕が言いたいのは中身です。説明が足りなかったみたいですね、あなたがそんなにバカだとは思いませんでした」
「あ? あんたの説明不足じゃん」
彼女は鋭い視線を僕に向けてカメラの中身を確認する。
「……えっ?」
「どうで……、やっぱり臭いな」
中身を確認して驚愕の表情を浮かべる彼女が見ているカメラを覗き込もうとしたが、彼女が臭くて近づけなかった。
ていうかあんなにくっついていた僕に臭いが移っていてもおかしくない。試しに制服をにおうとかなり臭くなっていることに気が付いて顔をしかめた。
最悪だ。まだ予備の制服が十着あるけどこれを着て家に帰らないといけないのか。何が最悪かと言えば、こんなに臭かったらゲームを触ることができないからだ。ゲームに罪はない。僕の臭いという名のカルマを一緒に背負わせるわけにはいかない。
「十分あんたも臭いから」
「ははっ、あなたよりマシですから。何ならあなたは下水から出てきても何も変わらないですよ?」
「あんたもね。それよりもこれはどういうこと?」
彼女は瞬時に僕の胸倉をつかんで座っている彼女に視線を合わせられる。僕は膝をついて彼女の顔の横に顔を無理やり近づかされた。臭さに顔をしかめるが、彼女の手に持っているカメラに視線を移す。
当然僕はそれを知っている。僕と彼女の視線の先には、彼女が複数の女子生徒に殴られたり物を壊されたりしている映像が流れている。
うわ、どうして同じ人間にこういうことができるのか不思議でならない。こういう道徳を真面目に受けていない奴らは、人にやられて嫌なことはやらないということを知らないのだろうか。
いや、それを分かっていてやっていたのなら、サンドバック予備軍なのかもしれない。人にやられて嫌なことではない、つまりは自分たちもそうされたいと。うん、ないな。絶対にやられたらキレるだろ。
「どういうことと言うのは?」
「……どうしてあんたがこの映像を?」
「どうしてって、だから言っていますよね? お手伝いしてあげますって。これはいわば手付金です。これ以外にも彼らの悪事を僕は握っています。僕についてくれれば、あなたの望むようにしてあげます」
「……あんた、何者?」
彼女がそう言って僕の胸倉を放してくれた。僕は服を直しながら答える。
「ただのゲーム好きです。それ以上でもそれ以下でもない」
決まったな。こうして決めゼリフを言いたいのが男子高校生の心情というものだ。ただ、相手が意味が分からないという表情を浮かべていることは無視するに限る。
「これは僕のコネクトのIDです。今日中に地獄に残るか地獄を消すか、連絡をください。あなたにはもう選択肢はないと思いますけどね」
僕はメッセンジャーアプリのコネクトのIDが書かれている紙を彼女に渡した。彼女はそれを素直に受け取って僕の顔を見る。
「……もし、あんたにあいつらを自殺に追い込んでほしいって言ったら、そうしてくれるの?」
「はい、全力でそうしましょう」
「そうしたら、私は何を対価にすればいいの? まさかボランティアでやっているとか言わないわよね?」
「まぁ、そうですね。でもあなたが支払えない物ではないのでは気にしないでください」
「私の体、とか、あんたの恋人になる、とか言わないでしょうね?」
「ははっ、あなたにそこまで価値があるとでもお思いですか? ……ふっ」
「よし分かった。あんたには地獄を見せてあげる必要があるようね」
僕が鼻で笑ってあげると彼女は満面の笑みでこちらに近づいて来ようとするが、僕はすぐさま後ろに逃げて距離を取る。
さすがに二度目は面白くないな。今度は全裸になってくるとか、そういう同じシチュエーションでもどこか違うことをしてほしい。来てほしくはないが。
「こっちも少し事情があるのであなたを助けているだけです。でも対価として彼らみたいにあなたのことを蔑ろにするつもりは決してありません。あなたの確固たる意志が必要なだけです。そこのところをよく考えて連絡をください」
僕の言葉に悩んでいる様子の彼女を尻目に、これで今日僕がすることは終わったから、カバンを持って梯子を下りようとする。
だけど彼女は僕の服の袖をつかんで僕のことを引き留めた。振り返ると彼女は自身がした行動に驚いているのか、驚いた表情を浮かべている。
そんな表情をされたらどうすれば良いのか。俺も驚いた表情をした方が良いのか。話が進まないから今はボケることをやめておこう。
「どうしましたか?」
「えっ、あの、えっと……その……」
「僕はどこにも行きませんから、落ち着いて話してください」
彼女の戸惑っている様子に僕はカバンをおろし、手を伸ばして彼女の両手を僕の手で包み込んだ。とても冷たい手であったが、とても柔らかい手だった。
こんな手で男の敏感なところを触られ……、頭の中もふざけるのはやめておこう。じゃないとそうでしか見れなくなってしまう。
「僕はここにいます。あなたもここにいます。何も焦ることはありません。ゆっくりとあなたの考えを聞かせてください」
人間が手を握るという行為は人とのつながりを実感できる行為だ。今だけは彼女の精神のために善人らしいことをする。
「……まだ、考えが纏まらない。だけど、今日中には答えを出すから」
「はい、それでお願いします」
考えではなかったけど、どう思っているのかを伝えてくれた分マシだな。ここで決めてくれた方が動きやすかったが、まぁそれを今の彼女に強いるのは酷な話だ。今日中に決めさせるのも酷だと言うのに。
「あの、まだ何か?」
さっきの会話でひと段落付いたはずなのに、僕が両手を放そうとしても彼女が放してくれなかった。
僕はいつまでも握っていたいと思っているけど、さすがにいつまでも握っているわけにはいかない。だけど相手が同じことを思っているのはこれはまさかの相思相愛なのか! ……勘違いきもっ。
「何か事情があるのですか?」
僕の言葉にこくりと一つ頷いた彼女。
「僕のそばから離れたくないのですか?」
「いやそれはない」
その言葉には即答で否定されて少し傷ついた僕であった。
「そうですか……、それならうちに来ます? 何だか家庭環境に難がありそうですから帰りたくないとか、そういうことですか?」
「……あんた、私のストーカー?」
「まさか。あなたが言っていたからそう考えただけです。あいにくと僕はここであなたの考えがまとまるまでいるつもりはありません。僕に付いてくるか家に帰るか、あと一分で決めてください」
「ハァ、そうやって女を急かす男は嫌われるよ?」
「そうですか。それならあと十秒で決めてください。十、九――」
「はいはい、付いて行きますよ。だからもうアホみたいなことを言うのはやめて」
「それは何よりです。それじゃあ行きましょうか」
体臭が同じ二人、うん、これはカップルに思われること間違いない。同時に変なあだ名がつきそうだ。でもお似合いだろう、僕は嫌だけど。
「そう言えば、あんたの名前は?」
「あなたは知らない人に付いて行こうとしたのですか?」
「知らないものは知らないんだから仕方がないじゃん」
「一応同じクラスですよ?」
「えっ? マジで?」
「えっ? マジですよ?」
「そう」
「あの、そんなに手を強く握って愛情表現をするのは良いんですけど、少し強いと思いますね」
「そう?」
「そういうことなら僕はとことん付き合いましょう。何なら抱き着くのもあって僕の手が潰れてしまいますからそろそろ勘弁してくれませんか?」
「言うことは?」
「あなたは前世も今世もゴリラゴリラゴリラだったんですか?」
その瞬間に僕の手が砕けるのかと思うくらいの痛みが生じて叫びもできなかった。
そんなに力があるならそれであいつらの頭を握り潰せるだろうと思いながらも僕はすぐさま謝った。
「ごめんなさい、あなたの心を傷つけました。これからはあなたを女性として真摯に接しますぅ!」
「ほんと? それなら良かった!」
屋上に来た時の死にそうな顔の面影はなく、彼女はとてもいい笑顔をしている。
彼女はもしかしなくてもSだろう。それは死にそうな顔をするはずだ。SにMが喜ぶことをしても快感は得られない。だけど僕はSでもMでもない。Gだ。いやGはやめよう。ゲーマーのGにしたけどGはゴキブリだな。
「僕は香山心です。とりあえずは今日一日はよろしくお願いします」
「私は白川夏美よ。何かしたら殴るから」