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如月(2)



駅に降りて一時間、二時間。三時間経っただろうか。ねっとりとした熱気は体に絡み付き、嫌な汗が背中を伝う。


きさらぎ駅の目の前には、物音一つしない不気味な町がある。灯りすらないその町には、一之瀬の足音しか響かない。


「私の知っている、きさらぎ駅ではない……」


ぽつり、と弱気を孕んだ声を漏らす。本来きさらぎ駅とは手順さえ間違わなければ脱出する事は難しくない怪異だ。


駅構内の公衆電話でも、民家の黒電話でも構わない。電話番号をダイヤルする際にひたすら4を入力すると、雑音が流れ出す。それが鳴り止むと程なくして駅前にタクシーが止まるのだ。


だが、このタクシーに乗ってはいけない。何故ならこれは、きさらぎ駅に迷い着いた人間を捕まえる怪異そのものであるからだ。しかしどうやらタクシーと電車は連動しているらしく、タクシーを呼ばない限り次の電車が来る事はない。


タクシーに見つからないようやり過ごし、暫く待つとまた電車が来る。それに乗って現世の路線へ入り、最寄りの駅に下りるだけで脱出はできる。


「本当なら祓うべきだろうが……状況が悪すぎる。生きて帰るだけでも……。」


一之瀬の頬に、生温かい汗が伝う。祓うなど悠長な事は言っていられなかった。


町を取り囲むようにきさらぎ駅が増えていたのだ。数えてみると十三駅……明らかに異様な光景だった。


「適当に駆け込んだとしても、本物は十三分の一……か。もし間違えてしまえばタクシーの運転手に縊り殺されるだろう。」


本来ならタクシーに扮した怪異を祓い、帰れば良い。だがもし十三駅全てに別々のタクシーが居るのなら、一人で相手をするには圧倒的に不利だろう。


幸い月明かりは出ているため、全く視界がない訳ではない。それでもどのきさらぎ駅が本物なのか見定めるには些か弱い灯りだった。


しかしいつまでも留まっている訳にもいかない。身を隠すように民家に入ると鞄の中から聖水、高級霊コロリ。そして数珠を取り出して息を整える。


程なくして黒電話を見つけると、受話器を取ってダイヤルを回す。耳をつんざくようなノイズが走り、町にエンジン音が響き始める。


「タクシーが一台だけなら良かったが……希望的観測だったか。」


明らかに、エンジン音は複数聞こえる。タクシーの形をした怪異が、迷い込んだ獲物を求めて駅に向かっているらしい。


「……見つからないよう、細心を払って行動せねばならないな。」


民家から顔を出し、エンジン音に耳を澄ましながら裏道を歩く。万が一見付かったとしても、ここに居れば車が入る広さはない。安全地帯だろう。


息を整え、汗で湿った霊コロリを握り直す。当てはないが、取り敢えず目に映った駅を目指すことにする。本物かどうか確証はないものの、そもそも全ての駅が本物の可能性すらある。脱出の糸口を掴む為には動かなければならない。


靴に当たった小石が、遠くまで飛んでいく。些細な事が気になる程度には、緊張と恐怖で神経が尖っていた。それでも確実に、駅への距離を詰める。怪異に鉢合わせないように、物陰に身を隠しながら。


しかし、突然視界は白く染まった。


「チッ……待ち伏せする知能すらあるのか、貴様らは……!」


タクシーの形をしたそれは、駅に向かうことなくわざと路地に隠れていたらしい。アクセルをベタ踏みしたような低音を響かせ、一直線に向かってくる。


電柱に素早く身を隠し、何とか直撃を避ける。けたたましい音と共にブロック塀が崩れ、タクシーは瓦礫に埋まったように見えた。が、車体の前方が大きな口のように開き、文字通りブロック塀を喰っていく。壁も道路も関係なく迫って来る様子は、下級怪異の姿とは思えない。


「こんな化け物が…︎…複数居るとはとても考えたくないな……。」


まるで呼吸しているかのように口を揺らしながら、タイヤが舗装されていない道路を擦る。土煙を上げながら迫って来るそれに、高級霊コロリを投げ付ける。何かが弾けるような音と共に、タクシーのバンパー……もとい怪異の下顎が吹き飛ぶ。


流石にこれは効いたらしく、ブレーキランプを点滅させながら怪異が退いていく。この騒ぎで他の怪異が寄ってこないうちに、最寄りの駅に駆け込もうと竦む足を叩いて走る。振り返れば、死がすぐそこに立っているようにすら感じた。



× × × ×



「……現れよ、式神。」


懐からインスタント式神を取り出すと、銀狐と人のハーフのような式神が生まれた。インスタントとは呼ぶものの、比較的長く活動でき意思疎通もできる。


稼働時間から考えるとピンチの時に使うべきなのだろうが、今はどうしようもなく誰かと話したい気分だった。


「お呼びでしょうか、主様。」


「……きさらぎ駅が、増えている。十三駅もある上に怪異も増殖している。一体毎の力も増している。」


それを聞いた式神は眉を下げた。言葉にせずとも、絶望的な状況であると暗示しているようだ。その顔を見ると、私もこのような顔なのだろうかと笑えてきた。


「我々が戦う際、主様の出力を超えた技は使えません。ただ、囮にするには十分でしょう。この身に代えてもお守り致します。」


「…︎…礼を言う。」


ホームへの階段を上がり、近くにあったベンチに腰を掛ける。ガラス窓に映った自分の顔は、酷く疲れているようだった。


そして五分ほど経っただろうか。電車の到着を告げるベルが鳴り響く。式神を呼んだものの、杞憂に終わったらしい。遠くにライトが見えた。


だが、電車の様子がおかしい。


「……主様。」


大きく上下するライトは、電車のものとは思えない。そう、まるで枕木で跳ねながら迫り来る乗用車のような。


三台ほど並んだタクシーが、こちらに大口を開けて突っ込んできていた。同時に駅の灯りが全て消え、急かすように外からもエンジン音が鳴り響く。


「……どうやらこの駅は外れの様ですね、逃げましょう!」


「言われなくとも…︎…!」


無事に脱出できる、そう思って一瞬弛んだ気持ちを引き締める。聖水を握ると、駅の出口へと無我夢中で走った。後ろからはホームすらも喰い尽くしながら猛然とタクシーが迫って来る。このままでは外に待機しているタクシーと挟み撃ちにされてしまう。


「主様!」


式神がわざと注意を逸らすように、外にいたタクシーの目の前に躍り出る。その隙に駅の近くの茂みに飛び込むと、エンジン音が通り過ぎるのを待った。自分の心臓の鼓動がやたら大きく聞こえるようで、呼吸すらままならない。どうやら彼は上手く立ち回ってくれたようで、エンジン音は遠ざかっていった。


願わくば無事に式神と再会したい、と息を吐き。式神にすら会いたがっている自分の弱り方に溜め息をもう一つ吐いた。


式神が引き連れていったタクシーは少なく見積っても六台。手薄になった隣の駅に足を進める。物資も心許ないが、総当たりをする他にいい方法は思い付かない。


だが、早く本物のきさらぎ駅を引き当てたいという焦りに反して隣の駅も、また隣の駅も外れだった。幸いタクシーに出くわす事は無かったものの、ホームに足を踏み入れて暫くすると灯りが全て消える。


遠くで爛々と光る残りの駅を見ると、気が滅入るようだった。棒のようになった足を引きずるように徘徊し、四駅目に差し掛かったところで頭の中の糸が切れたような感覚に襲われる。


「……やられたか。」


式神とのリンクが切れたらしい。大方、タクシーに捕まったのだろう。あの大きな口に喰い千切られたなどと想像すると他人事には思えず、背筋が冷たくなる。


四駅目も相変わらず、外れのようだった。灯りが消え、静寂に包まれる。汗で張り付くスーツを扇ぎ、溜め息を吐きながら駅を出ると耳をつんざくようなクラクションに身を竦める。


頬を冷や汗が伝った。下顎を失い、ボロボロになったタクシーが不気味に笑っているようだった。

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