蘇り(1)
「あら、お目覚めかしら。」
事務所のベッドで目を覚ますと、小鳥は私の顔をじっと見つめて微笑んだ。
「私のような淑女には貴方の身体がとても重かったわ。運んできたご褒美くらい欲しいわね。ふふ。」
「……目を覚ましたばかりだ、勘弁してくれないか。」
「失礼ね、貴方を気絶させることだけがご褒美ではないのよ。今は……現代の甘味でも食べたい気分ね。」
彼女はけたけたと笑うと目の前に移動して私の荷物を床に置いた。
「霊コロリ、なんて安物を使っていてはいつか本当に死ぬわよ。ほら、高位の怪異には全く効果がないもの。」
その証拠に、と一枚取り出して素手で触ってみせてくる。いつもなら耳をつんざくような音と光が発せられる筈だが、彼女の手の上のそれは反応すらしない。
「……高級霊コロリじゃ駄目か。値段は三倍もするんだが。」
「無いよりはマシだけど。せめて身を守る術の一つでも使えるようになって欲しいわね。」
他愛もない話をしていると呼び鈴が来客を告げる。
小鳥の出迎えを待つことも無くドアが開く音がし、その足音は近付いてくる。
「おう、影崎。ようやく初めての依頼が成功したんだってな。けけけ、親の七光り野郎にしちゃよく頑張った方じゃねえか。」
髪を派手な金色に染めた男が私の顔を見るや否や、意地悪そうに笑みを浮かべた。
坂元と呼ばれるその男は私とは裏腹に、確かな手腕で除霊を成功させる同業者だ。
「お、何だよ。お前実力はからっきしの癖にこんな別嬪な助手なんか雇いやがって。お前より使えるかもしれねえな、下手したら。」
人の事務所で好き放題喚く彼に小鳥は少しばかり不快そうな顔をしたが、何とか堪えてくれとジェスチャーをすればどうやら理解してくれたらしい。
「では、私はお茶の準備をして参りますので。」
「おう、気が利くな。俺はコーヒーで良いぜ。」
彼女が少し楽しそうに笑っているように見えたのは気の所為だろうか。
× × × ×
「で、そんなお前に俺からのプレゼントだ。危害も加えて来なさそうな温い怪異だ。流石にこれくらいは祓えるだろ、お前も。」
坂元は鞄から書類を取り出すとそこに記された地図を指差す。そこには省村との文字が刻まれている。
「……しょうそん?聞いた事のない名前だ。」
「かえりむら、な。何でもここの地蔵が呪いを振り撒いているようだが……別に実害がある訳じゃねえ。何かしでかす前に祓えって事だ。」
話を聞く限り、悪い話では無さそうだ。しかしそんな簡単な依頼なら坂元一人で解決すれば良い。
わざわざ私の方まで出向いて来て誘うという事は何か裏があるに違いない。
「悪い話じゃねえだろ、報酬も山分けだ。」
益々胡散臭いその提案を断ろうとした矢先、小鳥がそれを遮った。
「あら、良いですわね。その程度の怪異なら影崎先生にもちょうど良いですし。これを糧にさらに力を付けて欲しいですもの。」
湯気を立てるコーヒーカップを二つテーブルに置くと私の隣に腰掛ける。
書類に軽く目を通せば彼女は引き受ける旨を伝え、断ろうとする私の太腿をテーブルの陰でつねり上げた。
「断ろうとするなら今ここで気絶して貰うわよ。」
そう小声で耳打ちされれば、もう為す術もなく。集合日時や持って行く仕事道具について打ち合わせれば坂元は上機嫌で帰っていった。
「あーあ、塩入れてあったのに飲まなかったわね。彼。」
口を付けられていないコーヒーカップは、まだ湯気を吐き出していた。
× × × ×
いよいよ出発の朝は来た。坂元は現地集合すると連絡を寄越してきたため、事務所の車で向かう事にした。
「高級霊コロリ……それとインスタント結界プロ。怪異用トリモチに聖水……ざっとこんなものか。他に何か必要なものはあるか?」
「あら、ならこれを持っていきましょ。」
そう言って彼女が差し出して来たものは通称心霊カメラ、怪異の存在を投影するジョークグッズのようなものだった。
「……旅行に行く訳じゃないんだぞ、小鳥。」
「仕事は仕事、遊びは遊びよ。さっさと片付けて観光でもしましょ。」
小鳥は私の制止など聞こうともせず、そのカメラを鞄に突っ込む。
「ああ、それと。お土産も買いたいしお金も欲しいわ。この前の報酬はたんまり貰ったんでしょう?私も少しくらい分け前を貰っても良いわよね。」
目を輝かせると私の財布を手渡してくる。確かに報酬で消耗品を買ったくらいでまだ半分以上残っていた。
「ならこれくらいで良いか、小鳥が居なければ危なかったのは事実だ。」
「ふふ、嬉しいわ。沢山お土産を買って帰れそうね。」
彼女は私からの分け前を受け取ると古めかしいがま口財布にねじ込んで大切そうに鞄に入れる。
「忘れ物は無いわね。日が暮れないうちに行きましょ、夜は怪異が怖いもの。」
お前がそれを言うか、という言葉を飲み込むと鞄を受け取って最寄りのバス停を目指す。
どうやら都合のいい事に、省村直行のバスが出ているらしい。
「くれぐれも知らない人に名前を教えたり、付いていったりしないように気を付けなさいよ。影崎先生。」
「はいはい、私とて子供じゃないのでね。」
程なくして、バスが私たちの目の前に停止した。
しかしここである事に気付く。
「小鳥、私の財布を知らないか?名刺ケースも無いようなのだが。……それどころか書類も入っていない、仕事道具以外全部見当たらないぞ。」
彼女は少し大袈裟に驚き、誤魔化すように笑う。
「私としたことが、事務所に忘れてしまったみたいね。……まあ、大した事のない怪異みたいだしその程度の道具でもなんとかなるわよ。」
引き返して取りに戻るにはもう時間が無い。大きなため息を一つつくと、小鳥に小銭を借りてバスに乗り込む。
どこか冷たい空気を包んだ車内に、他の客の姿は見当たらなかった。