菜食主義者への批判が間違っている理由
〇契機
攻撃的な菜食主義者の一部は、食肉産業へのテロ行為すら辞さないほど過激だったりします。
そんな時に争点となるのは、菜食主義が正しいのかどうか。
でも、そのアプローチは正しいのでしょうか?
私自身は長らく、食事とは人が背負う業や原罪の一つであり、それらに向き合おうとしない菜食主義は疑問でした。
ようするに――
「食べる命を区別すればするほど、それは間違っていく」
でしょうか?
しかし、ある時に菜食主義者から――
これは善悪や道徳ではなく、個人の嗜好に属する問題だから譲れない
との主張を受け、初めて納得できました。
彼ら菜食主義者は極端なだけで、我々非菜食主義となんら変わらなかったのです。
〇まずは自分の嗜好を考える
私事ですが、基本的にありとあらゆる食べ物は――
少なくとも一度は口にしてから評価しよう
と考えています。
なので猪や鹿、馬、ガチョウ、雀、蛙、牛、豚、鶏、羊……と陸上だけでもかなりの品目。
そして日本人ですから海産物は挙げきれない数に。
余談ですが『蛙の出汁は五本の指に入る』とか『雀を獲る娯楽は納得』なんて感想があったり。
雀は丸焼きにして骨ごとバリバリと頂くのですが、それだと骨の髄まで! 一般的な食肉では再現不可能な旨味といえます。
好物にも『鹿刺』を必ず挙げますし、そこそこ変わっている?
(鹿は四つ足の刺身で最高峰! 嗚呼、いつかはエスキモーみたいにアザラシやセイウチも頂きたい!)
そんな食のアナーキスト気味なくせに、無理で試そうとしたこともない食材が!
ずばり犬肉!
これだけは考えたことすらありません!
もう生まれた時から切れ目なく犬がいる環境で、独り暮らしを始めてから犬を飼いたくて堪らないほどの犬派なんです!
犬は友達! 友達を食べるなんてあり得ないよ!
でも、それって――
個人の嗜好に属する問題じゃない?
菜食主義者が『生き物全般NG』なのと、私が『犬だけは無理』というのは、本質的に同じことです。
なので――
「生きるということは他の生命を殺すということで、なのに理由をつけて犬だけは駄目とか、むしろ命への冒涜であり云云かんぬん」
とか諭されても――
「うっせぇな! 嫌なものは嫌なんだよ! 俺に犬食を押し付けんな! ああ、見るのも悍ましいわ!」
としか返せません。
これを書いている間ですら、軽く涙目ですし!
なのに! それでいて猫は平気なんです。
いや、さすがに猫は食べたことがありません。
しかし、アフリカ辺りでは貴重な蛋白源にして御馳走だとか。
で、それを聞いても「ふーん」程度の感想しか!?
どちらかといったら嫌なので、おそらく一生猫を食べることはないでしょう。
猫派ではありませんが、実家では何匹か飼ってましたし、それなりに忌避感はあります。
でも、考えただけで涙目とはなりません。
しかし、私が『犬は無理』なように、『猫は無理』という方だっているでしょう。『犬と猫は無理』という方だっているかもしれません。
でも、それらを全員で掏り合わせ、一つの共通見解を得なくてはならないのでしょうか?
おそらく欧米人がイルカやクジラを忌避するのも、犬や猫のケースと似たようなものでしょう。
つまり――
『誰にだってNGラインはある!』
という、ごく簡単な話でしかありません。
なので――
『菜食主義者を変えようとするのは無駄かつ失礼』
でもあります。
だって説得されても好き嫌いは変わらないですし!
〇なら菜食主義者のテロは正しいのか?
もちろん一から十まで間違っています。
なぜなら大原則である――
『自分の基準を認めさせるのなら、相手の基準も認めねばならない』
に反するからです。
まあ気持ちは分からないでもありません。
街のそこらかしこで――
犬食の実演をされていたら、下手をしたら気が狂う
かも。
しかし、『犬食は嫌だ、私は食べない』を認めさせるには、『俺は気にせず犬を食う』も容認せねばなりません。
お互いの権利を尊重してこそ、真の多様性というものでしょう。
※
でも、『この生きのいい犬は、ご注文があったら〆ます』とか『素人目にも何肉か理解可能な形での展示』は止めて欲しかったりも。
看板に犬の顔とか描いてあったら、焼き討ちすら視野に!?
そう考えると路上から確認できる生け簀とかも、実は罪深かったり?
※
『見えないところで』という要求すら、実のところ権利の侵害でしょう。
なぜなら『見たくない』というのは、つまるところ個人の嗜好ですし。
結局のところ――
『生きとし生ける者は、誰もが俺の基準に合わせるべき』
と言い出した時点で、その人に発言権はありません。
その人が菜食主義者だろうと、嫌菜食主義者だろうと関係なくです。
〇それでも若干のNGは残る
まず人肉食です。
馬鹿々々しすぎてNGに挙げませんでしたが、これも私は容認できません。
世間では胎盤食が論じられているそうですが、個人的にはラインを越えてたりも。
(もちろん他の方が実践されても、それはそれで問題ありません。でも、できれば見えないところでやって欲しいかなぁ)
根本的に人肉食を禁止するのは、道徳だと思います。
道徳問題に絡めて菜食主義を論じるのは、問題があり過ぎです。
※
ほとんどの菜食主義者への意見は――
「なら、貴方は人肉食すら認めるのか?」
で潰せたりします。
私は議論の勝ち負け重視を無価値と考えていますが、勝敗に拘ったら菜食主義に太刀打ちできません。
なぜなら非菜食主義は究極的に人肉食を認める他なく、かといって認めてしまえば異端に堕するからです。
ようするに道徳問題を絡めるのは、どちらにとっても益がありません。
……そもそも同じ道徳観なのかすら不明ですし。
ここまでデリケートで個人的な問題へ、善悪だの道徳だの社会通念だのを持ち出す相手とは、議論の価値すらないと思います。
そして若年層への強要もでしょうか。
いろいろな選択肢の中から菜食主義を選ぶのは個人の自由ですが、強要には問題しかありません。
現実問題として死亡事例もありましたし。
〇まとめ
・菜食主義というのは、個人の嗜好なんだよ
・あるいは個々人のNGラインだから、変えさせようとするのは失礼だよ
・それは菜食主義者側も同じで、他人へ要求をしたら駄目だよ
・子供に菜食主義を押し付けたら駄目だよ。最悪、死んじゃうよ
・どんな主義とか関係なくて、犯罪をしたら駄目だよ