第二講 純文学、バーサス、ライトノベル
【本日の講義内容】
・主人公の志望動機について
「あれ、ほんと驚いたよなぁ」
「なんてやつなんだ?」
休み時間、俺は俺が名指しで呼ばれるのを聞いた。それも、間近から。
それから特に何事もなかったが、あの後、しばらくクラスはその話題で持ちきりだった。声の主は誰だったのかとか、まあ、そういったところだ。
しかしその後、俺にはちょっと困ったことがついて回った。困るというか、現在の俺にとっては生き甲斐ですらある副業に関わる、非常な問題である。
時刻は放課後。高校でも俺は部活に入っていないので、椅子に座り、教室に残って学級の友達二人と駄弁っていた。とは言うものの、二人の話をただ傍聴しているだけだが。
山田と田中が、例の声の主について議論を交わしている。俺としてはもうその話は耳にしたくないというのに、こちらの事情などお構いなしに様々な憶測を立てている。まあ、こいつらが知るはずもないことだから、仕方ないけど。
「あれだったら、女子でもいける声だから、東光のことが好きなんじゃね?」
「いや、弟子入りって言ってたぞ? そうなると、そいつも小説を書いてて、東光に弟子入りしたいってことなんじゃないか?」
山田の推測に、田中が異論で返す。
目の前でそんなディベート的なことをされて、ちょっとばかり居心地が悪い。いつもの癖で残ってるけど、今日は帰ってもいいかな……? こいつらが気づかないうちに……。
と、その時。
「師匠! 東光師匠〜!!」
廊下から、トーンの高い少年声が響くのが聞こえた。
「来た!!」
俺は反射的に立ち上がっていた。
机の脇に置いていたスクールバッグを引っつかむと、
「悪い! 俺、先に帰ってるわ!」
と二人に言い残し、ダッシュで教室を飛び出す。
廊下を全速力で突っ走り、突き当りの階段を一気に駆け下りる。一階に到達すると、速度を落とすことなく昇降口を目指してさらに猛ダッシュ。
これで捕まることはないだろう。……そういう算段、のはずだった。
俺の横を、何かが疾風のごとく擦過した。まさに風を切って俺の身体を通り過ぎたそいつはある程度の距離まで俺を引き離すと、くるっと半回転し、股を開いてブレーキをかけつつ速度を落とす。
次いで廊下に片手をつき、完全に停止する。そしてバッと顔を上げ、体勢を元に戻した。
道を塞がれてしまった俺は、止まるしかなかった。俺が呆然と立ち尽くしていると、そいつはゆっくりと俺に歩み寄ってきた。
「……なっ、何だよ?」
「そろそろ、返答もらえると思って待ち伏せてたんだよ。それなのになかなか師匠が現れないから、こっちから迎えにきたよ」
「どこで待ち伏せてたんだよ! しかも何度も言うが、俺はお前の師匠になんかならないからな!」
そう、こいつが俺の悩みの種の根源――新米颯夏である。
休み時間になる度に俺の教室に来ては俺を外に誘い出し、「小説の弟子にしてほしい」と申し込んできた。無論、何度も断ったが、それでもこいつはしつこく俺に弟子入りを懇願してくるのだ。
この新米というやつの夢は小説家になることで、俺が小説家だと知ったことで、俺への弟子入りを決意したらしい。つまり、田中の憶測はわりかし当たっていたのだ。
紅茶色の髪は前髪が少し長めで、クリッとした大きい目は少年らしい顔立ちを助長させるのに一役も二役も買っている。身長はあまり高くなく、俺より十センチ以上低いんじゃないかと思うくらいだ。ちなみに俺は175センチくらいなので、160くらいだろうか。
成長途中の、あどけなさを残した少年という印象。おそらく、中学生だと言っても誰も疑わないだろう。
「ねえ、いいでしょう? 弟子にしてよ」
新米はすり寄るように、その顔を俺の眼前にまで持ってくる。
「嫌だよ。俺も暇じゃないんだ」
「じゃあ、今日だけ! 東光先生の家に行ってみたい!」
「なんでそうなんの!?」
マジで何なんだよ、こいつは。言ってることがイマイチよくわからん。
「俺も小説家志望として、先人からインスピレーションを受けたいんだ。東光先生が今日、家に連れて行ってくれるなら、弟子入りは諦めるから! お願い!」
少年は眼前で手を合わせる。
考えてもみてほしい。今日、初めて会ったやつを家に呼ぶやつがどのくらいいるだろうか。俺はある程度仲良くなったやつしか、家には呼ばないことにしている。警戒心が強いとか、そういう問題ではなく、常識として、だ。
新米は目をうるうると潤ませ、俺を見上げている。泣き寝入り作戦とは、小癪な。
俺は上手に断る方法はないかと、模索した。
……で、結局、連れてきてしまった。何やってんだ、俺。
自室の扉を薄く開けて、中を確認。見られて困るものは特にない。
「よし、ここが俺の部屋だ」
そう言ってから、やつを中に招き入れる。
新米は厚かましく部屋の中央までちょこちょこと来ると、そこにちょこんと座った。そして顔を上げて俺を見上げる。
「ねえ、師匠? お菓子とかは?」
「は?」
「お客さんにはまず、飲み物とかお菓子とか出すじゃない?」
いくら温厚な俺でも、さすがにキレそうになった。どこまで厚かましいんだよ、こいつは。感覚が違いすぎるっていうのかな、どうも腑に落ちない。もてなしてもらう側の態度とは到底思えない。
俺は駆け足で階下に降り、リビングの冷蔵庫から冷やしてあった麦茶の入った瓶を取り出すと、それをグラスに注ぎ、適当な駄菓子も添えて二階に持って上がる。なんて優しいんだ、俺!
部屋に戻ると、俺はまた、絶句してしまう。新米が本棚を勝手に漁り、その中の本を勝手に読んでいたのだ。
「何やってんだ?」
俺は盆を床に置き、新米から本を取り上げる。
「さっきから何なんだよ、お前!」
「師匠が普段、何読んでるのかなって思って」
「だーかーらー、師匠って言うな! ってか、これ……」
俺は改めてその本の題名を目にし、言うのを止めた。
新米が読んでいたのは、純文学だったからだ。
「お前……純文学が好きなのか? ラノベじゃなくて?」
「まあね、今はどっちも読んでるけど、最近までは純文学が多かったかな」
いつの間にか、俺は新米の前に座り込んでいた。黙ってその本を元の棚に返した。少し気にはなったものの、敢えてそれ以上その話題を深掘りしようとは思わなかった。それよりも。
「でさ……用件は何なんだよ。話があるから、ここに来たいって言い出したんだろ?」
「うん、お願いがあって」
「お願い?」
「俺を、弟子にしてください!」
「結局それかい! 帰れ!」
「お願いしますよ、師匠!」
やつは今度は両手をついて、土下座モード。あぁ、もう。やっぱり、こんなことなら連れてくるんじゃなかった!
「だから、俺はお前の師匠じゃないってば。俺も忙しいんだよ。自分で言うのもなんだけど、これでもプロ作家なんだからな? 原稿とか、色々やらなきゃならんことがあるのだ」
続刊とか新刊はまだ決まってないけどな、と心の中で付け加える。でも実際、そうなのだ。
新米は額を床に擦りつけんばかりに頭を下げたまま、静止している。と、思ったら。
ばっ! と起き上がりざま、レスリングのタックルさながらの動作で俺の腰周りに抱きついてきた。
「うわっ!」
俺は為す術もなく押し倒されそうになり、必死に受け身を取るがそれでも受けきれず、尻餅をつく。
新米は俺に泣きつくように、
「俺も、小説がうまくなりたいんだ!」
と、必死に訴えてくる。俺は半ば混乱状態に陥り、どうしたらいいかと考えるうち、余計に頭が回らなくなった。
「わ、わかったから! 一旦、落ち着こ? 下りろ、まず」
しかし、新米は俺の体に馬乗りになったまま離れようとしない。彼の髪から漂う果実のように甘ったるい匂いが、俺の鼻を刺激する。
必死に俺はやつを振りほどこうともがく。その時、俺の手が偶然、やつの腰のあたりに少し当たったらしい。
「いやんっ!」
新米は、急にキンキン声でそう叫ぶと、弾かれたように俺から離れた。顔を少し赤らめ、俺の手の触れたところを庇うように片手で覆っている。
っていうか、『いやん』って何だよ。それ、女子がHなものを見た時にとかに上げる悲鳴じゃないか。これは、もしかすると、男の娘とか呼ばれる人種ではないのか?
俺はまだこの現実において、そういう部類のやつを見たことがない。まあ、髪は短いけど顔とか声は女の子っぽいしな。男の娘なのかもしれない。
「俺……どうしても師匠に弟子入りして、自分の納得いく小説を書きたいんだ」
目を伏せ、紅潮した顔を隠すように俯きがちに話す新米。
「なんで、そんなにしてまで俺に拘るんだよ。それなら、自分で勉強すればいいじゃないか」
「だって、おんなじ学年にプロの小説家がいるんだったら、その人に弟子入りしたいって思うじゃない?」
うーん、まあ、わからなくもないか。
「俺、小説は中学の時から書いてるけど、最近になって小説家になりたいって思い始めたんだ」
「……あのさ。その理由、教えてくれないか」
弟子にするつもりは毛頭ないはずなのだが、俺は思わずそう尋ねてしまった。やつの物憂げな表情や声の調子に、心が揺らいでしまったのかもしれない。
「俺、実は昔、歴史小説家になりたかったんだよ。だけど、書いてて思ったんだ、俺には才能がない。プロみたいな文章が、どうしても書けないんだって……」
ますます顔に影を落とす新米。才能、という言葉。俺にも、あるだろうか? そんなことを考えたこともあった。運がよかったから、念願の小説家になれたんじゃないかって、不本意にも思ってしまうことが俺にもある。
すると、新米は顔を上げて俺と目を合わす。その瞳は、少し不満そうに俺を捉えていた。
「それで、ちょっと前に初めてライトノベル? っていうのを読んでみたんだよ。そしたら、何? あれ。台本に手を加えただけの小説もどきじゃないか」
はい?
俺は、きょとんとやつを見つめ返すことしかできなかった。
「異世界? ハーレム? そんなもん、漫画でやれよ! なんで字ばっかりの小説にする必要があるんだよ! っていうか、ファンタジーだったら絵があった方が説明もしやすいし、臨場感もあるだろ!」
「いや、ラノベって基本そういうものだから。しかも何気にラノベ半分否定してんじゃねー!」
「大体、表現が軽いんだよ。小説っていうと普通はドラマとか映画になるじゃない? なんでアニメの原作が小説なの? 映像化して初めて、登場人物の物言いが軽くなるんだ。それなのに、キャラクターが小説内で『〜じゃね?』とか言っちゃってさ。純文学だと、『〜しませう』とかなのにさ」
こいつも全然、本読んでねえじゃねーか。だからそれ、純文学じゃなくて古典文芸なんだってば。
「東光師匠の作品も読んだよ。高校生の分際で、しかもあんなにヘッタクソな文章でも出版できるんだって、ある意味感動したよ。『まぼろしのファンタジア。』とかいうダッサいタイトルも相俟って、作品の稚拙さを自分でアピールしてるようなもんだからね」
ほう。
「あんな小説ですらないものを小説と呼ぶのは、往年の文豪たちに失礼だと俺は思うんだ」
ほう。
「あんなヘッタクソな文章を書いてても小説家になれるなら、俺にもなれるんじゃね? って思ったのさ。だから、俺もラノベ作家とやらを目指し始めたんだよ」
……ほほう。
黙って聞いてりゃ、好き放題に言ってくれるじゃないか。
「……なるほど。お前はその『ヘッタクソな文章』を書く俺に、指導してほしいんだな?」
腹の底から突き上げるように沸き起こる怒りに任せて、俺は憤然と立ち上がった。
百歩……いや、一万歩譲って俺の小説が下手だったことは認めよう。だがしかし、こいつはライトノベル自体を否定しやがった。俺は目一杯やつを睨みつけ、言い放った。
「よし、わかった。お前の弟子入りを認める。俺がお前を、必ずデビューさせてやる!!」
新米は、ただ呆然と俺を見上げていた。正直に言うと、俺自身も、自分で何を言ってるのかよくわからなかった。
「……ほんとに?」
驚いたように、それでいて嬉しそうに目を見開く新米。
「……あ。いや……なんていうか……」
しまった。勢いでつい余計なことを……。冷静な判断が欠けていた自分を、俺は憎んだ。
きらきらと歓喜に揺れる新米の視線。俺はどうにか取り繕おうと必死に思考を巡らせるが、どうやらもう引き返せないところまで来てしまっているようだ。なら、仕方がない。
「は、腹が立ったんだよ。そんなに簡単なことじゃないって、教えてやるだけだ。だけど、俺は本気だからな? お前を絶対に小説家にしてやるから、そのつもりでいろよ」
新米は一層、頬を桃色に染め上げ、喜色満面で頷いた。
思えば、俺はずっと目標にしていた夢が実現して、すっかり目標を見失っていたんだよな。いつか自分の作品がアニメになったらいいな、とか考えたりもしたけど、今の俺には少々でかすぎるような気もしていた。
でも、そんな俺にも一つの目標ができた。それは、目の前のこの少年を小説家にすること。俺が、必ず。
「そうは言っても、師匠の小説、なかなか面白かったよ。ストーリーもしっかりしてたし、何よりキャラもよく立ってた」
さっきまで散々俺の小説の悪口を吐き散らかしていた新米が、突然手のひらを返したように褒めてきた。調子狂うなあ、もう。
「俺、そういうところを参考にしたくて」
新米の初な視線が、窓から射し入る夕日と混ざって一層輝いて見えた。黙っていたら可愛いな、と俺は思う。
俺の、ただ一人の愛弟子よ。
新米が帰った後、俺は一人和室に立ち寄った。
位牌と写真立ての前に腰を下ろし、それに目を向ける。写真立てに収まっている写真には、中学生の頃の俺ともう一人――浮かない顔の俺の肩に手を回し、満面の笑みでこちらを見ている兄の姿が映っていた。
俺は、その写真に語りかける。
「兄貴。今日、ちょっと帰ってくる時にバタバタしてて、こんな時間になっちゃって、ごめん。だけど、これだけはどうしても今日中に伝えておきたかったんだ」
傍若無人で、非常に口が悪く、腹を立てないでいる方が難しいようなやつだけど……。
――俺、初めて弟子ができたよ。
【まとめ】
主人公の初登場回です。主人公に初登場も何もないんですけどね。
次回から、ノウハウ的なこともちょっとずつ出てくるかと思います。ノウハウ本を参考にしたりしていますが、自己流のプロット作成方法なども伝えていこうかな、とか考えています。
【用語解説】
・ディベート:賛成・反対の立場に分かれて行う討論のこと。
・新米颯夏:本作の主人公。偏見が強い。名前はダジャレ。
・わりかし:「わりと」の少し砕けた言い方。たぶん方言。
・男の娘:「おとこのこ」と読む。見た目や言動など女の子の要素を持つ男の子のこと。
・~じゃね?:『~じゃない?』をさらに砕いた言い方。若者言葉として使われる。