無知の力(3)
依頼主の家は神崎家からさほど離れてはいなかった。距離からすればまた十分ほど歩けば着くだろう。
しかし周りは一面の水田で覆われ、歩いても変わらない景色はその道のりを長いものだと錯覚させる。
「田んぼしか無いわね。よくこんな田舎で暮らせるものだわ。」
テレビの事を人の入った箱だと驚いていた小鳥が言えることではないだろう、との反論は飲み込んだ。
ふとその時、少し離れた場所に案山子とは違う何やら異質なものを見つけた。
「あそこ、何かビニール袋で出来たような人影に見えるのだが……何だあれは。」
それを指さすと小鳥はため息混じりに軽く答えた。
「ビニール袋で出来た案山子だと思うのだけれど。黒いポリ袋で作ったりすることもあるし不思議ではないわよ。」
興味が無さそうにその人影を一瞥し、またすたすたと歩き始める。
しかしその人影はじりじりと近付いてくる。明らかに案山子ではない。不定形のように体を揺らしながら私たちの背後へ忍び寄る。
その姿はまるで痩せた少女のようにも見える。目を擦って改めて見つめれば今度はまた人外の姿に戻ったような気もする。
「怪異同士、格の違いくらい理解出来るでしょう?あんまり背後で動かれるのは好きじゃないのよ。」
氷のような冷たい言葉を小鳥は投げ掛ける。威圧も含まれたその言葉に怯えたように、怪異の足取りは止まった。
と、同時にそのぼやけた輪郭は少女の物になりもじもじと私たちに対して向き直る。
「ひっ……!ご、ごめんなさい……」
子供以上、大人未満程度の齢だろうか。粗末な服を着た彼女は靴も履いておらず伸び放題の黒髪の間から澄んだ瞳を覗かせる。
「……今回の依頼の怪異と何か関係があるのか、小鳥。」
「受け取った資料によると多分この娘ね。……別に貴方に危害を加えるつもりはないわ。ただ願わくば安らかに現世から別れを済ませて欲しいだけ。」
その少女の前にしゃがみ込み、小鳥は彼女の頭をそっと撫でた。目線を合わせて話してくれる小鳥に、少女も幾らか安心したような笑みを浮かべる。
「現世からの別れって……やっぱり私、死んじゃったんですか?」
「ええ。その通りよ。私たちは貴方の遺体を掘り起こして弔ってやる為に来たの。」
面と向かって言われると、多少の動揺を見せる。しかし直ぐに笑顔を浮かべて私達に深く礼をする。
「私、死んだ覚えがなくて……家にもどうしてか入る事が出来なくて。村の人に聞こうにも様子がおかしくなったように逃げちゃうんです。だから……はっきりそう言って貰えて助かります。」
気丈な娘だ、彼女が死ななければならなかった事実が胸を締め付ける。
「どうかそれまで、よろしくお願いします。私は……篠田志乃と申します。」
「私は影崎小鳥。そして隣に居るのが退魔師の影崎先生よ。」
「名字が同じということは……つまり、夫婦なんですね!」
「ええ、私と先生は赤い糸……いえ、赤いロープでお互いの首を結んでいるもの。ふふ。」
志乃は目を輝かせて小鳥と私を交互に見つめる。小鳥も否定する事無く寧ろ恐ろしい事を言ってのけた。まるで外堀が埋め立てられていくような悪寒を背筋に感じた。
「……そろそろ依頼主の家に行きましょう、先生?」
小鳥はそう言って私の手を取る。その表情から読み取れる言葉は「夫婦である事を否定したら今すぐにでも気絶させる」とのものだった。
「あ、ああ。行こうか、我が愛しの妻……もとい、小鳥。」
「すっごくお熱いんですね……!私、何だか妬けちゃいそうです……!」
つくづく、最も怖い怪異とは誰か思い知らされるようだった。
そこから女子同士意気投合したらしく、小鳥と志乃の話は延々と続いた。勿論、結婚生活についてはある事ない事を吹き込んでいたが。
五分ほどすれば神崎家に比べれば小さいもののしっかりした造りの家に到着する。呼び鈴を鳴らすと、男性の声で中に入ってくるよう伝えられる。
「ここ、私の家なんです。……今の声もお父さん。だけどどうしてもここから先には進めないんです。」
志乃は少し悲しげに顔を伏せる。確かに中に張り巡らされた御札はどれも高級なものだった。彼女が入れないのもこのせいだろう。
「私は此処で志乃と待っていますので。先生、依頼人との話は任せましたわ。」
流石にこの量の御札は嫌だったらしく、小鳥は私に資料を手渡す。そして志乃とまた楽しく喋り始めた。
それは彼女なりの気遣いにも思えた。
「お邪魔します、影崎ですが……篠田様で間違いないでしょうか。」
「ええ、ええ。す、すみません。早く扉を閉めてください。あの子の声が聞こえるようで……」
酷く怯えた様子の中年の男性が私を出迎えた
。ビール腹を揺らしながら応接間に私を通すとまずは引き受けてくれた事への感謝を告げられる。
「貴方のお子さん……志乃さんが成仏出来ずに彷徨っている為これを除霊して貰いたい。といった案件だと聞きましたが。」
「そ、そうなんです。志乃は死んだはずなのに……たまに家の前で声が聞こえるんです。だからあの子の為にも早く、祓ってあげてください、お願いします……!」
震えた声で彼は懇願する。彼女がどういう怪異かは知らないが、協力的である以上特に不安は無いだろう。
「任せてください、すぐに解決してみせます。」
そうして話はスムーズに進んだ。
たまには退魔師らしい事が言えたのではないか、と上機嫌で家を出れば小鳥に妙な物を手渡される。
片手で持てるピンクのスコップに、何やらお経らしきものがびっしりと書き込まれている。
「何だ、これは。」
「悪霊退散特製スコップよ。これさえあれば怪異を斬り刻めるわ。それにもうひとつ重要な機能があるの。」
知りたい?と小鳥は身を乗り出す。頷いて固唾を飲むと彼女はこう続けた。
「なんと、土も掘れるスグレモノなのよ。絶対落としたりしないで頂戴。」
小鳥のセンスも霊コロリを作っている怪しげな商人と変わらないな、と呆れていたが志乃の反応は違った。
「さ、流石です姉様……!除霊だけでなく、ガーデニングに使えるとは凄い慧眼です!」
そう言って小鳥に羨望の目を向ける。見た目も変わっており、伸び放題だった前髪をピンで止めて後ろ髪をヘアゴムで縛っていた。
こうして見ると目はぱっちりとしており、顔立ちも何処か幼さは残るものの可愛らしいものだった。何より、小鳥と並ぶとある部分の差が目立つ。小鳥はよく言えば慎ましいのだが……
「あら、余所見して貰っては困りますわね。先生。」
彼女がスコップから手を離すとその先端が私の爪先に直撃する。
そうした戯れをしていると周りの空気が急に冷えたような違和感が襲ってきた。
「……志乃だけではなかったのか。」
白のビニール袋で象られたような不気味な人影が、私たちににじり寄ってくる。
その手には鉈を始め、様々な武器が握られていた。




