笑う人体模型 3
人体模型は車輪のついた台座に足を固定され、階段を昇り降り出来ない。恐怖に凍る私の心を支えるその前提は、直ぐに崩れ去った。
彼が乗っていたはずの台車が、廊下に転がっているのだ。
心臓が早鐘を打つ。もし鉢合わせてしまったなら今度は逃げられるか怪しい。霊コロリもあと数枚しか残っていない上に、また効くかどうか定かではない。
早いところ人体模型の正体を暴き、除霊しないと命が危ないだろう。
「頼むから廊下になど居ないでくれよ……」
渡り廊下の先を伺うも、何の気配も感じない。どうやら同じ階には居ないようだ。胸を撫で下ろし、月明かりで照らされた廊下を歩く。
B棟三階には四年生の教室が並んでいた。手前から順番に中の様子を観察すると、四年三組の教室にどこか違和感があった。
「……忘れ物か?」
中に入ってみると、窓際の一番後ろの席に花瓶が置いてある。
近付いてみるとその花瓶は消え、一冊のノートが現れた。
表紙にはあまり上手くない文字で「ともき」と書かれている。きっと名前だろう。苗字は汚れていて読めない。
「……自由帳か。ともき君の忘れ物なのだろう。」
私は何気なくその自由帳を開いた。そこに記されていたのはこの小学校の見取り図のようであり、A棟とB棟のほとんどの部屋には赤いバツ印がついていた。
このバツ印の意図は分からない。自由帳を元通りに閉じると他の教室を探そうと扉に手をかける。その時だった。
ひたり、ひたりと廊下を裸足で歩くような足音が近付いてくる。
「……っ!」
ドアから離れ、教卓の下のスペースに体を丸めて滑り込む。
隠れ終わったと同時に、乱暴にドアが開いた。
「…………かえせよ……」
くぐもってはいるが、はっきりと声が聞こえる。人体模型の声だろうか。
彼は私が調べていた自由帳の辺りへと歩き、その後は紙をめくる音と何かを書き殴るような音が教室を支配した。
「ない……どこにも……ゆるさない……」
そう言い残すと扉をまた乱暴に開けて出ていく。不気味な足音が遠のいてから、私は教卓から這い出た。
「……何かを探していたようだが……一体何を?」
もう一度自由帳を捲ると、先程はバツ印のなかったC棟にもバツ印が付き始めていた。彼の言動からすると目当ての物が無かった部屋を消しているのかもしれない。
するとふと、気になる点があった。
屋外のプールだけ、黒の鉛筆と赤の鉛筆でぐちゃぐちゃと塗り潰され判別が出来なくなっていた。
その異様な光景に息を飲み、私はまた廊下に戻った。
✕✕✕✕
周りに誰も居ないことを確認すると、私はスマートフォンを取り出した。依頼人の教師に電話をかける為だ。
履歴から彼の番号を選び、発信する。コール音三回の後、彼のやや太い声が聞こえた。
「もしもし、影崎です。ひとつ聞きたい事が。」
「はい、構いませんが……」
「ともき君、という名前の生徒はこの学校に関係がありますか?……少し気になる点がありましたので。」
その名前を告げると、教師は迷ったように間を置いて話し始めた。
「……はい、ともき君はこの小学校の四年生でした。」
「過去形なのですか……?」
「彼は視力が弱く、いじめられていたようです。彼は持ち物を隠され、その度に学校を探し回っていたらしく……ある時、プールで探し物をしている際に足を滑らせてしまったのです。本当は、私たちがもう少し早く気付くべきだったのですが……」
そう言って自責の念を呟く。彼がどうなったかは、暗に察して欲しいようだ。
「隠された持ち物は後から全て回収しようとしたのですが、一つだけ見つからないものがありまして……」
教師の話は是非とも聞かなければならない。だが、事情が変わり通話をそこで切断する。
人体模型が、廊下の向こうからこちらを見つめている。手には家庭科室からせしめたのか包丁を握っていた。
「ぜったいに……ゆるさない……」
歩く度に人体模型の頭はかくかくと揺れる。それはまるで笑っているかのように見えた。
手を痛いほどに握り締め対峙する。痛みを感じていないと私の意識はきっと遠くへ飛んでしまうだろう。
鞄からインスタント結界を取り出すと素早く展開し、廊下を塞ぐ。しかし、人体模型の動きは完全には止まらない。結界に爪を立てるように引っ掻くと、亀裂が拡がりガラスのように砕け散らせた。
「……嘘だろう?」
霊コロリも耐性が付いたのか数秒ほどしか効果が持続しない。聖水もどうやら粗悪品らしく、全く物怖じする様子が人体模型には見られない。
包丁が振り上げられる。私は悪足掻きと言わんばかりに鞄に入っていた手鞠を投げ付ける。
一瞬、人体模型の注意が逸れた。
同時に、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ほんと、命がいくつあっても足りないわよ。貴方。」
小鳥がいつの間にか私と人体模型の間に割って入り、振り上げられた包丁を腕ごと封じていた。
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