考え無しの断罪は、時間の無駄です
ある学園の昼下がり――
ここはデビュタント前の貴族の子女が学ぶ学園。
ランチを終え、多くの人がサロンでお茶を楽しんでいる所に、大きな声が響いた。
「ドロシア・ヘリング公爵令嬢! 貴女はこのリアーナ・マッカレル男爵令嬢へ数々の嫌がらせを行ってきた! 先日は暴漢を差し向ける等、看過出来るものではない!」
怒鳴り込んできたのは、王太子の側近候補の侯爵家次男のロイと、伯爵家次男のミック。二人の後ろには男爵令嬢のリアーナが怯えた表情で立っている。見る人によっては、庇護欲を擽られる風貌をしている。
飲んでいた紅茶のカップをソーサーに戻し、顔をその集団に向けるのは王太子の婚約者で公爵令嬢のドロシア。一緒のテーブルに居る王太子、ニコラウスに一度視線を走らせてから、一団に向き直り、呆れ顔を隠しもせず口を開いた。
「……はぁ。それで?」
明らかに馬鹿にした様子のドロシアに、一団の頭に血が上る。
「貴女は国母となる王太子妃に相応しくない! 殿下! ドロシア嬢と婚約破棄を!!」
「……ドロシアと婚約破棄をしてどうしろと?」
声を更に大きくし、ニコラウスに強く訴える。
こちらも呆れ顔を隠しもせず問いかければ、我が意を得たりとばかりにロイが口を開く。
「このリアーナ嬢が相応しいと思います!」
「そうか……。ドロシア、この者達の申し出は本当なのか?」
「ええ…細かい所は違うでしょうが、多分大枠で言いたい事は分かります」
一つ嘆息し、ドロシアに事実確認を行うニコラウス。
ドロシアは小首を傾げ、訴えを一部認める発言をする。
「自分で認めましたよ、殿下!」
「……暴漢以外は、ですが」
嬉しそうな顔で、自分達の訴えが正しいと口を開くロイ達は、ドロシアの続く言葉に顔を歪める。
「どちらにせよ、妃の器では無い!」
「一途に殿下を想い、純真無垢で天真爛漫なリアーナ嬢の様な者が殿下には相応しいです!」
自分の正義を振りかざし、ドロシアを断罪すると共にリアーナを薦める二人の言葉にドロシアが笑いながら反応する。
「純真無垢? 天真爛漫? ねぇ貴女、疲れない?」
「何を言うんです?!」
ドロシアの言葉に、後ろで小さく隠れていたリアーナが反応する。
「だって作っているでしょう? 演技、大変そうよね」
「演技なんてしていません! ひどいっ!」
涙を浮かべ、顔を両手で隠したリアーナの脇にはロイとミックが寄り添う様に立ち、ドロシアに嫌悪の表情を向ける。
「なんて性悪な事を言うんだ」
「自分の心根の醜さを省みるといい」
あまりにもな暴言を吐いている事には気付いていない二人に対し、ドロシアが口を開く。
「だって、本当に純真無垢なら同性の友人が多く居るはずよ? 天真爛漫なら尚更。でも、貴女の周りに居るのは殿下の側近候補のみ。選んで演技しているとしか思えないじゃない」
「そ…ちがっ…」
図星を指された事に青ざめ、ギクリと身体を震わせたリアーナだが、更に傷付けられたからだと思い込んだ二人は更にドロシアを責め立てる。
「何てひどい事を言うんだ」
「リアーナを貶めるなんて、悪魔なのか?!」
大きく息を吐いたニコラウスは、自分の正義に酔い醜くドロシアを責める二人に対して問いかける。
「……それで? お前達は何がしたい?」
「は……?」
感情を消し、冷たい瞳で問いかけるニコラウスに二人の口が止まる。
「私の婚約者をこんな公衆の面前で断罪して、何がしたい?」
「ですから、リアーナ嬢の方が殿下に相応しいと…」
再度問いかけられた内容に、言葉を詰まらせながら返答する。
「……どこが?」
「え?」
一度で質問を理解出来ない事に再度嘆息し、ニコラウスは噛み砕いた質問をする。
「ドロシアより優れている所はどこだ? どこが私に相応しいと?」
「心優しく皆に愛され、殿下を一途に愛します!」
自信満々にロイが口を開く。
「それから?」
「身分の貴賤なく自分の意見を言え、人の悩みに寄り添う事が出来ます!」
ミックもそれに続き、少し自慢げですらある。
「それから?」
「あ…と…」
アピールポイントが直ぐに出て来ず、二人は言葉に詰まる。
その様に、ニコラウスは溜息を吐く。
「ないのか? 随分お粗末な話だ」
「殿下?」
つまらない事を聞かされたとばかりの態度であるニコラウスに、ロイは眉を寄せる。
「嫌がらせを受けたと周りに泣きつき、自分の力では何も改善できない者が私に相応しいと?」
「あ……」
王太子妃、引いては王妃となる身として、自分で指示も出さず泣きつくしか出来ないならば、それは実力が無いと見做される。上手く周りを使えるのならまだしも、今の状況を見ればそれも出来ていないのは明白だ。
「成績上位者表でも名は見た事も無いし、マナーや所作が優れている様にも見えない。外国語は話せるか?」
「いえ…絵本程度が少し読める程度です」
ニコラウスに問いかけられたリアーナは答え、恥ずかしそうに下唇を噛む。
「話にならない。私が妃に求めるものは、共に同じ方向を見られる事だ。私が不在の時には代わりに指揮を取れる者だ。私の不足を補ってくれる者だ。……自分の事を自分で処理できず、私の手を煩わす事しか出来ない者は要らない」
「そんなっ」
リアーナは顔を上げ、縋る瞳でニコラウスを見るが、その瞳に自分が映っていない事に気付いてしまう。
「それに、ドロシアが行った嫌がらせと言うのもどうせ大した事ではないのだろう?」
「そうですわね…マナー違反を諫めた位でしょうか? リアーナ様は何かを言うとすぐ泣いてしまいましたから、大げさに伝わってしまったのでしょうね」
ドロシアが嫌がらせと言われた事を大枠で認めたのは、自分と話した後に泣かれた事が数回あったからだ。特に厳しい事は言っておらず、その時周囲に居た者たちに聞いてもらえれば潔白は証明されるだろう。
「なるほどな」
想定内の答えだったのか、ニコラウスは納得を見せる。
そんなやり取りに、ロイやミックは納得できない。
「それ以外にも、取り巻きを使って色々していたのだろう?!」
勝手な言い分を繰り返す二人に、ドロシアは問いかける。
「それがわたくしからの指示という証拠はありますの?」
「それは…」
特に証拠も無く断罪した事が見て取れる二人の様子に、ドロシアはやれやれといった表情を見せる。何故自分が程度の低い嫌がらせなどしなければならないのか、理解に苦しむ。
「リアーナ様は常に婚約者の居る殿方といらっしゃいましたし、他にも色々恨みを買っていたのでは?」
「ふむ。相手の居る異性に色目を使う方が、相応しく無い行動ではないのか?」
ドロシアとニコラウスの指摘に、二人の顔が強張る。
「うっ…それはっ、私たちが勝手に…」
どうにか絞り出した声には全く力が無い。
「ではお前たちは婚約者がいるにも関わらず、その娘に鼻の下を伸ばしていたと」
「ちがっ…」
ニコラウスの言葉に否定を返そうとするも、次いで発せられた言葉に顔色を無くす事になる。
「そもそも、私に相応しい者を決める権限がお前たちにあるとは知らなかった」
「それはっ」
そこまで深く考えていなかった様子の二人に、鼻で笑いながらニコラウスが続ける。
「陛下の決めた婚約者に異議を唱え、公爵令嬢たるドロシアに公衆の面前で恥をかかせる。なるほど、出来た側近候補だな」
「私たちは、殿下のためを思って!」
焦り、陛下の決定に異を唱えた訳では無いとアピールする二人に対し、平坦な声でニコラウスは言う。
「ああ、その話は別途王宮でしようか。当主達も含めてな」
「……は?」
「お前たちだけで済む話だと思ったのか? これは家同士の話になる。当主を呼ぶのは当たり前だろう?」
「いえ…その……」
自分の正義を信じ、殿下へのアピールにもなると勢い込んでいた二人は、家を巻き込んだ不祥事になると気付き身体に震えが走る。
「私はっ、この場所に連れてこられただけで! 関係ありません!」
必死の形相で、無関係であると言い始めたリアーナに対し、ニコラウスは冷たい目を向ける。
「ドロシアに嫌がらせを受けたと、暴漢を差し向けられたと泣きついたのだろう? どこが関係ないというのだ?」
「そんな事っ、言っていません」
明らかな嘘を平然とした顔でつくリアーナにニコラウスは、ほんの少しだけ図太さを褒めたくなったが、それはまた別の話。
「まあ、ここで何を言っても水掛け論だな。ドロシアの名誉の為だ、詳しい情報収集の後、お前たちを王宮へ招待するから屋敷で大人しく待っていてもらおうか」
「いや……こんな…」
三人にこれ以上ここで関わるのも面倒臭いと、ニコラウスは別途呼び出す旨を告げる。
全く思い通りにならなかった事に、三人は茫然と立ち尽くす。
それをよそに、ニコラウスは立ち上がりドロシアに手を差し出した。
「さ、ドロシア行こうか。だいぶ時間を無駄にした」
「はい。殿下」
ドロシアはニコラウスの手を取り、エスコートされるまま二人は護衛を連れ、その場を離れた。
「少しはふるいにかけるお手伝いが出来ました?」
サロンから離れ、喧噪も遠くなった頃ドロシアが口を開く。
「そうだね。でも、あんな場所で行動を起こさせるなんて、ドロシアにしては珍しいな」
「家自体としても少し問題のある方達ばかりでしたし、恩を売るにしても潰すにしても分かり易い不祥事の方が良いかと思いまして。でも、もう何人か減らしたかったのですが、あの場には現れませんでしたわ…」
読みが外れたと少し悔しそうな顔のドロシアに、ニコラウスの頬が緩む。
「流石にあの娘では力不足だろう? 他の者らはそこまで阿呆ではない」
「行動が分かり易過ぎでしたからね。でも、あれで天然物なんですよ」
ドロシアの言葉にニコラウスは目を見開く。
「ドロシアの仕込みでは無かったのか?」
「違うんですのよ。わたくしへの敵意を隠しつつ、演技が上手でしたので泳がせました。もし調教出来るのであれば、手駒にするのもよいかと思いましたの。…完全に凹ませてからの方が色々やり易いので」
すっかり仕込みだと思っていたニコラウスに、ドロシアは微笑みながら軽い説明をする。
納得したニコラウスは少しだけリアーナを不憫に思いながら、手駒として忠誠を誓うのなら、ドロシアの下に居た方が良いだろうと納得する。
「そうか。ではあの娘の処遇はドロシアに良い様に持っていこう」
「ありがとうございます。それと、彼女に関する報告書を後で届けさせますので、情報確認にお使いください」
ドロシアの思いを汲んで発せられたニコラウスの言葉に、ドロシアは満面の笑みで応える。
「有り難く使わせてもらうよ。そろそろ卒業だし、他の者達の選別も本格的に進めていかなければな」
「お手伝い出来る事があればなんなりとお申し付けくださいませ」
不穏な事を笑顔で話す王太子とその婚約者に、後ろに付いていた護衛はこの国の未来はある意味安泰なのかもしれない、と思ったとか。