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蘇り(3)

「影崎くん。」


誰かに名前を呼ばれる。その声の主は男の声だったが、古いラジオのようなノイズのせいで不気味で無機質なものに聞こえる。


「影崎くん。」


また、声が聞こえる。


そして同時にぬるりとした感触が右肩に乗る。振り返ると赤黒い毛糸の塊のような人影がこちらを向いていた。


「ひっ……」


その恐ろしい情景に声すら出ない。腰が抜けて地面にへたり込み、必死に後ずさる。


しかしその人影はそれ以上こちらを追ってこなかった。


「嘘つき。」


その意図は分からないが、彼は踵を返して遠ざかる。助かったのだろうか。


瞼が重くなるような感覚に、私はまた目を閉じた。



× × × ×



「いつまで寝てるのよ、貴方。」


風呂で気を失ってから何時間寝ていたのだろうか、小鳥の声で体を起こすと外はもう明るくなっていた。


「坂元が来たわよ、貴方が起きたら直ぐに支度をさせろとの事だったわ。」


それを聞くと髪の毛の寝癖をそのままに着替え、鞄を掴んで部屋を飛び出る。時計は十一時、予定より一時間も寝過ごしていた。


思えば昨日の晩も今日の朝も食事をしそびれた。私の腹が必死に空腹を訴えかける。


「とりあえず、例の地蔵の前で待ち合わせね。適当に御札でも貼って終わらせましょ。」


例の地蔵は宿からそこまで離れておらず、五分ほど走れば苛立った坂元と共に見えてきた。


「遅せぇよ、さっさと始めるぞ。まあ、やる事と言ってもこの地蔵に札を貼るだけなんだけどな。」


鞄から高級霊コロリを一枚取り出すと、指示されたように貼り付ける。相当弱い霊なのか、手応えが無いようにも感じた。


「はい、終わりだ。明日の昼にここを発つから好きに過ごすんだな。俺は寝る。」


満足気に頷くと坂元は宿に戻っていく。何故彼自身がこんな簡単な仕事を済ませないのか違和感はあるものの、深くは追及しないことにした。



× × × ×



宿の部屋に戻ると、小鳥が少し野暮用があると言って部屋を出ていった。


畳の上に横になれば、天井のシミを眺める。と、その時不意に女将から声を掛けられる。


「影崎先生、ですよね。すみません、うちの娘が貴方のサインを欲しいと言って聞かないのです。良ければ色紙を一枚したためて頂けますか。」


マジックペンと色紙を渡され、そう頭を下げられる。私は少し調子にも乗っていたのだろう。


書き慣れていないサインは、シンプルに私の本名を綴ったものだった。


「ありがとうございます、娘もきっと喜びます。」


「いえ、私の物でよければ……あ、隣の坂元さんにも貰ってはどうでしょうか。」


私よりも実力があり、名も知れていることを話すと女将は表情を少しだけ固くした。


「いえ。……坂元さんは大した事がありませんでしたので。」


何とも引っかかる言い方だ。しかし私の方が上だと暗にそう言われれば悪い気もしない。


褒め言葉として、受け取っておいた。



× × × ×



「ただいま、先生。いいものを持ってきたわ。」


小鳥が心霊カメラを手に部屋へと戻ってくる。初めて触る機械が気に入ったのか、既に何枚かの写真を撮っているようだった。


「でもこのカメラ、所詮ジョークグッズね。怪異以外の物しか写らないもの。」


その写真を見せて貰うと寂れた廃村の写真ばかりだった。どこまで遠くまで足を運んだのだろう。


しかし私の心の中を見透かすように彼女は言った。


「これ、この村の写真よ。ほら、この建物なんて今泊まっている宿に瓜二つじゃない。」


「どういう事だ、現に今綺麗な宿に泊まっているじゃないか。」


小鳥はそれを聞くと、私の姿を捉えるようにシャッターを押す。


現像された写真は、私が廃墟にいるようなものだった。


「このカメラは怪異以外を写す。怪異を見つける為には使えない代物だけど……逆に何かに化けた怪異を見抜く為なら使えるわね。」


私はようやく彼女の意図が理解出来た。


「この村全てが、大きな怪異ということか。」


「そう。黄泉還りって聞いた事があるかしら。」


確か何かの文献で読んだことのある名前だ。危険度はそこまで高くない低級怪異の筈だが……


「黄泉還りに本名を知られてはいけない。黄泉還りに呼ばれても振り向いてはいけない。……それを最後、自分の形を奪われるから。古い言い伝えね。」


「……被害に遭った人間になりすまし、仲間を増やす訳か。」


「そう、本当に怖いのは被害を知覚できないところよ。……被害者が無傷で帰ってきたように見えるんだから。でも実際はもうその人間は居ない。だから黄泉から還ってくる者ってことよ。」


結構タチの悪い怪異よね、私みたいに派手に呪い殺した方がまだマシよ。と冗談交じりに彼女は言う。


「対策としては簡単よ、本名を知られなければ良いだけ。貴方も私もここで偽名を使っているし負ける要素はないわ。力比べになればだいぶ弱いもの、黄泉還りは。」


力比べ、という単語から彼女が素手で人体模型を吹っ飛ばした光景を思い出す。


彼女にかかれば並の怪異などたまったものでは無いだろう。


「きっと貴方一人でも祓えると思うわ。今日の夜でも片付けてしまいましょ。」


小鳥は私の隣に寝転ぶ。ふわりと香った畳の匂いはとても幻だとは思えない。


と、ある一つの懸念を思い出す。冷や汗が頬を伝い、慌てて飛び上がる。


「私、さっきここの女将に本名を教えてしまったんだが……」


小鳥はしばらくその言葉に呆気にとられ、呆れと怒りのないまぜになったような表情で私を睨んだ。


「私がわざと財布を忘れてきたり、受付で名前を書いたのも全部水の泡よ。……ひとまず逃げるわよ、先生。窓から。」


窓から、と聞き返す前に手首を掴まれて体が宙に浮く。ここは確か三階の筈だ。


着地を小鳥に手伝って貰ったとはいえ、腰を地面に打ち付ける。しかし彼女は止まる気配などない。


「絶対後ろを振り向かないように。村の端まで逃げるわよ。」


片手に鞄、もう片方の手に小鳥の手を握ると足がもつれないように必死に走る。


背中からは私の本当の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

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