無知の力(2)
蝉の声は、森の中を反響するように飛び交っていた。もう夏も目の前なのだろう、風は生温く頬を撫でた。
「……本当に辺鄙な所ね。こういう所でしか生きられない怪異なのは分かるけれど。」
「今回の怪異について何か知っているのか、小鳥。」
「別に。ただの当てずっぽうに過ぎないわ。」
今回は免許証の入った財布がある事を確かめたため愛車で山道を道なりに進む。最初の方は過ぎゆく景色にはしゃいでいた小鳥も、三時間も走れば退屈そうに本を読み始めた。
「文字が揺れて気持ちが悪いわ。揺らさないように走って貰えないかしら。」
「無茶を言うな。」
思えば彼女は随分と現代の文化に馴染んだ。彼女……もといコトリバコがどの年代の物なのか定かではないが、スマートフォンを取り出しては地図を確かめる程にまで適応した。
そこからさらに三十分ほど車を走らせれば田園や茶畑で覆われた緑の村が姿を現した。
「田舎ね。私の保管されていた村とどちらの方が辺鄙かしら。」
冗談めかすように彼女が言う。ここから依頼主の家までは遠くなかったが、神崎家が先に見えてきた事から少し挨拶をする事にした。
車を駐車場に停めて細い道を十分程歩くと重厚な造りの屋敷が目に入る。どうやらあそこが神崎家らしい。
「私、あそこに行くのは嫌なのだけれど。何か用事でもあるのかしら。何なら外で待っていたいわ。小川で足を冷やしたいのよ。」
炎天下の中を歩いたせいかやや不満げに小鳥が言う。それを何とか宥めると神崎家の戸を叩く。直ぐに使用人らしき男性が出て来て身元を確認された。
「貴方が影崎様ですか。お電話は頂いております。どうぞお入りください。」
使用人もある程度の霊能力者なのだろう、修行僧のような彼の姿は私よりも余程修練を積んでいるように見えた。
「そもそも貴方みたいなひよっこ退魔師がどうしてこの超名門の神崎家に入れるのよ。普段なら門前払いよ。」
「黄泉還りの件について詳しく知りたい、との事でね。私としても神崎家で聞きたい事があった故に、好都合だった。」
ふうん、とそこまで興味がなさそうに小鳥はそっぽを向いた。怪異にとってこの空間は居心地が悪いのだろう。
手入れの行き届いた庭園が良く見える廊下を案内されると、やがて大きな襖の前で使用人は足を止めた。どうやらこの中に神崎家の当主が居るらしい。
「影崎と申します。本日は……」
「良い、そんなに固くならんでも。足を崩して座ってくれたまえ、黄泉還りの件を報告するためにわざわざ来てくれたんだ。本来ならワシが出向くのが筋だろうに、はるばる呼び付けて申し訳ないのう。」
長い白髪を後ろで束ね、年齢よりも表情は若く見える老人が正座をしていた。言われるままに腰を下ろすと、私でなく小鳥が口を開いた。
「私は神崎尊だ。影崎先生と助手の小鳥さんで合っておるかな。」
「はい。それでは影崎先生に代わりまして私が黄泉還りについて申し上げますわ。」
彼女の話は簡潔にまとまっておりながら、要点はきちんと盛り込まれておりその語り口は何か引き込まれるようにも感じた。
それを聞いた神崎は腕組みをして難しい顔をし、こう告げた。
「本来この程度の怪異が村全てを飲み込むほど大きくはならないはずなのじゃが。何らかの要因で異常な肥大化が起こっているのかもしれんのう。」
しかしあくまで推測の域を出ない、と小鳥に礼を言えば今度は私の方へ向き直った。
「ところで、何かワシに聞きたい事があるのじゃろ。影崎先生。答えられる範囲でなら答えますぞ。」
「……神崎家の家系に居る女の子を探しているのです。私より少し年上くらいだと思いますが。」
あの日見た彼女の事を聞いた。何らかの手掛かりを得て、彼女に再会する為である。
神崎家に来た理由も全てはこの情報を手に入れる為であり、引き換えに黄泉還りの情報を提供するつもりだった。
しかし、神崎の口から出た言葉は全く予想だにしないものだった。
「はて……うちの家系に女は暫くおりませんが。何かの勘違いではないのかのう?」
嘘だ。昔出会った彼女は確かに神崎を名乗った筈だ。念の為、もうひとつ質問をする。
「では他に神崎家は存在しますでしょうか。」
「いや、この辺りには私たちしかその名前はおらん。」
何かの勘違いではないか、と一応家系図を見せてくれたが確かに私と歳の近い女性は存在しなかった。
「聞き間違いかもしれませぬな、神崎によく似た名字だったのかもしれないのう。」
結局、彼女への手がかりは掴めないままだった。肩を落として礼を言い、神崎家の外へと出る。
「まあ良いじゃない、今はそんな女を追い掛けなくとも私が居るのだから。」
道草食ってないで依頼人の所に挨拶しにいくわよ、と軽く尻を蹴られた。
× × × ×
「相当な怪異でした。野放しにしてもよろしかったのですか?」
使用人は影崎達を見送った後神崎に尋ねた。彼もまた、小鳥の異常さを感じとっていたらしい。
しかし神崎は笑ってこう言った。
「怪異とそうでないものの共存、素敵な事だろう。いつか近いうちに実現するといいのじゃが。」
蝉の声は雨のように、彼らの頭上に降り注いだ。




