後編
その声は大きくは無かったが、シンと静まった会場に笑い声が響いた。
「淑女失格です」とノアの指摘に、ペロリと舌を出して反省すると、その眉が顰められる。
馬車のお説教は確定した。ノアのお説教は長くて面倒くさい。
しかし、そんなお説教と天秤に掛けても、アレクサは今の状況が楽しくて仕方ない。
「……あら、失礼致しました。どうぞ続けて下さいな」
アレクサが扇を口元に隠して微笑めば、王太子がアレクサを不審者を見るような目で言う。
「其方は誰だ。私は其方を学園で見た事が無い。この国の貴族令嬢であればある程度把握しているが…記憶に無い」
王太子の指摘にアレクサは一瞬キョトンとして「ああっ!」と声をあげる。
「失礼いたしました!婚約者の卒業を祝う為に忍んで参加しておりましたので…」
アレクサはそう言って腕輪をそっと取り外した。
特色の無い平凡な容姿から、鮮やかな赤髪と翠色の瞳を持つ美しい女性に変化する。
メアリーは可憐な美少女。セフィリアは華やかな美少女。目の前に立つアレクサはそれを凌駕する。
艶やかでありその瞳は無邪気な少女のよう。そのアンバランスな様子に、王太子はゴクリと唾を飲み込んだ。
「――魔法具か…?容姿を変化させる魔導具など聞いた事が…」
「黙らんか!!愚か者!!!」
王太子が無自覚に頬を染めながら言いかけたところに、慌てた国王の声が響いた。
王太子は慌てた様子の国王に驚き、跪いたままのオリヴァーを見ると、彼はアレクサを見て愕然としている。
「オリヴァー…?彼女は一体…」
王太子の声は壇上から転がるようにおりてきた国王がアレクサの前に跪いた事で途切れた。
先程まで顔を赤黒く変色させていた公爵や、要職に就く貴族が国王に倣う姿を見て王太子は動揺する。
「…本日はいらっしゃらないと聞いておりましたが…」
国王の問いにアレクサは扇で口元を隠して目元を緩めた。
「ごめんなさいね。お祝いをしたくてお忍びで参加してしまいましたの」
パチンと扇を閉じて微笑めば、跪いたままの国王とオリヴァーの額から汗が噴き出す。
「折角ですからわたくしの事は気にせず続けて下さいな」
ふふ、と小さく笑うアレクサに国王は低頭するだけ。
国王は黙ったまま、その後ろに倣う貴族からも声が無い。
国王が跪く相手。そして普段冷静なオリヴァーが動揺している様子。
王太子は不安になりメアリーを強く抱き寄せた。「メアリーは私が護る。私の側に」と言うと、メアリーは何度か瞬きをしてニコリと笑う。そしてすぐにアレクサに熱い視線を送った。
「メアリー?」
王太子の声は、アレクサを見つめるメアリーには届かなかった。
「続けて良いと言ってますのに。ほら、オリヴァー様がセフィリア様に求婚なさいました。そのご判断を父王である貴方がしなくては」
アレクサは低頭するだけで返事が無い国王を見下ろしながら溜息をつく。
先程王太子の婚約破棄について威厳ある態度を示していたのは誰か。同じ男とは思えない。
「仕方ありません」と、アレクサは国王や重鎮の横を通り越して、跪いたままのオリヴァーの前に立った。
「わたくしは誰かしら?」
オリヴァーを見下ろしながら優しく問うと、アレクサを見上げたオリヴァーは口を開いた。
「エルファリア帝国皇帝アレクサンドル陛下でいらっしゃいます」
アレクサの正体を知った王太子と学生や貴族が目を見開く。
慌てて礼を執ったが、それには無反応でアレクサは笑みを深めた。
「それから?」
「―――畏れ多くも私の婚約者です」
「あら、きちんと分かっていらっしゃったのね。セフィリア様に求婚されていらっしゃったので人違いかと思いました」
無実の罪を課せられたセフィリアを庇うまでは良かった。何故アレクサが居るのにセフィリアに求婚したのか。
アレクサはそれが可笑しかった。
「それで、わたくしとの婚約も破棄致しますか?」
その言葉に最初に反応したのは国王で、真っ青な顔で床に額を擦り付けた。
「アレクサンドル陛下!この愚か者は私から言って聞かせます。どうか婚約破棄だけはっっ!!」
「この婚約は貴方がどうしてもと言うから引き受けてあげただけ」
アレクサは微笑む。
王太子より優秀な王子は国を揺るがす火種になりかねない。また皇帝の外戚になれる可能性に懸けてアレクサの婚約者とした。そう判断した国王の考えは一理あるが――。
「わたくしを馬鹿にしているの?」
凍るような一言に国王はガタガタと震え出した。
「――どうか陛下。私の首でお怒りをお収め下さい」
オリヴァーの真摯な瞳がアレクサを射抜くが、それには嘲笑で答えた。
「あら?貴方の首に何の価値があるのですか?属国の、それも第二王子の首で?」
「…価値はございません。ですが私が貴女様以外を想うのは、私ひとりの罪でございます」
「どうしましょう。だって皆様の前でセフィリア様に求婚なさいましたでしょう?オリヴァー様は死んでおしまいですが、わたくしは捨てられた皇帝と誹りを受けるかもしれませんし…」
アレクサは口元に人差し指を当て、こてんと首を傾げた。
「ああでも…セフィリア様の婚約が破棄されなければ、わたくしが辱めを受ける事はありませんでしたね。ではオリヴァー様の失言は…」
アレクサは視線を王太子、そして国王に移した。
「全部王太子と、それを許した国王のせい…ですわね」
静かに告げる声に動揺する国王と王太子にアレクサは大笑いしそうになるのを、ノアの眼力が制した。
「…属国の王が皇帝を辱めた…。ふふっ」
アレクサは目を細めて優雅に微笑む。
「ノア。わたくし、帰ります」
ノアはようやくかと、深々と礼を執った。
「皇帝陛下!!どうかお考え直しを!!!」
オリヴァーの叫びには答えず、クルリと踵を返して扉へ向かう。
開かれた扉を前にもう一度振り向いて微笑んだ。
「どうぞ続けていらして。これが最後の夜会になるかもしれませんから」
言葉の意味を悟った者達の表情が絶望に染まっていくのを、うっとり眺めながらアレクサは会場を後にした。