無知の力(4)
ビニール袋の塊のような、不気味な人影。ゆらゆらと揺れるようににじり寄るその手には刃物が握られている。
非常にまずい、軽く数えただけでも二十は下らない。小鳥に目配せし、どうするか問う。
「分が悪いわ、逃げたい所だけど……」
志乃は怯えたように小鳥の服の裾を掴む。足は震えており、走って逃げるのは厳しそうだ。
「この人数なら何とかなるだろう、迎え撃つぞ。」
霊コロリをありったけ構え、小鳥の横で臨戦態勢に入る。正直、怖い。今にも飛びそうな意識を保つ為に左手の甲をつねる。
その様子を見た小鳥は可笑しそうに笑う。
「そんなに怖いならケチってないで高級霊コロリを使いなさいよ、死んだら元も子も無いわよ。」
「坂元の時は出来たんだ、やるしかないだろう。……もしダメだったら後は頼む。」
「はいはい、それと私の方が霊コロリ上手く使えるわよ。」
その皮肉を合図に乾いたアスファルトを蹴る。小鳥の動きはあまりにも速く、ドンという衝撃音の後に人影がひとつ宙を舞った。
私も霊コロリを巻き付けたスコップで怪異の腹あたりを殴る。刹那、焼けたような音と共に怪異の体が崩れた。
やはり一定の威力はある。小鳥はこれをパチモノと呼ぶが私からすれば心強い除霊グッズに変わりはない。
怪異たちも残りは少なくなり、逃げるには絶好の好機だ。と、その時。何か背筋に嫌なものが走った。
目の前の怪異が、急に恐ろしく思えてくる。視界がぐにゃりと歪み始める。これらの怪異に関して、何か本質が分かり始めたような感覚。しかし脳はそれを必死に拒む。
割れるような頭痛から後ろに下がり、地面に座り込む。日に照らされたアスファルトの熱を感じないくらいに体は冷えていた。
「……逃げるわよ。これだけ減らせば驚異にもならないわ。それよりも絶対に彼らについて深く考えないこと。貴方は何も見てないの、良いわね。」
小鳥に肩を抱かれ、立ち上がる。先程までの吐き気はもう無かった。しかし私はとんでもない怪異にまた足を突っ込んでしまったように思えた。
「私も怪異だから、彼らの嫌がるような場所が分かるのよ。取り敢えずこの辺りに神社は無いかしら、志乃。」
「は、はい!確かこの坂を登ったところにあるはずですけど……相当寂れていた気がします。」
「いいの、身を隠すには十分だわ。」
重い体を何とか奮い立たせ、坂を登る。小鳥はあの怪異たちについて何か知っている様だったが、聞いても首を横に振るだけだった。
「知らない方が良いのよ、本当に。でも……妙よね。今回のは知らなくとも、触れるだけで蝕まれるみたいなのよ。」
彼女の言う意味は半分程しか分からない。然しそれは、私が安全地帯にいる訳ではないと突きつけるようだった。
「小鳥の知っている怪異とまた違うのか?」
「ええ。とびきり厄介よ。本来なら知らなければ怖がる必要も無いのだけれど……近くに居るだけで少しずつ理解が深まるみたい。何かの神話みたいよね。」
私も、理解が深まる事に対して形容し難い恐怖を感じている。彼らの姿を凝視する度に自らが自らでなくなるような感覚。
何も食べて居ないのに、胃の中身が逆流しそうに思えた。
「……怪異よりも怖いわよ、人の悪意ってものは。」
ぽつり、と小鳥が呟く。志乃はその言葉を聞くと表情を少し曇らせた。
「でも、この村の人は良い人ばかりでしたよ。……私は、死んじゃいましたけど。」
「……良い人、かしらね。少なくとも村人の成れの果ては貴方が一人で成仏するのを快く思っていないようだけれど。」
気付けば神社の周りを彼等が囲んでいる。その数はさっきよりも多い。
「志乃の遺体の場所には行かせない、って事ね。これを見ても彼らが良い人だったって言える?」
志乃は俯き、首を横に振る。
「迷っている時間はない。私が彼らについて理解してしまう前に決着を付けねば。」
しかし彼らの様子がおかしい。まるで共喰いをするようにお互いを貪ると同化し、大きな塊へと形を変えていく。
「小鳥、これも彼らの性質なのか……?」
「いえ、こんな物は見た事ないわ。坂元と同じで……元の存在とは大きくかけ離れているのよ。」
やがて残りの全ても同化してしまうと今度は色をどす黒く変容させ、千手観音の様な姿を象る。然しどういう訳か右足が存在せず歪な形をしている。
「あっ、これ……村で祀られている神様です……!」
「ほんと悪趣味よね。怪異風情が神を語るんじゃないわよ。」
高さは三メートル程あるだろうか。その千手観音は私たちを見吸えれば首を大きく捻り、不気味に歯を鳴らして笑う。
「……絶対にあれが何か理解しないで頂戴よ、先生。」
「言われなくとも分かる筈無いだろう……!」
詠唱と共に霊コロリを撃ち込むが、全く効く気配はない。奴の狙いは志乃のようだった。
「志乃!……気を強く持つのよ。絶対に取り込まれないように離れておきなさい。貴方が吸収されればきっと完全に勝ち目は消えるわ。」
足りない右足は志乃を吸収出来なかった故なのだろうか。不完全ならば勝機があるかもしれない。
霊コロリをもう一枚携え、一歩踏み出そうとしたその時だった。
地面がくっきりと斬られた。否、割られた。
その衝撃は凄まじく、背後の古い神社を木っ端微塵に破壊する。飛んでくる鋭利な木片が私の腕を掠めた。
「……本当に勝てるのか、こんな化け物に。」
「私を誰だと思ってんのよ。束になろうと格の違いは揺るがないわ。」
小鳥が地面を蹴り、猛烈な勢いで右の拳を叩き込む。しかし奴はその正拳突きを軽く受け止めると思い切り彼女の身体を地面に叩き付けた。
「っ……ぐっ……!」
苦悶の声を漏らすも、直ぐに立ち上がって奴に向き直る。しかし絶対的な強さである小鳥を子供のように躱す怪異の姿は他の何よりも恐ろしかった。
もう用意してきた道具も残り少ない。その時、怪異の目が妖しく赤く光る。
刹那、私たちの体が急に重力を増したように地面に押し付けられる。圧倒的な威圧感に、頭を上げて姿を捉えるので精一杯だった。
と、同時に頭に何かがどろりと流れ込んでくる様な不快感。奴がどのような怪異であり、どのようにして生まれたのか。ビデオの早回しを見せられるように頭に流れ込んでくる。
冷や汗でぬるりと濡れた私の手を小鳥が握る。顔を上げれば、怪異として恐ろしい表情を浮かべた彼女の姿があった。
余りの衝撃と緊張感により、私の意識は明滅を繰り返したようにちかちかと薄れる。
「それ以上要らない事を知る前に少し寝てなさい。後は私が片付けるから。」
視界の暗転の前に一瞬だけ見えた彼女の横顔には、刺し違えるような決意すら感じた。




