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無知の力(1)

重い身体を引き摺るようにして何時間も歩き、ようやく事務所へと帰り着く。


小鳥は何でもないように顔色一つ変えなかったが、私の足はまるで小鹿のように頼りなく震えていた。


彼女はいつの間にか合鍵を作っていたようで、私を待つことなくドアを開ける。


「この程度の散歩で息を切らしていては先が思いやられるわ。少しは身体を鍛えたらどうかしら。」


言い返す気力もないまま来客用のソファに横になり、重い瞼を閉じる。


すると鞄の中身を片付けていた彼女の足音が近付く。目を開けると目と鼻の先に彼女の整った顔があった。どうやら毛布を掛けてくれようとしたらしい。


ふと、一つ疑問に思った事を聞いてみる。


「霊コロリの使い方はどこで覚えたんだ?」


彼女はそれを聞くと少し苦い顔をしてこう答えた。


「貴方たちみたいな退魔師に封印されるのは慣れているもの。詠唱もいつの間にか覚えてしまったわ。」


流石に霊コロリなんて安物を使う退魔師はほとんど居なかったけれど、と笑う。


「今日の報酬、貰うわよ。」


彼女はまるで唇でも奪うかのように顔を近づければ、その表情を恐ろしいものへと変貌させた。


身の毛がよだつような恐怖に耐えきれず、私の意識は暗闇に落ちていく。


「ご馳走様、やっぱり貴方から貰う恐怖が一番美味しいわ。」


彼女は満足気に舌舐めずりをした。



× × × ×



珍しく、私は夢を見た。昔本当にあった出来事なのかそれとも私の深層心理が作り出した虚像なのか見分けは付かないが。


幼い私は、森で迷っている所を一人の女の子に助けられた。


彼女は退魔師の見習いだと名乗った。確か名前は神崎といっただろうか。


今となって思い返せば、彼女は超が付くほどの名家の生まれだったのだ。退魔師にとって神崎という名前は憧れであり、また強大な力に畏怖する者もいた。


彼らが一つ術を使えば大地は呼応し、空の雲は全て散る。尾ひれの付いた話だとは思うがそれ程までに腕は確かな者たちだ。


願わくば、彼女にもう一度会うことが出来たなら。


彼女に会って、あの時の礼を改めて言わないといけない。そして成長した自分の姿も見て欲しい。


きっと彼女の足元にも及ばないだろうが、この出来事がきっかけで退魔師を志したのだから。



× × × ×



「いつまで寝てるの、もう日が沈むわよ。こんなに長い昼寝をしていてはきっと夜寝付けないわ。」


目を開けて起き上がると小鳥が私の顔を見つめ、涎の跡が付いていると指さした。


袖でそれを拭うと、寝ている間に仕事の依頼の電話があった旨を小鳥が話す。


冷蔵庫からアイスコーヒーのパックを取り出し、グラスに注ぐ。小鳥は内容をメモに取っていてくれたようで助かる。


その紙を受け取り、コーヒーの苦味を感じながら内容を確かめる。


「……危険そうな依頼だ。私の手に負えるかどうか分からない。」


「この特徴を見て何の怪異かは分からないのね。なら好都合よ。受けましょ。」


白く細長い人影のようなものという情報から何の怪異なのかは分からない。しかも危険度は高そうだ。犠牲者も数人出ているらしい。


しかし彼女はえらく乗り気だ。対処法でも知っているような口ぶりだ。それにその現場の住所で気になる点があった。


「現場、神崎家から近いな。それなら神崎家の人間に頼めば良いと思うのだが。」


「案外、神崎家の人間より貴方の方が使えるわ。無知は時として力になるのよ。ふふ。」


高級霊コロリ、そして今度こそ本物の聖水。効くかどうか分からない銀のロザリオに無いよりはマシな御札各種。


彼女はまた念押しする様に私を指さした。


「絶対にこれから起こることを理解してはならないわ。約束よ。」


彼女の言うことはあまりピンと来ない。捉え方によっては人を小馬鹿にしているような言葉ともとれる。


しかし私の目を見つめる彼女はあまりにも真剣でそのような意図がない事を確信させるには十分だった。


「……分かった、この依頼を受けよう。報酬も妙に良いのでね。」


依頼を受ける、その返事をする為に電話をリダイヤルして依頼人に繋ぐ。


他の退魔師には皆断られていたため本当に助かります、との言葉が少し嫌な予感を滲ませた。

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