笑う人体模型 2
冷たい風が頬を撫でる。目を覚ました私はいつの間にか、例の小学校の校門に凭れるように座っていた。
きっと小鳥がここまで運んで来たのだろう。見かけによらず力が強い娘だと感心した。
しかし彼女の姿は忽然と消えている。胸ポケットからはみ出る紙のような物を引っ張り出すと、
「先生の仕事のお邪魔をする訳にもいきませんので、事務所に戻ります。」
との恭しい文章が書かれていた。しかしこれは私にとっても好都合だ。今日こそ初めての仕事を成功させないといけない。
警報は切ってあるので翌朝までにどうにかしてください、との依頼人の言う通り校門を押し開けても咎める人間はいなかった。
不気味な緑の光を放つ非常口標識が、心に小波を立てた。
✕✕✕✕
「動く人体模型と言えばやはり理科室にいるのが定番だろう。」
自分に言い聞かせるように暗い廊下を歩く。勿論、自分以外には聞こえない程度の声量で。
前もって渡されていた見取り図の写しと照らし合わせながら理科室へと足を進める。
この小学校はA、B、そしてC棟に分かれており、上から見るとカタカナのヨの字に並んでいる。そして連絡通路は一階か三階にしかない。
つまり四階に追い込まれるようなことがあればもう飛び降りるしか無いのだ。
「そんな事は死んでも御免だが。」
独り言を呟くと、B棟二階の理科室へと辿り着いた。鍵はかかっておらず、薬品の混じった匂いの空気が肺を満たした。
蛍光灯はスイッチを入れても点灯しない。仕方なく手元の懐中電灯で部屋の中を観察する。
確か骨格標本の隣に人体模型があるはずなのだが、どうも見当たらない。
「全く、人体模型が居ないのなら除霊のしようがないだろう。きちんと決められた所に保管しておいて欲しいものだが……」
数秒して、私の置かれた恐ろしい状況に気付いてしまい背筋が凍るような気がした。
「ここに居ないのなら、もう人体模型は動き出している……」
既にこの時点で卒倒しそうに思えたが、手の甲の皮をつねってどうにか耐えた。
✕✕✕✕
「霊が嫌がる霊コロリ、五分は安全インスタント結界……そして無いよりはマシな聖水。」
懐中電灯の灯りを消し、手探りで鞄の中をまさぐる。適当に詰め込んできた除霊グッズの所在を確かめると緊張が少しだけ紛れる気がした。
すると鞄の中に入れた覚えの無いものが入っている。取り出して月明かりにかざして見ると、それは赤い鞠だった。小鳥が悪戯で入れたのだろう。
「鞠は……流石に使う事など無いだろう。それこそ、最後の悪足掻き程度にはなるかもしれないが。」
緊張が解れたその時、廊下の向こうから何かを転がすような音が聞こえた。
慌てて廊下の窓から見えない位置に体を滑り込ませ、息を殺す。幸いにもそれは理科室に入っては来なかった。
ドアの隙間から、その正体を確かめる。通過していった物はどうやら、車輪の付いた台座に直立する人体模型で間違いなかった。
「……!」
その現実離れした光景に、悲鳴のような声が微かに漏れてしまう。理科室から離れようとしていた人体模型の首は歪にこちらへ回転し、不快な音を立てて猛然と走ってきた。
「く、来るな……!」
理科室から飛び出し、慌てて鞄から一枚の御札を取り出し投げつける。
その御札が張り付いた瞬間稲光が走ったように発光し、人体模型の速度は大きく落ちた。
この程度の速度なら何とか撒けるだろう。
霊コロリというふざけた名前の割にはいい仕事だ、と考えながらA棟へと走り、三階へ駆け上がる。何処かに身を隠さなければ直ぐに見つかるだろう。
すると、追いかけてくる音が突然止む。台座に乗った人体模型は車輪で動く故に階段は上れないらしい。
諦めてくれたのか、方向転換すると理科室の方へと戻っていった。
「助かった……か。」
私は壁に凭れ、額に浮かんだ汗を拭った。
✕✕✕✕
A棟の三階には図書室があった。この部屋なら万が一人体模型が入り込んできても入り組んでいて撒けるだろう。
先程までの事象を整理し、人体模型の正体を考えようと椅子に腰を下ろした。
霊コロリが効いたという事は付喪神などの部類からは外れる。となると、人体模型を何かの霊が動かしているという可能性が高い。
相手が霊だと分かっただけでも前進だ、ならば祓う方法を考えよう。そう思って図書室を後にしたその時だった。
車輪が軋むような音が、廊下に響く。
身構えるも、人体模型らしき姿は現れない。代わりに誰も載っていない台座が転がってくる。
その無人の台座は人体模型が階段を行き来出来るようになったこと、即ち安全地帯がなくなった事を警告するようだった。
感想とまでは言いませんので、読んでくださった方は一言好きな動物でも教えてください。私はカバが好きです。強いらしいので。