笑う人体模型 4
人体模型が私に振り下ろそうとした腕は、小鳥ががっちりと握って止めていた。
その光景に後ずさる。すると小鳥はこちらを見て口角を上げ、すぐさま人体模型へと振り返った。
彼女の空いた方の右腕がしなり、唸る。握られた拳が人体模型のみぞおち辺りを捉えると、彼は内臓をバラバラと落としながら廊下の先へ吹き飛んだ。
直後に重い物体が壁に叩きつけられたらしい鈍い炸裂音。小鳥をそれを聞くと自分の手に付着した模型の欠片を払い落とした。
「格が違うのよ、彼と私では。ほんの数年しか怪異として過ごしていない学校の七不思議程度が私に勝てると思っているのかしら。」
「随分と荒っぽいのだな、想像していたものとは少し違ったよ。」
「あら、なら上品に貴方がただの肉になる様を眺めていた方がよろしくて?」
軽口を叩くと、彼女はまた人体模型の方へ歩いていこうとする。
「ほら、さっさと立ち上がりなさい。彼を滅するのが貴方の仕事でしょう。」
滅する……確かに、ここで無理やりあの人体模型に憑いた霊を消滅させれば全てが元通りだ。
しかし私は、人体模型の行動と依頼人からの話がどうも心につかえていた。
「もう少し待ってくれ。……あの人体模型の心残りさえ取り除けば、浄化出来るはずだ。」
それを聞いた小鳥は呆れたような声を上げる。
「浄化?この怪異は貴方を殺そうとしたのよ。なら今すぐ滅さないと今度こそ殺されるわ。」
しかし私は首を縦には降らない。
「人体模型に憑依した彼もまた、被害者だ。ならば……きちんと極楽に送ってやらないといけないだろう。」
小鳥は目を丸くし、そして溜息を吐いた。
「……そうよね、貴方ってコトリバコを修繕したりするくらいのお人好しだもの。考えが甘っちょろいことこの上ないわ。」
痛いところを突かれ、私は苦笑する。
「……でも、そういう所が好きだから私はここに居るの。ならば貴方なりの解決策を見せて頂戴。」
再びこちらへ戻ってくると彼女は改めて私に手を差し出す。その手を握り、立ち上がった。
と、ほぼ同時に人体模型がカタカタと音を立てて動き始めた。
「と、とりあえず逃げるぞ小鳥……!」
「はいはい、分かったわよ。影崎先生。」
階段を一気に駆け下りると、グラウンドを駆け抜ける。目的地はもう決まっていた。
✕✕✕✕
「プール……?」
小鳥は着くや否や怪訝そうな顔をした。
人体模型はこちらを見失ったらしく、グラウンドにも姿を現さない。
「ああ。……人体模型は何かを探しているらしくてね。ほとんど学校は探し終えたようだったが、ここだけは地図が塗りつぶされていてね。」
「……確かに水辺は死亡事故も起こりやすいわ。」
「そう、彼は無意識にここを怖がっている。そして捜し物があるならこの場所にある確率も高い。」
自分なりの推理を披露すると、小鳥は音を出さないように拍手する真似事をした。こうして自信満々に言い放ったが、この推理が外れていたならと急に不安も立ち込めてきた。
依頼人から預かった鍵で、プールを解錠する。重いドアを開けると、使われていないプールの青臭い独特な臭いが鼻をついた。
「……私は更衣室を探すわ。」
鼻をつまみ、小鳥は臭いを避けるようにそそくさと更衣室に入っていった。
仕方がないので、プールサイドを歩いて何が落ちていないかを探す。プールには真緑の水が張られており、青汁を想起させた。
しばらく探し回ったが、プールサイドには何も落ちていなかった。
すると、小鳥が何かを手にプールサイドへ出てきた。
「リコーダーみたい。でも掘られている名前が女の子のようね。人違いではないかしら?」
残念そうに私の方へそれを投げ寄越す。そのリコーダーは、確かに人体模型に取り憑いた児童のものではない名前が掘られていた。
その時、プールの重いドアが開けられるような音が響いた。
小鳥は真剣な顔をし、侵入者を待ち構える。
私も迎え撃とうと彼女の隣に並ぶも、やはり入口の方を直視する勇気はなく顔を伏せていた。
ひたり、ひたりと裸足が近付いてくる音。
「……おかあさん……」
顔を上げると、私のすぐ前に人体模型の顔があり思わずリコーダーを取り落としてしまう。
小鳥は直ぐに動き、私を人体模型から引き離した。しかし彼は動かず、落ちたリコーダーを眺めている。
「危険よ。私が早いところ片付けた方が良いんじゃないかしら。」
少し苛立ったように小鳥は提案する。しかし様子を見るよう頼むと溜息をつき、腕を組み直してくれた。
「おかあさんの……」
人体模型はリコーダーを拾い上げると、大事そうにそれを手の平で撫でた。するとまた近付いてくる。
そして足を止めると、礼を言うかのように頭を下げた。
ふわりと、プールの中に風が吹く。
瞬きを終えれば、もう彼の姿はそこには無かった。
✕✕✕✕
「……道理で彼のリコーダーだけ見つからないはずだ。あれはお母さんのお下がりだったのだからね。」
帰り道、除霊グッズを使い果たして軽くなった鞄を片手に小鳥と歩幅を合わせる。
「そんな事はどうだって良いわ。……貴方、私が居なければ死んでいたかもしれないのよ。」
彼女はそう言ってそっぽを向く。
「怪異の中には、悲しい生い立ちを持つ者もいる。ならば彼らを救済してはじめて除霊と呼べるだろう。」
間を置いて、彼女は口を開く。
「私だけが特別なのではなく、貴方は怪異全てにそんな扱いをするのね。」
「ああ、それが私の仕事だ。」
寒空の下に、頬を張る小気味よい音が響く。そして小鳥は珍しく大声を出した。
「貴方は馬鹿、それも本当の馬鹿よ!大うつけ者だわ!」
そして彼女は美しい顔とは打って変わって恐ろしい怪異としての表情を私に向けた。
当然、私の意識は途切れる。
彼女が何か発しているようにも思えたが、混濁する意識では文字を紐解くことなど出来なかった。
✕✕✕✕
倒れた影崎を抱き留めると、小鳥は舌舐めずりをした。彼の発する恐怖は、何にも代えがたいご馳走なのだ。
しかし、満たされないような気持ちも同時に沸いてきた。それは今まで感じたことの無い、心に重くのしかかるような感情。
「貴方は馬鹿よ。怪異に肩入れする人間なんて、長生き出来ないんだから。」
彼に肩を貸すと、事務所へと足を踏み出す。
「……その馬鹿に惚れた私も、馬鹿って訳ね。」
くすりと笑うと、少し明るくなった空に目を細めた。
血液検査でエグい数値が出たのでお休みしてました。また書きます。