前編
「セフィリア・ローゼンシュタイン!其方との婚約を破棄し、ここに居るメアリー・バートを婚約者とする!!」
場違いな台詞が会場に響き渡り、アレクサは口に含んだシャンパンを吹き出しそうになる。
同伴者役として隣に控える従者ノアの刺すような視線を感じ、コホンと咳払いをしてから平静を装って声の主を見た。
(王太子じゃない!)
声の主が王太子である事に驚き、またその内容に落胆の溜息をついた。
婚約破棄は家同士の問題だ。少なくともこの場で発言すべき内容では無い。
今日は貴族が通うライトネル学園の卒業を祝う夜会。
この場には卒業生だけでなく、卒業生の家族や王族も参加している。アレクサもその一人で、婚約者の卒業を祝う為に参加していた。
(当たり前だけど、みな驚いているわ)
先程まで流れていた演奏は止み、会場の視線は王太子と婚約破棄を宣言されたセフィリア・ローゼンシュタイン公爵令嬢に注がれている。
王太子はセフィリアを睨みつけており、その腕に縋りつくようにしているのはサーモンピンク色の髪をした学生。恐らくメアリー・バートだろう。
涙目で王太子を見上げている姿は庇護欲をそそる。
対してセフィリアは華やかな美少女である。
背筋を伸ばし凛とした姿。内心動揺しているのだろうが、表情からはそれを感じさせない。
(セフィリア様!流石は淑女の鑑と言われている方!!とても素敵!!!)
アレクサが感嘆していると、ノアの視線が益々厳しくなる。「少しはセフィリア公爵令嬢を見習え」と、その目が無言で告げていた。
主人を主人と思わない態度に腹が立つが、今はそれどころでは無い。
セフィリアの実家ローゼンシュタイン公爵家は王太子の後楯だ。後楯を失う事が何を意味するのか少し考えれば分かる筈。それを判断出来ないほどメアリーに執心なのだろう。
だがローゼンシュタイン公爵家はそうはいかない。現に公爵は憤怒の表情を隠そうとしておらず、顔色が赤黒く変貌している。――正直怖い。
「殿下。婚約は王家と公爵家で取り交わした約束事。殿下の一存で反故にする訳には参りません」
セフィリアの声は平静そのもの。それが王太子を逆撫でしたのか、舌打ちする。
「セフィリア!!全ては其方のせいだろう。メアリーを虐めたお前は王太子妃に相応しく無い!」
あまりに陳腐な台詞に開いた口が塞がらなくなる――ところを隣から差し出された扇を受け取る事で周りから見られずに済んだ。優雅に扇を広げたところで、誰もアレクサの行動を気にかける者は居ない。強いて言うならノアの凍るような視線だけが痛い。
「虐め?男性に対する行動を諭した事はございますが…虐めとは何の事でしょう」
「ノートを隠したり、無視をしたり、婚約者として相応しく無い行動を繰り返した。それが虐めでなくて何と言うのだ!」
(そ、それだけ?!)
虐めは良くない。しかしセフィリアの話を聞く限り、婚約者である王太子に言い寄っていたのはメアリーだ。
それにセフィリアは筆頭公爵家の令嬢。ノートを隠すなど、メアリーを牽制する内容にしてはお粗末過ぎる。セフィリアが本気で行動を起こすならもっと上手くやる筈だ。
現にセフィリアは何の事だと僅かに首を傾げている。
「わたくしには覚えがございません」
「セフィリア!この期に及んでまだ言うか!!お前の罪はここに居るメアリーが全て話してくれたぞ!!!」
王太子は顔を歪めてセフィリアを怒鳴りつけた。
メアリーの言葉が全て。裏付けを取らないとは。
傍観者の一人でしかないアレクサは口を挟む事は出来ないが、王太子の盲信に落胆するしかない。
「殿下、わたくしは…」
「もういいっ!お前の言い訳など聞く価値も無いわ!!父上!この場で婚約破棄の了承を!!!」
そう言って王太子は壇上に座る国王を見上げた。
流石のセフィリアも、全く話を聞こうとしない王太子に戸惑う様子を見せた。
「お待ち下さい兄上!!」
王太子の弟オリヴァーがセフィリアをその背に庇うようにして立つ。
オリヴァーは王太子と同じ年の異母弟で、今日の夜会に卒業生として参加していた。
王太子と違い物静かで冷静な王子。そう称されていたが、オリヴァーの瞳には怒りが溢れている。
「兄上の仰る虐めは証拠があるのですか?!」
「メアリーの証言こそが証拠だ!!」
「なっ…!」
王太子の言葉にオリヴァーは目を見開き言葉を失った。
みるみる表情が曇るが、何とか冷静さを取り戻して声をあげる。
「…兄上。それの何が証拠だと言うのです?」
「お前はメアリーが嘘をついているとでも言うのか?!」
「セフィリア公爵令嬢は兄上の婚約者として立派に努めてきました。それは近くで見ていた私が一番良く知っています。彼女の婚約を破棄するならば、相応の証拠が必要です。一方の証言だけで彼女が貶められるのを黙って見てはいられません!」
「セフィリアはメアリーに嫉妬したのだ!私の真実の愛はメアリーにあるのだから!!私に愛されなかった女が嫉妬に狂った事が何よりの証拠だ!!!」
オリヴァーの背に庇われたセフィリアの表情がほんの一瞬切な気に揺れた。
恐らく学園生活の中で王太子の愛がメアリーにある事は知っていたのだろう。それでも婚約者として耐えていたのかと思うと、アレクサの胸が僅かに痛んだ。
「――ロバート。本当にローゼンシュタイン公爵令嬢との婚約を破棄すると言うのか?」
先程まで黙ったままだった国王の口から威厳のある低い声が発せられた。
「はい。私に二言はありません!!」
それを聞いた国王は大きな溜息をつくと、まず憤慨している公爵と一言二言交わした後、セフィリアに向かって語りかけた。
「公爵令嬢。この婚約破棄は其方に一切非は無い。王家から充分な補償をしよう。愚息がしでかした事を許して欲しい」
「…承知いたしました」
セフィリアは一切の表情を消すと、カーテシーでそれに応えた。
オリヴァーはセフィリアのドレスをつまむ手が僅かに震えているのを見てから、国王に向き直る。
「父上!」
そう言ってその場に跪いた。
「私は兄上とセフィリア公爵令嬢の幸せを願い、この気持ちに蓋をしてきました。もし兄上が彼女を選ばないのであれば私が彼女に求婚します!!」
突然の告白に国王だけでなく、王太子とセフィリア、そして周りも驚いている。
アレクサも一瞬言葉を失ったが、「愚かな」とノアの底冷えする呟きで我に返った。
(つまりオリヴァー様はセフィリア様に求婚した訳よね)
オリヴァーの発言を反芻したアレクサは、肩を震わせた。
堪えなくてはいけないと分かっていても、つい。
「ぷっ、ふふっ…。ふふふふっ」
笑ってしまった。